*については裏書庫に続きがあります。
表書庫
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制御装置 |
Date: 2005-05-18 (Wed) |
熱上昇率、大幅増
思考領域、機能停止
制御、不能
その瞳の所為で。
「春一番が吹いたから」宴会。
この陽気な海賊船においては、宴会の名目は何だっていいのだ。その内きっと「晴れたから」宴会も開かれるに違いない、とビビは確信を持っている。
そう言えば、この船に乗せてもらったすぐ後にも春一番吹いたんだっけ。
ビビは甲板からキッチンを見上げた。
昼間、吹き荒れた風は夜になって大分おさまったが、それでも思い出したように強い風が船を揺らした。
空のジョッキがゴロゴロと転げる。
それを見たチョッパーとウソップは指を差して大笑いしている。大分酔いがまわっているらしい。
括った空色の髪も風に乱される。跳ねて頬を掠める髪を押さえながらビビは、乗船直後のことを思い返していた。
何だか随分昔のことのような気がする。
あの時は、こんなに深い付き合いになるとは思ってもみなかった。
ちょっと利用させてもらうだけの筈だったのに。
「おい! てめぇクソゴムっ! 食ってばっかいねェで、ちったぁそこの皿押さえやがれ」
空になった食器を見事に重ね、それを微動だにさせずにサンジはルフィを足蹴にしている。
ルフィの方はというと、サンジの蹴りなど一向にお構いなしで、目の前のおつまみ(と言うのは気が引ける肉の塊)と格闘を続けているのだが。
脇目も振らず一心に肉を食み続けているルフィを見て、ビビは目を細める。
本当に、ほんのちょっと利用させてもらうだけの筈だった。
暢気すぎる、間抜けな船長だと思っていた。
グランドラインに入れたのもきっと偶然だろう。
こんな船長なら好きなように操れる。そう思っていた。
思っていた、のに。
「ビィビーーィ!」
調子外れの呼び声に振り向くと、キッチンの横でナミが手招きしている。
傍らにはゾロがしゃがみ込んでいる。首根っこを押さえられているところを見ると、無理矢理連れてこられたらしく、やけくそのような顔で杯をあおっていた。
「そっち風、強いでしょう? こっちにおいでぇ」
ほろよい加減で上気分らしく、ナミはニコニコと手を振っている。
確かに、夜が深まるにつれ、風は強さと冷たさを増しているような気がした。
「おわっ!!?」
素っ頓狂な声に振り返れば、ルフィが慌てた様子で麦藁を押さえている。
「ルフィさん」
見上げてくる邪気のない顔にビビは笑みを向けた。
「ナミさんが呼んでるの。あっちで飲もうって。ルフィさんも行こう?」
「おう!」
一つ頷くと、大皿の上に手当たり次第に料理を乗せていく。
山盛りの皿、二つと、どうしても乗りそうにはないもう一皿を暫し見つめた後、ルフィは縋るような眼差しでビビを見上げた。
何て顔をするんだろう。とても海賊には見えない。
思わず吹き出して、それからビビは残った皿に手を伸ばした。
「こっちは私に任せて」
そう言って歩き出すと、ルフィは安心した顔を見せ、ビビの後に従った。
「確か倉庫に、イイの隠し持ってるのよサンジ君は」
宝と酒には抜群の嗅覚を誇るナミの言で、宴会場は倉庫へと移動した。
綺麗な脚を惜しげもなく晒しながら、ナミは皆に背を向け、四つん這いでその辺をガサガサと漁っている。
「パンツ見えるぞぉ、ナミ」
照れも悪気も遠慮もない視線を裾のあたりにぶつけながらルフィはニヤリと笑う。
自分には向けられたことのないその目つきに、ビビの胸は妙に騒いだ。
黙然とボトルを傾けていたゾロが、やはり黙ったままルフィの麦藁を鷲づかみにすると、目の下までずり下げる。
目隠しをされたまま、肩を揺らして笑っているらしいルフィをゾロは一瞥し、再びアルコールの摂取作業に戻った。
いつの間にか肩に力が入っていたらしい。
ビビは一つ息を吐くと、跳ね上がった鼓動をごまかすように口を動かした。
「でも、いいのかしら? 了解も貰わないで勝手に飲んじゃって」
見っけ、と歌うように言ってナミはくるりと体の向きを変えると戦利品を振りかざす。
「了解もらおうにも本人いないし」
そう言ってナミはニヤリと頬を歪めた。
