*については裏書庫に続きがあります。
表書庫
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嘘と冗談 |
Date: 2003-11-11 (Fri) |
月がゆっくりと傾く。
穏かな入り江で船は波音も僅かに佇んでいる。
静かな夜だ。
地に足をつけるのは久しぶりとあって、クルー達は街へと飛び出していった。
この時間になっても戻らないところをみると必要物資を調達がてら、どこかで騒いでいるのだろう。
ぼんやりそんなことを考えている内に気づけばグラスは空になっている。
キッチンに一人座り、ナミはボトルから澄んだ琥珀色の液体をグラスへと注ぐ。
―買った物忘れてこなきゃいいけど―
そんな心配もしてみたが、そもそも買物が無事に済んでるのかどうかもあやしい。
ナミは苦笑を浮かべ、グラスをあおる。
キッチンの小さな窓から覗く月。
先程目にした時よりも月の傾斜は増し、時が日付を超えたことをナミに知らせた。
ナミは一気にグラスを空にすると立ち上がり、戸棚の前まで移動する。
扉を開け中からタオルを引っ張り出し、去り際にテーブルの上のボトルを掴み、キッチンの扉を押した。
船の後方へ近づくにつれ、空気が熱を帯びていくように感じる。
荒い息づかいと汗の匂い。
黙々とトレーニングを続けるゾロがそこにはいた。
近づいてくるナミに気づいたらしく、ちらりと視線を投げて寄越したが、何を話すわけでもなく身体を動かし続ける。
ナミは壁に背を預け、その様を眺めている。
船上で欠かすことのないトレーニング風景は見なれたものの筈なのに。
目の前のしなやかな生き物からはどうしても目が離せない。
大きく張った筋肉は自在に動き、流れる汗はそこを伝い落ちる。
精悍な顔。真剣な瞳。息をする度に動く唇。
ナミは手にしたタオルをゾロに向かって投げる。
ゾロは僅かに目を細めることで謝意を伝えるとタオルを首にかけ、その両裾で顔を拭った。
「ふぅ」
まだまだ熱い呼気を一つ吐くゾロにナミはボトルを差し出す。
ボトルに口をつけ、ゾロは勢いよくその中身を喉に流し込む。くっきりと浮き出た喉仏が二度、三度と大きく上下した。
ボトルから口を離したゾロは肩口で濡れた唇を拭う。
それから感心したような顔でナミを見た。
「・・・・・・随分旨いな、コイツ」
「そりゃそうよ。私の秘蔵っコだもん」
ゾロは眉根を寄せるとまじまじとナミを見つめる。
「・・・・・・金ならねぇぞ」
「・・・・・・なによ、それ」
「金取ろうってんじゃねぇのか?」
ナミは大きく息を吐くと、呆れ半分で答える。
「いくら私だって、今日誕生日の人からお金取ったりしないわよ」
「・・・・・・・あ?」
「誕生日でしょう。今日。アンタの」
ナミに言われてようやく気づいたらしく、ゾロはと「あぁそうか」気の抜けたような返事をした。
「・・・・・また一年生き延びたな」
感慨深げなその呟きは誰に向けたものか。
ゾロの視線はナミを通り越し、遥か向こうを向いている。
今は溶け合って一つのものにしか見えない海の果て。空の落ちる所に。
「アンタの口からそんな台詞が出るとは思わなかったわ」
ナミの口調には驚きが見てとれる。
恐れることなく戦場へと踊りだし、躊躇うことなくその身体を傷つける。
旗から見れば『生死』についての認識が欠落しているとしか思えないのに。
「ヤリ合ってる時は一々考えちゃいねぇさ、んなこと」
ゾロは苦笑を浮かべ、それから戦いの記憶を手繰るように俯いた。
「いや、考えようともしてねぇんだろうな。多分。どうやって相手を斬るか、それしかねぇからな」
「終ってようやく冷める。
勝負がついてからの話だろう。生きるの死ぬのは」
「・・・・私には分からないわ」
小さく溜息を零すナミにゾロは人の悪い笑みを投げかける。
「お前が、夜ン時にイクまでやめねぇのと同じだろ」
唖然と自分を見つめるナミを前に、ゾロはくくくと肩を揺らす。
程なく顔を真っ赤にしたナミが両手をゾロの首にかける。
「二度とたわけた口きけないように、今私が息の根とめてやろうか!!」
「や、やめっ!! 苦しっ!!」
急所を的確に抑えられ、ゾロは目を白黒させる。
と、突然ナミの両手から力が抜ける。
手のひらが汗ばんだ肌の上を昇り、ナミは両手でゾロの頬を包む。
「アンタって死に際に何て言い残すのかしら」
「・・・・お前、それが誕生日迎えたヤツに聞く言葉かよ」
困ったように笑うゾロと艶やかに微笑むナミ。
「いいじゃない。想像するだけならタダだし」
「お前な・・・・・」
呆れたようにゾロはいい、それから何かを思いついたように瞳を輝かせる。
「お前の死に際の台詞なら想像つくぞ」
にやにやと笑いながらゾロは続ける。
「借金踏み倒すんじゃない、だろうな」
ナミはにっこりと笑顔を浮かべたまま、ゾロの頬にあてた両手をプレスする。
「いで、いでで・・・」
鈍い悲鳴をあげるゾロに構うことなくナミはうーん、と考えこむ。
「確かに、死んで借金棒引きなんて口惜しくておちおち眠ってらんないわよね」
「あー、お前なら化けてでも取り立てに来るだろうよ・・・・・いでででで」
「じゃあさ」
そう言ってナミはゾロから両手を離す。
ようやくナミの手から逃れると、ゾロは頬を擦る。
「おー、いってー・・・・・で、何だって?」
「ね、いつかもし、私が先に死ぬとしたらアンタは最後に何て言ってくれる?」
ゾロの顔からすぅ、と表情が消える。
落ちついた静かな瞳だった。
ゾロはナミを包むように壁に片手をついて僅かに身を屈める。
誰もいない船内で、それでも秘め事のようにそっと。
「逝くな愛してる」
耳に入った言葉を理解するのに要した時間はどれ位だったろう。
気づけば喉が乾いていてナミは言葉を押し出すのに苦労した。
「・・・・嘘」
ナミは目を丸くしながら半ば呆然とゾロを見つめ続けている。
「嘘じゃねぇよ」
ゾロは身を起こしてニヤリと笑う。
「冗談だ」
―冗談。嘘じゃなくて―
ナミはゾロの言葉を反芻する。
―嘘ではない―
ナミは再び大きく目を見開いた。
「冗談、冗談ね」
ナミはニヤニヤとゾロを見つめる。
「・・・何だよ」
その視線に耐えられなくなったのか、ゾロは憮然とした顔でそっぽを向く。
トレーニング中よりも汗をかいているように見えるのは気のせいだろうか。
ナミはクスリと笑うと、ゾロの首から下がるタオルの両端を掴んで引き寄せる。
「でもイイわ。アンタにしちゃ上等の冗談だもの」
ゆっくりと落ちてくる唇を受け止める。
嘘も冗談もいらないその先へと。
終
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