字書きさんに100のお題


  21.霧<ゾロ> Date:  

何の前触れもなく、船は霧に包み込まれた。クルー同士の姿はおろか、自分の手の先すらも見えない濃霧だった。
「おい、何だこりゃあ?」
驚いた声はウソップのものだ。その声にナミが応じる。
「分かんない。何で急にこんな霧が出てきたのか。そんな前兆は何もなかったのにって・・・え?」
「どうした? ナミ」
問うた声はルフィのものだった。
「え!? え!? 何で? ログポースが変! 曇ってて何も見えない」
「ナミさんっ!! どこですっ!? すぐに俺が拭いて差し上げ・・・・・」
慌てたナミの声がサンジの台詞を遮る。
「違うの! 拭いても駄目。内側から曇って・・・・これは・・・・霧?」
その時、ロビンが何かに思い当たったように口を開いた。
「・・・・・・時の・・・狭間?」
「何だ、それ?」
独白めいたロビンの呟きをチョッパーが聞きとがめた瞬間、船尾から驚きに満ちた悲鳴があがった。
「何だっ!? コイツっ!!? っ、ぐっ!!」
「ゾロ!!?」と船のあちこちで声が上がる。
「く、そっ!! 離し・・・やがれっ!!」
その怒声がみるみるうちに船から遠ざかっていくのが分かった。
「ゾロっ!! どこだぁっ!? 返事しろぉぉぉっ!!!」
「しっ! 静かにっ!!」
叫ぶルフィをロビンが制した。ロビンはそのまま聞き耳をたてる。やがてゾロの声は霧の中に完全に消えた。
「水音がしなかったから、海に落ちた訳ではないと思うわ」
「けど、どこに連れてかれたんだよ・・・って言うか誰に連れてかれたんだよ!?」
ウソップが落ち着きのない声で捲し立てる。
「ねぇ、ロビン。ロビンの能力でゾロの居所は分からない?」
無理ね、とロビンは首を振る。
「居所を把握できてない場所には、目を飛ばすことはできないの」
その答えにナミは溜息をつく。
「なぁ、さっき言ってた、時の狭間ってのは何か関係あるのか?」
チョッパーの問い掛けに、ロビンは小さく息を吐いて、それから口を開いた。
「海にある伝説の一つよ。海上で忽然と姿を消した船が、時を越えてまた忽然と姿を現す。濃い海霧と共にね。三十年前に行方不明になった船が、霧の中突然姿を現したという話を聞いたことがあるわ」
「それって・・・・乗っていた奴等はどうなってたんだ?」
恐る恐るといった風にウソップが尋ねる。
「さぁ・・・誰も乗っていなかったとか、全て白骨と化していた、とか諸説あるようね」
てことは、とウソップは生唾を飲み込む。
「今、アイツを連れてったのは・・・・・・・」
「死者、なのかもしれないわね」
そんな、とナミが呟いたのを最後に、霧以上に濃密な沈黙が船を包んだ。




「くっ、そ!」
得体のしれないモノが両の腕ごと胴に巻きついている。刀さえ抜ければ、とゾロはもがくもののどうにもならず、ただ霧の中を飛ばされていった。
やがて、衝撃がゾロの背中を襲った。
どこかに強く打ち付けられ、思わずゾロは息を詰める。
バキリ、と板を踏み抜いた音が聞こえた。更に下へと落とされるその時、割れた隙間に白の鞘が挟まり、落下し続けるゾロを残してそこに留まってしまう。
「和道っ!!・・・ぐっ」
またもや背を強かに打ちつける。衝撃は更に二度続き、そこでようやくゾロは解放された。

「どこだ・・・・? ここは」
立ち上がり、周囲を見回すと薄暗い中に積み重ねられた木箱が見えた。何が出るのか予想もつかない。ゾロはそこに身を潜め、まずは身体の具合を検分した。背中も腕も問題ねェ。むしろ問題なのは、とゾロは腰に目を向けた。
三本あるはずの刀が今は二本しかない。
ゾロは背にした壁を片手でなぞる。木、だ。足元は気づかぬほどゆったりと左右に揺れている。やはり、ここはどこかの船なのだろう。誰の、何の為の船なのかは全く分からないが。
ゾロは静かにあたりを伺う。船の端はここからでは見えない。かなり大きな船のようだが、人の気配はない。けれど、自分をここに連れてきたモノは恐らく相当でかい。それに、とゾロは二刀の内の一刀、鬼徹の柄に手を沿わせた。
妙にざわついてやがる。
そして、それはゾロも同じだった。背が粟立つ。何かがいる、と直感的に思った。人ではない何かが。
ゾロは立ち上がる。鬼が出ようが蛇が出ようが斬り捨てるまでだ。
「待ってろよ、和道」
ここに落とされた時に受けた衝撃は都合四回。最初の衝撃で和道は取り残された。とにかく上がっていく他はない。
そうしてゾロは何者かが待つ薄闇のなかに身を躍らせていった。