「ウソップもチョッパーも結構絡み酒なのよねぇ。構ってあげないと泣くし」
足止めに使ったのね。
唖然とするビビに向け、ナミはそれはそれはチャーミングなウインクを投げる。
「バレたら、そん時は"酔っぱらったビビが見つけて飲んじゃった"って、言えばいいでしょ」
「・・・・・・・はい」
諦めろ、と目で訴えるゾロに、ビビは肩を竦めて自分のグラスを差し出した。
「う〜ん、もう一本〜」
空になった瓶を蹴飛ばしたまま脚を投げ出して、ナミは後ろへとひっくり返る。そこにゾロが座ってなければ床にしたたか頭を打っていただろう。
思いの他勢いよく転がってきたナミをゾロは微動だにせず受止めた。
と言っても、腕組みをしたままゾロは規則正しいリズムで首を揺らしていたのだが。
「ナミさん、飲みすぎ」
「ふにゃあ」
気の抜けた笑顔を最後に、ナミの顔から表情が消え、代わりに気持ちのよい寝息が聞こえ始める。僅かに俯いた顔をオレンジの髪が隠した。
「ナミさん? ナミさん!」
呼べど突付けど応答はない。
全く。
あちこちに散らばる皿と、転がる空のボトル。
どうしたものかと辺りを見回したビビの視線が、ルフィを捉えた。
ベロリと皿を舐め、名残惜しそうに皿を置くとビビの視線に気づいたのか、ルフィはビビに笑顔を向ける。
「お腹いっぱいになった?」
「まだ食えるぞ」
あれだけ食べた分はどこに行ったのか首を傾げずにいられないほどペッたんこの腹をさすり、ルフィは豪快に投げ出されたままのナミの脚を見つめる。
「うまそうだよなぁ、ナミの脚」
「食べちゃダメ!」
自分でも驚くほどムキになった声だった。
きょとんと見つめるルフィの目が妙に気恥ずかしく、ビビは普段どおりの声を出そうと努めた。
「だってホラ、そんなコトしたらナミさんは絶対、凄く凄く高いお代を請求するだろうし、ミスター武士道はきっと凄く凄く怒るだろうし」
台詞はすらすらと出てくるが、声音は妙に浮ついている。
それに"凄く"って言いすぎ。
「わ、私もちょっと飲みすぎ! し、下から毛布持って来るわね」
ルフィがどんな顔をしているのか確かめる勇気も持てないまま両手で頬を包んで、ビビはルフィに背を向けた。
女部屋に続く扉を開け、天井付近の灯りを灯す。頼りなげに揺れる小さな炎が目の前にある。
見つめれば目が痛んだ。小さくともそれは炎なのだ。何かの拍子に燃え上がる可能性を孕んでいる。
ビビは目を閉じる。
炎は何かの印のように瞼に焼き付いていて、その輪郭がありありと浮かんだ。
急に足元が覚束なくなり、ビビは慌てて目を開け、ほぼ垂直な階段を慎重に降りていった。ベッドから毛布をはがして両手に抱え、ビビは階段を見上げた。
あの上にはきっとルフィが居るだろう。
いや、もしかしたら居なくなっているかもしれない。
居なくなっていてくれれば、ともかくこの場は何事もなくおさまるのだろう。
けれど、それは問題をただただ先送りしているようでビビには気持ちが悪かった。
問題って?
ビビは毛布を抱えたまま、ブンブンと強く頭を振った。
今、ここにある問題が何なのかが既によく分からない。そんなものに答えが出るわけもなく。
考をまとめようとすればする程、頭に血が上ってまとめようとしたものの輪郭がどんどんと蒸発していく。
こんなこと、今までなかった。
国を掠め取ろうとしている奴等のことを知ったときですら、怒りの感情とは別にこれから自分がやるべきことを考えていた。
頭の中には妙にクリアな部分があって、そこでこれからの計画を立てることすらできていたのに。
口惜しさすら覚えながら、ビビは倉庫へと戻った。
先に毛布を放り投げ、ビビはそっと頭だけを出して辺りをうかがう。
散らかった床に、二人固まって眠るゾロとナミ。
ルフィも胡坐をかいたまま、俯いた麦藁のつばにその表情は見えない。
眠ってしまったのだろうか。
安堵と落胆をシェーカーに入れて思い切り振ったような気持ちでビビは小さく息を吐いた。
本格的に寝入ってしまった二人を毛布に包む。
安らいだ顔で背を預けているナミを少し羨ましく思いながら。
自分の進むべき道はよく分かっている。
それは誰に預けることも委ねることもできないものだ。一人で立って進まねばならない。
この戦いに勝つために。
そして、勝利の後には別離が待っているのだ。それは動かしがたい未来。
