あいうえお44題


  わ : 勿忘草の色 <ゾロナミ> Date:  


両手両足を縛られたまま牢内に放り投げられ、硬い床に強か身体を打ちつけたゾロは、低く呻きながらよろりと半身を起こした。
額にやたらと気合の入った剃り込みを入れた魚人と、くちばしのような長い口を持つ魚人が、二人並んで薄笑いを浮べながらゾロを見下ろしている。
眉間に深い皺を刻みながらも、ゾロは口元には不敵な笑みを乗せ、目の前に立つ魚人を見上げた。
「・・・・"客"はもっと丁重に扱え。半魚野郎」
「何だと!!」
捕らえられ、死を待つのみの男とは思えない倣岸な物言いに気色ばんだ剃り込みの魚人をもう一方が抑え、勝者の笑みをゾロに向ける。
「どうせすぐ手前は"客"でも何でもなくなる。精々今のうちに吼えてろ人間」
剃り込みの魚人も相方の言葉で溜飲を下げたようで、その顔に再び嘲りの笑みを乗せる。
「散々貢いだ挙句にその相手に殺されるたァ、哀れとしか言いようがねェなァ」
蔑みの言葉を残して牢を後にする二人の魚人の背を見つめ、ゾロはほんの僅か目を細め、呟いた。
「そいつァどうだかな」

扉が閉められると、牢の中は一気に薄暗くなる。ゾロは床にごろりと寝転び、大きく息を吐いた。
「・・・にしても」
鷹の目にやられた傷から、全身に鈍い痛みがぶり返している。
小物と言われたのがよほど癪に障ったか。
「素手でも結構やるじゃねェかよ。あの女」
うっすらと浮べた苦笑はすぐに苦悶の表情で掻き消される。
こんな時は寝ちまうに限る。ゾロは痛みを堪えるようにきつく両の目を閉じた。


夢を見た。
夢の中でゾロは眠る己の姿を眺めていた。穏やかな陽気が作る木漏れ日の下でまどろんでいる自分が居た。
妙な既視感を感じる。やがて、夢の中のゾロはあぁと思い至った。すっかりと忘れてしまっていた。これはこの間立ち寄った島での出来事だった、と。

風に木々が揺れる中、近づいてきた人の気配をゾロは感じた。
その気配に害意は感じられなかったが、ゾロは片目を薄く開いて気配の主を探った。
足音をたてずにやってきたのはナミだった。
目を閉じ、気づかぬ振りをするゾロの傍らに膝をつくと、ナミはじっとゾロの寝顔を見つめた。
それは、ただ静かな、本当に静かな視線だったが、ゾロは居た堪れないほどにもどかしい気分になった。眉が不自然に動きはしないか、寝息が乱れたりしていないか。
こんな訳の分からない苦労をする必要などどこにもない。目を開けて、何やってんだ、とでも言えばいい。簡単なことだ。
そう思えどもどうしてか、その簡単なことができなかった。
苦心して寝た振りを続けていると、不意に視線が外れたのがゾロには分かった。
間を置かずして、腕組みするゾロの小指を何かが掠めた。そしてナミの気配はゾロから離れていった。
何だったんだ?
ゾロは静かに目を開ける。組んだ腕と小指の僅かな隙間に青い色が落ちていた。
それは、ほんの小さな花だった。

そう言えば、と夢の中のゾロは思う。
ズボンのポケットにあの花を入れたままだった。捨てるのがどうしても躊躇われ、ポケットに突っ込んだまま、続くゴタゴタにそのことを忘れてしまっていた。


一体、何のつもりだったのか。

夢うつつのまま、そんなことを考えているゾロの唇に、冷たくそして柔らかいものがあたった。
どうしてそれがナミだと、ナミの唇だと思ったのか。夢と過去、そして現実が交錯する。これはきっとさっき見た夢の続きだとゾロは思った。
溺れかけ、たらふく海水を飲み込んで乾いた喉に、冷たい水が流れ込んでくる。
求めたのは更なる水か、唇か。
ゾロが貪るように唇を動かした次の瞬間、柔らかな感触は掻き消え、顔に冷たい飛沫を感じた。
冷や水を浴びせられたゾロは、瞬時に目を覚ました。
目の前には空になったコップと抜身のナイフを持ったナミの姿があった。ナミは乱暴な手つきでゾロを起こすと、手にしたナイフでゾロを縛っていた縄を切っていく。
ゾロはようやく自由になった手で濡れた顔を拭う。
さっきのアレは、夢か?
いや、それよりも前に夢で何かを思い出したような気がする。記憶を辿れど、ゾロにはもうおぼろげな輪郭すら掴めなかった。
「さっさと逃げて!! アーロンが帰らないうちに」
ピリピリとした声音で、ナミはゾロを急かす。
だが、夢の痕跡に気をとられていたゾロにはその声は遠くに聞こえていた。
「ん?」
戸口から外を窺い見るナミは、暢気に聞き返したゾロを厳しい目で睨みつけると、手にしたコップを振り上げた。
「足りないならもう一杯ぶちまけてやろうか?」
硬い声でそう言うと、ナミは辺りに誰もいないことを確認し、その場を後にした。


一人牢を出、目に付いた魚人から片っ端に、特に自分を牢に放り投げた二人の魚人は念入りにぶちのめした後、ココヤシ村に向かったゾロは、そこで村の男から既に敵の手に落ちたウソップの情報を得た。

「くそ!! すれ違った!!」
踵を返したゾロの視界の隅に、瞬間、青い色がよぎる。
ゾロの目はその青に吸い寄せられるように動く。道端に群生する沢山の小さな青い花びら。それを目にした途端、ゾロの脳裏に先程、掴み取れなかった記憶が鮮やかに蘇った。
ふと足を止めたゾロは、振り返り、村の男に尋ねる。
「なぁ、アンタあそこの花の名前知ってるか?」
村人は一瞬、きょとんとした顔でゾロの顔を見、それからゾロの指差す先に目をやりると、ああと応じた。
「勿忘草、だ。この村ならどこにでも咲いてる」
「勿忘草?」
「私を忘れないで、って意味のある花だな」

その言葉に、ゾロは目を見張った。
右のポケットに手を突っ込むと、ゾロはそこから糸くずのようになった花を取り出した。

あのひねくれ女。
手のひらに乗せた、すっかりと色の抜けてしまった花をゾロは見つめる。
余計な口なら売るほど叩くくせに、肝心なことは一つも言いやがらねェ。

吹けば飛んでしまいそうな花の残骸をきつく握り締め、ゾロは駆け始める。
走り続ける道端には、村人が言ったようにあちこちで青い花が風にそよぎ、揺れている。ゾロにはそれが、誰かの涙のように思えて仕方がなかった。

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