少数お題集


  09.終わったあとの  <ハチ+ケイミー> Date: 2008-07-03 


知る、ということは恐ろしいことだと、ハチはここ最近そんなことを考えている。
海賊だったころの自分は、今以上に空っぽの頭で日々過ごしてきた。
そもそも、海賊となったことにも大した理由はなかったように思う。
あの島の人間達の、汚いものを見るような眼差しに、ただただうんざりしていた。
新しい場所に行けば、何か面白いことが起こるかも知れない、そんなことを思っていたような気もする。
故郷を離れれば、新天地はあっけないくらい容易く手に入った。
今まで一体何を恐れていたのか、と思うほどに人間は弱かった。
それまでの憂さを晴らすが如くに、同胞達は思うが侭の力を振るう。これまでふんぞり返って自分達を見下ろしていたのと同じ形をした生き物が、ここでは頭を垂れるしかない。そんな人間を見れば、胸がすく思いがした。
感じたのはそれだけだった。
だから、ガキ二人の命と引き換えに、死んでいった女を見ても何も感じたりはしなかった。
それどころか、そんな出来事もすっかりと忘れてしまっていた。
けれど今は―――


「はっちん! 焦げてる、焦げてるよっ!!」
海面から顔を覗かせ、熱心に手を振るケイミーの声に、ハチは我に返った。
海上たこ焼き屋"タコヤキ8"が誇る巨大な鉄板の上では、すっかり消し炭と化したタコヤキが悲しげに身を縮ませていた。
もうもうと立ち昇る煙の中、ハチがあたふたと六本の腕を一斉に動かせば、その内の一本が、必要以上に熱せられた鉄板に触れる。ジュウという音と共に、飛び上がったハチをケイミーは心配そうに見つめる。
「大丈夫? はっちん」
「屁でもねェよ、コレくらい」
心配そうなその声に、手先をふうふうと吹いていたハチは笑顔で応じた。
「そうじゃなくて・・・」
ハチの笑顔を見ても尚、ケイミーは浮かぬ顔をしている。
「さっきマクロ達から助けてくれたときに、どっか怪我でもしたんじゃないかって」
マクロ一味との大立ち回りも、最近は日常茶飯事と言ってもいい程だ。
ただでさえ人攫いに狙われやすい人魚の中でも、どういう訳か飛び抜けて攫われ易い人魚がケイミーだった。
初めて会った時は自分が、人買いに差し出したのだったが。
成り行きで助けた人魚は、気づけばこの店の店員になっていた。以来、店を手伝いながら海獣に食われたり、マクロ一味に攫われたりで、その回数はぼちぼちハチの両手でも足りなくなるとこまで来ている。
「怪我なんかしねェよ。あんな奴等相手に」
ハチの言葉に、ケイミーは海の中でホッと胸を撫で下ろす。
「よかったァ。ありがとね、はっちん。いっつもいっつも」
済まなそうに言ってケイミーは笑う。その笑顔をハチはじっと見つめた。
正直に言えば、付き合いが浅いうちは、助けに行くのも億劫だと思った。
パッパグに泣き付かれたから、という理由は、店の名が広まるにつれて、店員を取り返す為、という大義名分に変わり、今はただ純粋に助けたいからという理由で飛び出している。
そして、知ってしまった。
守るということがどういうことなのかを。

記憶にすら留めなかった筈の、女の死に際の笑顔が、ふとした瞬間にハチの脳裏に浮かぶ。そして、それは時に例えがたい重苦しさでハチの胸を締めつけるのだった。
ハチは傍らの金串を手に取ると、鉄板にこびり付いたコゲを剥がしにかかる。
同じように自身の胸にこびり付いて離れない苦しさから逃れようとするかのように、ハチは一心に手を動かす。だが、すぐにその手はピタリと止まった。
「なァ、ケイミー」
「どうしたの? はっちん」
ケイミーはきょとんとハチを見上げる。
「今まで黙ってたがな・・・・・俺はここに来る前は海賊やってたんだ」
波に揺られながら、大きな瞳を二度瞬かせ、それからケイミーは目が飛び出んばかりの顔で、大声を上げた。
「えぇぇーーーー!!? はっちん、海賊だったの!!? 初めて知ったよ!!!」
「・・・・いや、今初めて言ったからな」
かりかりとこめかみを掻くと、ハチは驚きの眼差しから目を背け、再び鉄板のコゲを剥がしにかかる。
「お前も海賊には何度もヒデェ目に合わされてるだろ? 俺だって同じようなモンだ。ヒデェこと、一杯してきた」
ガリガリと耳障りな音が波間に響く。
「暴れるだけ暴れて、捕まって逃げ出してよ・・・・・何かな・・・俺ァ、バカだからよ。今になってやっと自分がどんだけのことをしてきたか分かったよ」
母親に最期の別れを告げることもできなかった少女。
あの場から連れ去ったのは自分だった。
太陽のような明るい髪の色とは対照的な、酷く冷めた顔で、記憶の中のナミは自分を見つめている。
「謝りてェと思っても遅すぎるよなァ・・・・っても、謝ったトコで許してもらえるとも思えねェしな」
力なく笑うハチを見て、ケイミーが尾びれでびしりと海面を叩いた。
「そんなことないよ!!」
いつもの陽気で暢気な調子ではない、強い口調でケイミーはハチに対する。
「大丈夫だよ。きっと許してもらえるよ・・・・だって、今、はっちん、ちゃんと後悔してるもん」
いまだ暗いハチの瞳に、ケイミーは笑いかける。
「よし! もしもはっちんがその人に謝れるときが来たら、私も一緒に謝ってあげる」
「ケイミー・・・・」
「で、それでも許してくれなかったら、教えてあげるの。はっちんが今までどうやって私を助けてくれてたか。その人が怒る気がなくなるまで、ちゃんと話してあげるから大丈夫だよ!」
それから、何事かを思いついたようにそうだ、とケイミーは顔を輝かせる。
「それにはっちんにはたこ焼きがあるじゃない! どんな人だって、はっちんのたこ焼き食べれば幸せになるもん。だから、絶対大丈夫!!」
握りこぶしを作って力説するケイミーを見ているうちに、急に目の前が滲み、ハチは慌てて肩口でぐいと顔を拭う。
「そうか・・・・お前が言うなら、きっとそうだな」
助けているつもりが、気がつけば助けられている。
なら、とハチはようやくいつもの笑顔を見せて、腕を回す。
「それまでにもっと腕上げとかねェとな」
嬉しそうな顔で何度も頷くケイミーの前で、六本の腕が忙しく動き始める。
手遅れではないと、仲間がそう言ってくれるなら、それを信じよう。
そして、もしもこの広い海のどこかでナミに出会うことができたなら、二度と悔いることのないようにするのだ。
そんな決意を胸に、ハチは程よく固まったたこ焼きを、くるりと鮮やかに返した。

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