長い廊下を駆け抜けると上へと続く階段が目に入った。こちらを伺うような視線を多く感じたが、襲撃はまだない。
遊んでやがるのか? 不審に思いつつも、ゾロは躊躇わずに階段を駆け上がった。
階段の上もまた薄暗く、淀んだ気配を感じる。上り切る直前に、まるで水が滴るように天井から闇が落ちた。
「ようやくおいでなすったかよ!!」
最上段に片足をかけ、ゾロは不敵に口元を歪めると雪走の鯉口を切った。

ぼたり、と床に落ちた闇はゆるゆる音もなく立ち上がる。頭があり、両手両足がある。人の姿に似た、けれどそれには闇に塗りつぶされたように顔はない。地に映った影のようなそれは、動く度に不安定に輪郭がぶれた。
「随分と気色悪い格好してるじゃねェか」
相手の動きは鈍い。ゾロは一気に踏み込むと、すれ違いざまに雪走で胴払いをかけた。
「―――――!?」
妙な手ごたえだった。まるで水を斬ったような。
振り向いたゾロの目の前で、影は上下二つに千切れ、崩れていく。それを見てゾロがニヤリと笑った時だった。
現れた時と同じように崩れた影は再びゆるゆると起き上がり、人の形を成していく。
「くそっ!!」
どうなってやがる。毒づいたその時、ゾロの両脇の壁から同じような影がいくつも浮き上がった。
右に湧いた影を払う合間に、左に湧いた影が後ろからゾロの首に両手をかけてくる。ぐう、とゾロは苦しげに喉を鳴らし、背後に刃を突き立てた。
首を締めつけていた力が弛む。その隙をついて逃れた直後、目の前に現れた影に頬を殴りつけられた。
「斬っても手ごたえねェくせに、殴ってくるたァどういう了見だ」
畜生。ゾロは前後に立ちふさがる影を睨みつけた。
斬れねェんじゃ仕方ねェ。吹っ飛ばして進むだけだ。
ゾロは鬼徹を抜く。その瞬間、影がざわめいた気がしたが、ゾロは気にせず二刀を構え、影の中に突っ込んでいった。

廊下を塞ぐ影を右に左に斬りつけ、再生しない内にその合間を抜ける。ようやく見えた階段を一息で上る。影の姿はなかった。
ゾロは立ち止まり、腕で額の汗を拭った。甲板まではあと一階。一気に行ってやる。一歩を踏み出した瞬間、床から、天井から壁から数え切れぬほどの影が一気に姿を現す。
柄を握る両手に力を込め、ゾロはじりじりと近づいてくる影達を睨みつけた。

雪走で薙ぎ払い、鬼徹で切り裂く。影は脆いが、すぐに蘇ってくる。進もうとすれば、一体が足に取り付き、別な数体がその拳でゾロの身体を痛めつけた。
埒があかねェ。
床に吐いた唾には血が混じっている。身体中、打ち身だらけだった。今すぐの致命傷にはなり得ないが、相手の数を減らせない以上、いずれは危ないことには違いない。
気づけば、影の数は更に増えている。
今までどこにこんなに居やがった? 近づいてきた一体を鬼徹で袈裟懸けにした時だった。
『それで斬っちゃダメ!』
「何!?」
突然聞こえてきたのは子供の声だった。
それって、鬼徹のことか?
ゾロは今しがた斬った影を見つめ、息を飲んだ。左右に切り裂かれた体が、それぞれに新たな影となって動き出していた。雪走では再生するだけだったが、鬼徹では影は分裂していく。
どうりで一気に増えたわけだ。
妖に力を与える。妖刀たる所以か、とゾロは鬼徹を鞘に納める。けれど、あの声は―――
考える間もなく声はゾロを急かした。
『早くこっちに! 上って来て。早く!!』
「早くって言われてもよ!」
雪走を走らせながら、ゾロはあたりを見回す。その視線が一点で止まった。
梯子がある。
「どけぇぇっ!!」
目の前の二体を刺し貫き、ぐずぐずと崩れだす影を盾にゾロは突き進む。思い切り飛んだ後、片手を梯子に伸ばして何とか取り付くと、下から迫る影の頭を蹴り潰し、左右に湧いて出る影を切り裂き、上を目指した。
天井を切りつけ、体当たりして出たそこは霧の中だった。相変わらず右も左も分からない。
和道は、どっちだ?
そんなゾロの思いに呼応するように、声が響く。
『こっち!』
声のする方に走らせた視界に、影が見えた。それまでに見た影とは違う。霧を固めたように真白な、小さな影だった。あれは―――
『早く! アイツらが!!』
寒気を起こさせる気配に振り向くと、ゾロの開けた穴から影がぞろぞろと這い出してくる。
数知れぬ影達は、這い出しながら互いに融け合い、徐々に一つの塊へとその姿を変えてゆく。
コイツか・・・・俺をここに引きずり込んだのは。
闇色の巨大な蛇の姿が、そこに現れていた。

