■ 04. 煙草の代わりに < ALL+サンナミ > | Date: 2009-05-31 |
深夜手前、一人きりのキッチンで、洗い終えたカップを静かに伏せると、サンジは、その場にしゃがみ込んだ。
気だるげな顔で、左手の親指から指折り何かを数えていく。左指をすべて折り畳み、次いで右手の人差し指までを折り曲げると、サンジは急に興味をなくした様に両手を広げ、その手でわさわさと髪をかきむしった。
やがてその手が止まると、ぼさぼさの頭ががくりと俯く。
しんと静まり返ったキッチンに長い溜息が響く。
驚いたことに、その息には煙草の匂いは微塵も含まれていなかった。
本人の意に全く沿わぬ禁煙は、航海中の甲板の上で唐突に始まった。
出航直後から目まぐるしく変わる潮流に翻弄される船を何とか立て直し、ようやくクルー達が一息入れることができた頃には陽も傾き始めていた。
甲板の片隅に積み上げ、固定していた荷を解くと、手の空いた者から大なり小なりの箱を持ち去っていく。
食材の入った箱を片付けたサンジが次に手をつけたのは、小脇に抱えられるほどの大きさの箱だった。
上機嫌で見つめる箱の中には、先の島で手に入れた煙草がカートン単位でぎっしりと詰め込まれている。
進む方角は分かれども距離までは予想のつかない旅路故、食材の備蓄と同じくらいに気をつけているのが煙草の買い置きだった。
こんだけありゃ十分だろ。
今朝まで停泊していた島にあった煙草屋の佇まいがサンジの脳裏にふと蘇る。
こじんまりとした店内には、驚くほどの銘柄の煙草が並べられていた。乾いた煙草の葉の香りと、そして中々に色っぽい女主人。
にまり、と相好を崩しつつ、箱を抱えたサンジは足取りも軽く男部屋へと向かった。
後甲板へと向かう階段を上がると、船尾に風になびくオレンジの髪を見つけた。
じっと海に目を向けているナミは、何か書き付けているのか時折右手が動いている。
「ナーミさん!」
後姿に声をかければ、意図せず不意をついてしまったようで、ナミはびくりと背を震わせた。
「あっ!!?」
その拍子にナミの手元から一枚の紙がひらりと舞い上がる。ナミは慌てて手を伸ばすが、紙は指先を掠めて逃げていく。すると、次の瞬間、ナミの伸ばした腕のすぐ横の柵を黒の脚が踏みつけて飛び上がった。
流石の脚力で高く飛び上がったサンジは柔らかな手つきで紙を指の間に挟むと、空中でくるりと体を回転させる。見上げるナミに笑みを投げ、サンジは余裕の表情で柵の上に降り立つ。
「ゴメン、ナミさん。驚かせて」
「え・・・うん・・・けど・・・」
どこか上の空で紙を受け取るナミを見てサンジは首を傾げる。
「サンジ君、あれは?」
ナミはサンジの後方を指差す。
「あれ?」
振り向いたサンジの目に映ったのは、青い海にぷかりと漂う見覚えのある木箱。
サンジは己の空の両手をまじまじと見つめ、それからもう一度、海に浮かぶ木箱に視線を向け、瞬きを二度繰り返した。
「あ゛ーーーーーーーっ!!?」
「何か・・・ゴメンね」
その人生においては、謝ったら負け!を基本スタンスとするナミが、思わず謝罪の言葉を言わずにはおれないほどにサンジは萎れていた。
「いや・・・ナミさんに非は全くない、です」
キッチンのテーブルに突っ伏していたサンジが顔を上げ、弱々しく笑う。
「何か、手持ちの材料で煙草みてェなモン作れねェのか?」
ウソップに尋ねられたチョッパーは、天井を見上げ少しの間考え込んでいたが、すぐに頭をぶるぶると振り、サンジに向き直った。
「いや、いい機会なんだから禁煙しろよ」
「・・・俺の辞書に禁煙の二文字はねェ」
医者として至極もっともな進言をしたチョッパーをちらりと見やり、萎れた表情のままでやけにきっぱりと言い切った。
深いため息をつくチョッパーを見て、ロビンがくすくすと笑う。
「煙草はない。禁煙するつもりもない。人間の限界ってどこにあるのか観察するのも面白いわね」
「ロビンちゃぁん」
興味深気に話すロビンにサンジは情けない声をあげた。
「飴でも食ってたらいいんじゃねェか?」
手ごろな代替品を提案したルフィをサンジはきり、と睨みつけた。
「飴なんかが代わりになるかっつうの!! いいか、俺にとっての煙草ってのは、ただのアクセサリーじゃねェ訳。大人として認められたいってェガキの不器用だけど純なメッセージが詰まった品な訳だ。そういう来歴を切り捨ててだな、見た目が似てるからってとりあえず飴咥えさせとけって考え方が俺ァ気にくわねぇっての!!」
