少数お題集


  05. 吸殻 <ヒナ+たしぎ> Date: 2009-05-05 


気をつけの姿勢でぴしりと立つたしぎの前には、広々としたデスクがある。様々な書類の積まれたその中心には、険しい表情で書類に目を通す女将校の姿があった。
直立不動の姿勢は崩さぬまま、たしぎは視線だけを動かす。座るもの、立つもの共に動きのない密室で、上官の左手に挟まれた煙草の先端から立ち昇る煙だけが右へ左へとゆったりと動いている。
デスクについた肘の傍らには、白い陶器の灰皿があり、そこには既にいくつもの吸殻が積み上げられていた。
その細く白い吸い口に残されている紅の跡を見ると、そんな跡をつける上官の唇に、つい目が引き寄せられてしまう。
細く長い指が滑るように動き、濡れた唇が僅かに開くと、煙草を挟んだ。その何ということはない仕草に含まれる色に、たしぎはどきりと鼓動を大きくした。
同じ女である自分でさえ、こんなにも心乱されてしまう。そんな女性に、同期とはいえどうしてスモーカーさんはあんな平気な顔でぞんざいな言葉を投げつけられるのか心底不思議に思う。
本当に、ヒナさんは凄い人だ。
地位とそれに見合った実力と、そして誰をも魅了する美貌と。
いつだって彼女は自信に満ち溢れているように見える。
あの瞳に悔恨の涙が浮かぶことが、あの唇が自らのふがいなさを噛み締めることが、果たしてあるのだろうか。
省みれば、悪戯に自分を卑下する訳ではないにしろ、それにしても遠い存在なのは確かだ。たしぎは内心、小さな溜息をついた。
いつか自分も彼女のようになれるのだろうか。
「・・・ぎ? たしぎ?」
呼ぶ声にふと我に返れば、書類から顔を上げたヒナが怪訝そうな顔でたしぎを見ている。
「しっ、失礼しました!!」
慌てて背筋を伸ばしたたしぎに、ヒナはにこやかな笑みを向ける。
「どうかした?」
「いえっ・・・・」
見蕩れていたとはとても口には出せず、たしぎは慌てて話を切り替えた。
「えぇと、そのっ! 一人前になるには煙草くらい嗜まなきゃダメでしょうか!!?」
唐突と言えば唐突な問いかけに、一瞬目を丸くしたヒナは、そんなことはない、とすぐその顔に笑みを戻した。
「じゃあヒナさんはどうして煙草を吸ってるんですか?」
たしぎの問いかけにヒナは小首を傾げる。
「そう言われると意外に答えに窮するわね。ヒナ困惑」
指に挟んだ煙草をじっと見つめ、それからヒナは小さな笑みを唇に乗せた。
「こう見えても、何かとストレスが多いから、かしら」
そう言ってヒナはからかうような瞳でたしぎを手招きする。
デスクに歩み寄ったたしぎに、判を押した書類を渡しながらヒナが言う。
「だから、あんまり本数を増やさせるようなことはしないで頂戴、と言っておいて」
それからヒナは、吸っていた煙草を灰皿の中に押し込むと、デスクの上のシガレットケースに手を伸ばし、新しい煙草を取り出す。
「スモーカー君には内緒よ」
密やかにそう言うと、ヒナは笑って、メンソールの香りのする一本をたしぎの胸ポケットに忍ばせた。

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