けれど。
けれども
「何、しけた面してんだ?」
ぼんやりした視界に急に広がった麦藁帽子。日なたのいい匂いがした。
「え? あ?」
視線をそらすこともできない程近くにルフィの顔がある。ビビは思わず言葉に詰まった。
分かった、と至近距離でルフィは笑った。
「お前、寂しいんだろ。一人で寝るの」
当たっているようなそうでないような、ルフィの言葉。
「だったら俺が一緒に寝てやるか?」
「・・・えっと・・・えぇぇっ!?」
目を見開き、それから瞬きを数回。それからビビは両手を勢いよく振った。
「だだだ、大丈夫です! 子供じゃないんだから、そんなに気を使ってもらわなくても!!」
慌てるビビを前に、ルフィは平然と言葉を続ける。
「大人だから二人で寝たほうが楽しいだろ?」
バサリと麦藁を取ると、ルフィは指の先でくるくると回した。言葉もないビビを見つめるその瞳はどこまでも明るく輝いている。
それは面白いものを見つけた時に彼が見せる瞳。
そして、この場合の面白いものって・・・・
私だ。
ビビは思わず、身を引く。
じりじりと後退し、駆け出す。開いたままの扉をくぐり抜けた直後、踏み出した足は見事に階段から外れた。
「・・・・・・・!!?」
落ちる。
言葉もなく、ビビは目を瞑る。
落ちかけた体が、ほんの一瞬浮き上がり、熱く硬いものに包まれたような気がした。
「ぐえっ!!」
下から聞こえてきた蛙のような声に、ビビは恐る恐る目を開けた。
階段の下、女部屋の床にビビはやはり落ちていた。ルフィを下敷きにして。
「ル、フィさん?」
「あー、吃驚した。いきなり消えるんだもん、お前」
ビビは呆然とルフィを見つめる。
硬い腹筋の上についた両手が熱い。ビビは慌ててその手を上げた。
「どうした? 大丈夫か?」
ルフィは小さく首を傾げると、片肘をついて身を起こした。訝しげな声はいつもより低い。硬く張り詰めた二の腕の筋肉や、意外に広い胸にビビはルフィが自分とは違う生き物だと思い知らされる。
「何でもないの。ゴメンなさい。今どくから」
浮かせかけた腰をルフィが掴んだ。
「なっ!?」
抗えない力でビビはルフィの腰の上に縫いとめられた。腕の力だけではない。下から真直ぐな視線で射抜かれ、ビビは目を見開いたまま動けなくなっていた。
さっき、チラリと見せたものの何倍もの意思の力を感じさせる眼差しだった。
ルフィは無造作に片手を宙に放る。
みるみるうちに伸びていった手は、扉の取ってを掴み、縮む勢いのままその扉を閉じた。
その音にビビは思わず身を竦ませた。
「行くなよ」
体が自分の思い通りにならなくなるということをビビは初めて知った。
黒の瞳に引き寄せられる。
「・・・・ダメ」
拒絶の声は掠れてか細い。気づけば喉はカラカラで、声を通す隙間もないくらいに貼りついてしまっていた。
腰を掴んだまま離さないルフィの手を引き剥がそうとしてビビは手を伸ばす。
指と指が触れ合う。
降りてきたビビの指先をルフィは自分の指で挟んだ。そして、力を込める。
「んっ!?」
自分の漏らした声にビビは驚いた。こんな声は今までに出したことはなかった。
顔が熱い。
身体の中、臍の下辺りがざわざわと落ち着かない。
「抱かせろよ」
静かな、けれど熱っぽい声に、身体が反応したのが分かった。だが、見上げてくる視線にビビは力なく首を振った。
「・・・・ダメ、よ」
「何でだ?」
「そんなことしたら、絶対に後で後悔する。私は・・・これ以上あなたを」
思いを言葉にしてはならない。残してはいけない。ビビは口を噤んだ。
黒の瞳は容赦なくビビを射る。
「俺を、何だ? 言えよ」
「ルフィさん・・・・あなたは意地悪だ」
大きく見開いた瞳が震える。
「違う。誤魔化すのが嫌なだけだ」
逃げられない。
この瞳はいかなる嘘も偽りも見抜くだろう。
いつの間に、こんなに好きになってしまったのだろう。
操るつもりでいた自分が、気づけば彼に絡め取られている。
すう、と一つ息を吸い、ビビは口を開いた。
「これ以上、あなたを好きになっちゃダメなの。いずれあなたと別れる時が来る。必ず。だから」
ビビの声音は不安定になり、途切れた。その後をルフィが続けた。
「だから、今目の前にあるものを諦めるのか?」