霧の向こうから蛇はゾロを狙って攻撃してくる。
目の前に現れた巨大な口から長い舌がのぞく。雪走で叩き斬れど、効果はない。床に落ちた影の欠片は時を置かず、本体へと吸い寄せられていく。
「くっ!!」
そのまま、頭を打ちつけようとする蛇をゾロは寸でのところで避けたが、次の瞬間、片足を尾に絡めとられてしまった。

ゾロの足に尾の先を巻きつけ、蛇は嬲るように尾を振り回す。舞い上がった木切れに掻かれ、ゾロの手足に幾筋もの赤い線が走った。
マストの半ば程の高さから蛇は一気にゾロを叩きつける。恐ろしい勢いで床が迫ってくる。その視界の隅にゾロは光を捉えた。
「ぐっ・・・!!」
叩きつけられた格好のまま、ゾロは床に倒れ伏す。それからよろよろと光のほうへ顔を上げた。
『ここよ』
「分かってる」
聞こえた声にゾロは掠れた声で応じた。
思い切り手を伸ばす。硬いものが傷だらけの手に触れた。

そこに居るんだろ、くいな。

手に馴染んだ感触。和道一文字の柄を強く握りしめ、その手を引く。音もなく、刀は鞘から抜けた。
その勢いのまま、ゾロは足に絡まる蛇の尾を切る。
これまでとは違う。斬った手ごたえを確かに感じた。
ゾロには分かっていた。くいなは確かにここに居る。ここに居て自分に力を貸しているのだと。
熱いものにでも触れたように、蛇は慌てて身を捩る。のた打ち回っていた蛇はやがて真正面でゾロを睨みつけた。
ゾロは傍らに転がっていた白鞘を拾い、刀を納め、立ち上がる。それから静かに目を閉じた。霧の向こうで蛇が沈黙に耐えかねたように身じろぎをした。
次の瞬間、ゾロは目を見開く。
「一刀流、居合・・・」
それは、蛇が巨大な口を開けて一直線にゾロに迫ったのと同時だった。
「獅子歌歌!!!!」

蛇の姿がゆっくりと二つに裂けてゆく。それは再生することなく、霧の中に溶けていった。




「ゾロかぁぁーーーーーーーっ!!?」
ようやく三刀を腰に取り戻し、一息ついたところにルフィの声が聞こえてきた。思いの他近い。
「あぁ、こっちだ!!」
ゾロが叫び返せば、霧の向こうで歓声が上がった。

間もなく、見慣れた船首がゾロの視界に入った。
「今、捕まえるからそこに居ろよな!」
船首の上でぐるぐると腕を回すルフィにゾロは待ったをかけた。
「ちょっと待ってろ。まだやることがある」
そうして、ゾロは姿を消す。次の瞬間、ゾロの居る船のマストが大きな音をたてながら傾きだした。
これで、もう流離うこともねェだろうよ。





「そういや、何で俺があそこに居るって分かったんだ?」
チョッパーの手当てを受け、冒険譚を聞きたがる野次馬を追い払った後、そう尋ねてきたゾロにナミは笑顔を向けた。
「霧の中でね、何かチカチカ光ってたの。だからそっちに行ってみたんだけど・・・・・あれアンタの刀だったのね」
ゾロは腰に下げた和道一文字を見つめた。
「おーい、霧が晴れるぞォ!!」
ウソップの声に、ナミはホッとしたように笑う。
「どうなることかと思ったけど、結果、アンタのお陰で助かったわね」
まるでカーテンをくぐりぬけたように、船は霧の中を抜け出す。
そこには青い空が広がっていた。


また、お前に助けられたな。
ゾロは白の鞘をそっと撫ぜる。
どういたしまして。
どこからかそんな声が聞こえた気がして、ゾロは目を閉じて小さく笑んだ。

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