■ 10.「おかえりなさい。」 <ゾロナミ / スリラーバーク・くま戦後> | Date: 2008-11-08 |
絶えず賑やかに響いていたピアノの音も鳴り止んだ夜更け。
夜の住人たることを強いられてきた者達も、今は夜明けを恐れることなく安らかな眠りについている。
洗面器に水を汲んで戻ってきたナミは、あちらこちらで見受けられる無防備な寝顔を見て微笑んだ。
穏やかに過ぎていく夜。その中に一人、険しい顔つきで目を閉じている男がいる。
医療道具とぼんやりとした灯りが置かれたベッドサイドに洗面器を置き、ナミは小さく息を吐いた。
ちゃぷ、と控えめな水音がし、すっかりと温まってしまった手ぬぐいが水の中に沈む。
冷えた水がしっかりと染み込むのを待って、ナミは引き上げた手ぬぐいをきつく絞る。
短い前髪が汗で貼りついているのを指先で優しく除け、濡れた手ぬぐいを額に乗せる。すると、次の瞬間、ゾロは薄くその目を開いた。
半眼のまま視線だけがあたりを彷徨う。その視線が一点で止まった。
頭上にナミの姿を見とめると、ゾロ自身、無意識のままで、ふ、とその表情を弛めた。
安堵にも似たその顔は、意識がはっきりするにつれ強張り、ゾロは鋭い視線でナミを見上げた。
何かを尋ねようと動く唇に言葉が伴わない。
ナミは柔らかく笑んで、未だ熱をもった男の唇に冷えた指先を当てる。
「大丈夫・・・・みんな元気よ。あんた以外はね」
その言葉に、ゾロは全身を弛緩させる。ゆっくりと唾を飲み込んで喉を湿らせると、唇を開く。
「ずっと、起きてたのか?」
掠れた声に、ナミはからかう様な表情を浮かべた。
「たまたまアンタの寝ぼけ顔を見に来てただけよ」
「・・・そうかよ」
額に乗せられた手拭いの冷たさに気づかぬ振りで、ゾロは苦笑を浮かべた。
ようやく見ることのできたいつもの表情は、ナミの胸を言い表し難い思いで満たした。
この男はきっと何も語らないだろう。けれど―――
ナミは静かにゾロを見下ろす。
圧倒的な実力を見せつけていた七武海が姿を消し、瀕死のゾロが残った。そのことを考えれば、あの場でどんなやり取りがあったのかは想像に難くない。
それしか方法がないとしたら、自分でもそうするだろう。
たった一人でいってしまうつもりだったのだ。この男は。
涙の滲んだ瞳を見られたくなくて、ナミは慌てて右手をゾロの目の上に乗せた。
よかった、と心から思う。皆を守ってくれて。そして帰ってきてくれて。
何と言えばいいのだろう。礼など望んでいないだろう男に。
ほんの少しの間、ナミは考え、ゾロの目を塞いだまま身を屈める。
「おかえりなさい」
微かな声が闇に溶けると、柔らかな唇が乾いた唇に重なる。
唇越しに滴が伝う。それはゾロに潮の香を思い出させた。