あくまでも静かなルフィの言葉に、ビビの押し殺した嗚咽が重なった。
「お前にとって、先の後悔と引き換えにする程の価値は俺にはないのか?」
ビビは両の目を固く閉じる。閉じた瞼から涙が溢れ、頬を濡らした。
頭の中が沸騰して破裂しそうだった。
流れる涙さえ熱い。
何も考えられない。何も分からない。
ただ分かることは――
価値なんて。
あるに決まってる。計り知れないくらいに。
ビビは目を見開き、ルフィの方へと身を乗り出す。
挟まれていた両手を振りほどく。逃げるためではなく、手に入れるために。
ルフィの頬を両手で包み、ビビは顔を近づける。瞳から零れた涙はルフィの頬に落ちた。
不器用な口づけを何度も交わし、ビビは顔をあげた。
挑むようにルフィを見つめ、濡れたままの瞳で笑った。
「絶対にあなたも後悔させてやるから」
泣いて別れを惜しむくらいに。
そして、いつまでも覚えていてもらえるように。
「おっかねェ」
ビビの手のひらの中でいつもの笑顔を見せると、ルフィは頬を包む柔らかな手に自分の手のひらを重ねた。
「おいこら」
ゾロは隣で寝息をたてているナミを肘で小突く。
「いつまでも狸寝入りしてんじゃねェよ、女狐の分際で」
小さく噴き出すと、ナミはパチリと目を開ける。
「上手くいったみたいね」
「無茶しやがる」
満足げなナミの表情とは対照的に、ゾロは渋い顔を見せた。
「だから私達がいるんじゃない。何かあった時の為に。ストップかけるにも女の子絡みじゃサンジ君逆上しちゃうだろうし」
取り越し苦労だったけど、と笑うナミに向けるゾロの顔はまだ渋い。
「それに挑発しすぎだ、お前は」
「何? 何? 妬いた?」
ニヤニヤしながら絡んでくるナミの肩から毛布を払い落とし、ゾロはむっつりとしたままナミを組み敷いた。
「オスの本能刺激されたって訳?」
「まあな」
からかいながらもナミは両手を伸ばし、ゾロを招き入れる。引き寄せられるまま、ゾロはナミの首筋に顔を埋めた。
いつも以上に熱っぽい仕草に揺れながら、ナミは柔らかく笑った。
教えてあげたかった。自分とよく似たあの子に。
ゼロよりもずっと価値のある後悔があるということを。
自分にそのことを教えてくれた男の髪をナミは愛しげに撫ぜた。
「明日も宴会決定ね」
ナミの言葉にゾロは顔を上げ、ペロリと唇を舐めると怪訝そうな顔を向けた。
「ルフィの誕生日と、それに・・・・ビビが女になったお祝い」
ぶっ、と噴き出したゾロにナミは意味深な笑みを見せた。
「んなエロ話してるのか? 女同士で」
「そりゃあ色々と」
ナミの言葉にゾロは黙り込むと、視線を宙に彷徨わせる。それから恐る恐るといった風に口を開いた。
「もしかして、俺のことも話したりしてんのか?」
「気になる?」
楽しそうに覗き込んでくるナミから一度視線を外し、ゾロは呟く。
「・・・・・・・・まぁな」
「いつも満足させて頂いてますって」
苦笑を浮かべながらゾロはナミのシャツをたくし上げる。
「気ィ抜かねぇで励めってことだな?」
「そういうこと」
クスクスと笑う声は、すぐに甘い吐息に変わった。
女性二人の色艶が一層増した翌日の夕方。
「ルフィの誕生会」とこの船にしては珍しく正しい名目の宴会の最中、ナミがルフィに話しかけた。
「あんた、今からでも遅くないから東向いて笑いなさいよ」
「何で?」
小首を傾げるルフィを見てナミは可笑しそうに笑った。
「ま、験かつぎってやつね。寿命が延びるってのよ。初も――フガッ!!」
「ナミさんっっ!!」
ナミの背後から両手を伸ばし、ビビはナミの口元を押さえる。
ケラケラと笑いながらその手を外そうとするナミと、顔を真っ赤にして阻止しようとしているビビを見てルフィは笑う。
夕日を背に大声で笑うルフィをビビは真っ赤な顔のままで睨む。
「ルフィさんも笑わないの!!」
「いいじゃねぇか」
ナミにじゃらされているビビを奪い取ると、ルフィはその肩に手をまわす。
「お前も笑っとけよ」
「・・・・もう!」
むくれたビビの顔は、すぐにくしゃくしゃに崩れた。
まわされた腕から、熱はあっという間に全身に行き渡る。
その熱に身を任せて、制御装置は暫くの間、壊れたままにしておくことにした。
終
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