一息に捲し立てたサンジを、ウソップが呆けたように見つめる。
「や・・・つうか、途中から何に対する抗議だよ。それ」
それまで、我関せずとばかりに、ジョッキをあおっていたゾロが、ぜいぜいと息を切らすサンジに冷たい視線を送る。
「いいから猿ぐつわでも噛ませとけ。うるせェ」
「あんだと、てめェ!!」
ゾロの胸倉をひっつかみ、勢いよく椅子を鳴らして立ち上がったまではよかったが、それ以上気力が続かなかったらしく、サンジはへなへなと座り込み、再びテーブルに突っ伏した。
「これは・・・ちょっと重症みたいね」
困り顔のナミが小さく息を吐いた。
それから二日、三日と日が経ち。
流石のプロ根性で食事の支度や後片付けはこなしているものの、それ以外の時間のサンジは全く精彩を欠いていた。
運にも見放されたらしく、航海の最中に一隻の海賊船にも、商船にも出会うことなく、甲板でただただ呆と日を浴びていた七日目に、ようやく変化は起きた。
「おい! 船が見えるぞ!!」
見張り場にいたウソップの声に、サンジは虚ろな眼差しを海に向けた。
「おい! ありゃァ海賊船だ! どうする!?」
甲板へと下りながらウソップが叫ぶ。呆然としたままのサンジを見つけると、ウソップが笑った。
「聞いて喜べサンジ! 奴等の旗にゃァ骸骨と煙草のマークがあったぞ!!」
その言葉でサンジの右目に火が灯った。
身を翻して駆け出すと、大急ぎでルフィを探す。
「おいこらクソゴム! とうぜんヤるんだろうな!」
「あったり前だろ!」
にかり、と笑うルフィに、サンジは久しぶりに不敵な笑みを見せた。
「いやー、凄かったな今日のサンジは」
「鬼気迫るものがあったわね」
「野郎、殆ど一人で片付けやがって」
口調は違えど、サンジの勇戦に触れたクルーを他所に、サンジはキッチンの片隅で膝を抱えて蹲っていた。
「・・・・・何て言ったらいいか・・・なァ、元気出せよ」
気の毒そうな口調のチョッパーに優しく肩を叩かれても、サンジはぴくりともしない。
キッチンのテーブルには、眩い輝きを放つ数々のお宝が山を成している。
「そうよねぇ。こんだけ色々手に入ったってのに――」
それらを一つ一つ丁寧に選り分けていたナミが、お宝を前にしては珍しく表情を曇らせた。
「肝心の煙草が一つもないなんて、そんなこともあるのね」
ナミの後を続けたロビンが痛ましそうな視線をサンジに向ける。
「しっかし、詐欺だよなァ。んな海賊旗揚げといて煙草がねェとはよ」
ウソップはほんの少し前の出来事を思い出していた。
敵船へ一番乗りを決め込んだルフィが腕を伸ばした瞬間、その腕を引っ掴んでサンジは先陣を切った。
そのままの勢いでサンジは、近づいてくる相手のすべてを蹴り飛ばしては煙草の有無を尋ねていく。どういう訳か煙草を差し出すものが一人も現れないまま、とうとうサンジは船長までを床に蹴りつけ、息も絶え絶えのその男の胸倉を強く揺さぶった。
「おい、コラ! 手前が独り占めしてやがんのか!? 煙草出せ、煙草!」
「・・・・煙草だと?」
「何回も言わすなよオイ」
掴んだ胸倉をぐいと引き寄せ、睨み殺さんばかりの勢いでサンジは迫る。
「そんなものはこの船にはない」
「だろ? だからさっさと出せって・・・・・オイ今何つった!?」
「お前こそ何度も言わせるな。煙草などどこにもない」
目を剥くサンジに、船長は変わらぬ答えを返す。
「待てオイ! んな訳あるかよ。んじゃ何だよあの旗はよ!!」
右手で船長を掴んだまま、サンジは左手で心なしか萎れた風にも見える海賊旗を指差す。
「あれは我らのモットー"禁煙"の心意気の表れだ」
「・・・・・あ?」
「よく見るがいい。骸骨の後ろのぶっちがいは骨ではない」
まじまじとサンジが見つめる先で、旗は最後の力を振り絞るように翻った。
煙草を咥えたドクロのマーク。その後ろには、大きなバツ印が描かれている。
「・・・・・禁煙、マーク?」
船長を掴んでいた右手から力が失せる。ウソップが駆けつけた頃には、ほぼ一人の男に船を潰された船長よりも尚、大きなダメージを受けたように見えるサンジの姿がそこにあった。
「何で海賊が禁煙メッセージ何だよ」
紛らわしいマークを思い出し、肩を竦めるウソップにロビンが微笑みを向けた。
「主義主張というものは千差万別、と言うことね」
そして十日目。
料理に関すること以外においては、生ける屍と化したサンジの耳に再び敵襲の報が入った。
今度の海賊船は、三隻で編成されており、三角形を描くようにメリーを取り囲んだ。三方向から放たれる砲弾に悪戦苦闘している内に、忍び寄った一船がメリーとの間に板をかけ、乗り込み始めた。
