字書きさんに100のお題
荒野に風が吹く。地面にへばりつくように生えた草が乾いた音をたてた。
そこに男が一人、打ち捨てられている。
風が吹くたびに細かな砂利が舞い上がり、男の頬や額を掠めていく。男はそれを避けることも払うこともできない。鉄製の十字架に鉄の鎖。男は他に誰一人としていない荒野に磔にされていた。
そこは、罪人を捨てる為だけに存在する島だった。
街らしい街はない。海軍船だけが訪れる港に、申し訳ない程度に宿があり、店がある。
そんな島に、新たな咎人が落とされてきた。
男は三十路を越えたあたりか、後ろで雑に括った緑の長髪と、泰然とした瞳が印象的だった。
切立った峡谷の向こうに荒野の刑場がある。その向こうは海へと落ちる断崖だった。峡谷にかかる跳ね橋を上げられてしまえば、よしんば磔柱から逃れられたとて出口はない。
生きては出られないことは聞いていように、暴れるでも嘆くでもなくどこか不敵ともとれる表情を見せて男は連れられていった。
その尋常でない様子に、あれは政府上層部の間を暗躍した間諜だ。或いは、数年前に海賊王から離れたという大幹部の誰かだ、などと数少ない島民は噂しあった。
だがその噂話もほんの数日で消えた。いずれ死にゆく者の素性など、彼らにとってはどうでもよいことだった。
そして二週間が過ぎた。
目が覚めた・・・・と言うことはまだ生きているという訳だ。
男は薄く目を開く。代わり映えのしない光景が目の前にあった。乾いた大地に数本の十字架が打ち立てられている。先客に命あるものはなかった。干物のような人の抜け殻が柱にもたれた格好で風に揺れ、ようやく鎖から解放された白骨はただ風に晒されている。
一際強く風が吹き、男は再び目を閉じる。目に塵が入ったとて洗い流す涙はもう出ないのだ。
その時、砂塵の巻き上がる音に紛れるようにして、聞こえるはずのない音が聞こえた。
それは人の足音に似ていた。
長く吹き荒れた風が収まる。束ねた緑の髪がばさりと右の肩に落ちた。
男がゆっくりと瞼を開く。
直後、僅かに見開かれた瞳の中には一人の男の姿が映っていた。
薄汚れたマントで全身を覆ったその男は真直ぐに磔の男を見て、言った。
「どっかで見たような格好だな、大剣豪」
大剣豪と呼ばれた男、ゾロは乾ききってひび割れた唇を歪めて笑う。無精髭が浮く削げた頬が小刻みに震えた。
「まだ、生きてやがったか、海賊王」
枯れた喉は声を出す度にびりびりと痛んだが、ゾロの顔から笑みが引くことはなかった。
海賊王と呼ばれた男は、頭に被った布をばさりと取った。
借り物ではない、今や真実彼の物となった麦わら帽子の下で、ルフィは愉快そうに笑った。別れた時よりもまた幾分男臭くはなったが、変わらない笑顔がそこにあった。
「お前はもうすぐ死にそうだけどな」
あっけらかんと言い放つ口調も変わらない。
「放っとけ!」
憎々しげにそう言って、ゾロは苦笑を浮かべた。
二人の男の口のどちらからも、助ける、とも、助けて、とも言葉は出ない。状況にそぐわない、当たり前の会話が続いた。
「・・・・・・で、何か用かよ」
「いや、最近暇でよ」
ルフィは拗ねた子供のような顔をゾロに見せた。
「遊び相手も見つかんねェし」
それはそうだ。海賊王相手に命のやり取りを遊びで出来る奴などもういないだろう。
頂点に立つと云うのはそういうことだ。
かつてこの手で斬った男も、長く退屈を持て余していた。
「んで、お前に会いたくなった」
また繋がれてるとは思わなかったけどよ、と言ってルフィは、ししし、と笑った。
「どうする? お前」
「何がだ?」
ルフィは小さく首を傾げた。
「このまま死にてェってんなら、折角だ。見届けてやるぞ」
眉根を寄せてゾロはルフィの目を見る。淡々とした台詞だが、目を見れば本気なのだと分かる。
骨ぐらい拾ってやってもいいしな、とルフィは続けた。
ゾロは喉の奥で、くっと笑った。
「相変わらず、悪趣味な野郎だ」
でなきゃ、とルフィは瞳を輝かせる。
「もっかい俺と組めよ」
ゾロは小さく息を吐いてから口を開いた。
「・・・・・どのみち、刀がねェ」
ほんの僅か、口惜しさを滲ませたゾロを見てルフィはニヤリと口の端を上げた。
そうしておもむろにマントの中から取り出したのは、三振りの刀。
「仲間になるんなら返してやるぞ」
「この・・・悪魔め」
「お、悪魔の息子から格上げされたな」
低い声で零したゾロは、ルフィの台詞を聞いて、くくく、と可笑しそうに肩を震わせた。
全く、くだらねェこと覚えてやがる。お互いに。
ゾロは思う。もう一度、例えもう一度共に行ったとしても、あの時と全く同じ熱を得ることはできないだろう。けれどこの男の目を見た瞬間、身体が、心がざわめき、何かがまた目覚めた。それは歓喜に似た感覚だった。
「で、どうすんだ? お前」
「どうするって、そりゃあ――――――」
風が吹く。
干からびた死体と、白骨と空になった十字架の向こう。
そして、荒野にはもう誰もいない。
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