「汚い足で、入ってくんじゃないわよ!!!」
後甲板で天候棒を操りながらナミが叫ぶ。
周囲を取り囲む敵を睨み付けながら、ナミは頭上に黒雲を呼び寄せる。あともう少し、そう思ったナミに敵が一斉に襲い掛かる。
「ナミさんっっ!!?」
その様子を目にしたサンジが、叫ぶと同時にナミ駆け寄る。
通常であれば、周囲の敵を薙ぎ倒してナミを救い出すことができたろう。だが、倦怠感に苛まれる今のサンジにそれは不可能であった。
「ナミさん!」
辛うじて敵の間をすり抜け、ナミを引き寄せる。そのままナミをキッチンの壁に押し付けるようにして、身体で庇う。次の瞬間、無防備に晒されたサンジの背中を敵のサーベルが引き裂いた。
「ぐっ、う!!」
「サンジ君っ!?」
胸の中でもがくナミに、サンジは苦痛の表情を押し込めて笑みを向けた。
「大丈夫? 怪我、なかった?」
「平気。だから離して! サンジ君がっ!!」
ナミが話す間にも、サンジの背は傷を負い続け、赤い飛沫がキッチンの外壁を汚した。
ナミの無傷を聞いてよかった、とサンジの作る笑顔はすぐに歪む。
このままじゃ、サンジ君が―――
ナミは空に目をやる。集まりかけている黒雲は未だ層が薄い。これでは十分なダメージを相手に与えることは難しいだろう。
けど、とナミは天候棒を強く握り締める。サンジの脚が崩れかけたその瞬間、ナミは天候棒を高く掲げた。
「サンダーボルト・テンポ!!!」
サンジを引き寄せ、ナミは衝撃に備える。幾筋もの雷光が輝いた次の瞬間、周囲の敵が振りかぶった武器に雷撃が襲い掛かった。
叫び声をあげ、敵は同時に倒れ込む。
それを見て、ナミは半ば意識を失くしつつあるサンジを支えた。
「サンジ君! サンジ君ってば!!」
「ナミさ・・・俺のことはいいから、ここは逃げて―――」
弱々しい言葉を吐くサンジを、ナミはきり、と睨みつける。
「何よ! 煙草がない位でこんなヨレヨレして!!」
ナミはサンジのネクタイの根元を掴む。
「そんなに口寂しいんなら!!」
そう言ってナミは掴んだサンジのネクタイをぐいと引き寄せた。
唐突に重ねられた唇。
何が起こったか、瞬間、理解ができず、サンジはやけに近くに見えるナミの鳶色の瞳を見つめていた。
そんな二人の背後で、倒れていた敵が一人、また一人と起き上がり始める。
「随分、舐めた真似してくれるじゃねェか」
サンジの背に向け、一人が止めの一撃をくれてやろうとしたその時、サンジはナミの両肩を掴んでそっと体を離し、ゆらりと立ち上がる。その顔には何の表情も読み取れない。
唸りをあげて振り下ろされる刃を軽々とかわすと、次の瞬間に、敵は船壁に激突していた。まるで別人のような動きで周囲の敵を一掃すると、サンジは真顔のまま、ナミに近づく。
サンジは無言でナミの手首を掴み、壁に張りつけた。
「サンジ・・・く」
引き寄せられるように、サンジは見上げるナミの唇を己の唇で強く塞いだ。
「あらあら」
二人の様子を目にしたロビンは、困ったような口調とは裏腹に、楽しそうな表情を浮かべた。
「どうかしたか? ロビン」
チョッパーの声に、ロビンは戦闘の手を一部止めた。二人の方を見ようとするチョッパーの帽子からしなやかな腕が二本生えてその目を塞いだ。
ナミとロビン以外のクルーには原因不明のまま、サンジが謎の復活を遂げ、戦闘は麦わら海賊団の勝利に終わった。
背中の治療を受けた後で、船の補修をする音をぼんやりと聞きながら、サンジは手すりにもたれて海を眺めている。その指には、今度こそ敵から巻き上げた煙草が挟められていた。
ゆっくりと煙を吸い込み、吐き出す。
近づいてきた足跡に振り向くと、そこにはナミの姿があった。
憑かれたかのような先程の振る舞いを詫びようとしたサンジがその口を開く前に、ナミが笑った。
「やっぱり、サンジ君はそうしてる方がしっくりくる」
サンジの隣に立ったナミは、ほんの少し爪先を立てるとサンジに耳打ちする。
「サンジ君が煙草吸ってる姿、好きよ」
ほんのすぐ先で、柔らかな唇が微笑んでいる。
サンジは煙を追い出すと、躊躇いがちに己の唇を近づける。互いの吐息を感じるほどに近づいた次の瞬間、ナミはすい、と身体を逃がした。
「けど、煙草があるからもう代わりのものはいらないでしょ?」
悪戯な表情で、試す瞳が輝いている。
そのまま、身を翻したナミの背を見つめ、サンジは苦笑を浮かべる。
「禁煙でもするかァ?」
笑い含みにそう呟くと、サンジはナミを追って歩き出した。