字書きさんに100のお題
ガキの頃から虫捕りは大好きだった。
蝶に飛蝗、甲虫。
けれど決して捕まえなかった虫もいた。
それは、細く頼りない姿で水辺に浮かぶ羽虫。
行方も知れず、ゆらゆらと。空気に溶けてしまいそうなほど薄い羽。
"かげろう"って言うの―
あっという間に死んでしまうから、あれは捕ってはダメよ―
故郷の、懐かしい声がふ、と蘇った。
そう教えてもらわなくとも、手を出す気にはならなかった。
例え指先ででも、触れれば崩れてしまいそうだったから。
どうしてそんなことを思い出したのかは分からない。
立ち寄った湖はにぎやかだった。
寝転がったまま、顔の上に乗せていた麦藁をずらす。
オレンジの髪の航海士は、髪色そのものの明るさで笑っている。
脛までを水に浸したナミは、両手で水をすくい上げている。
周りにいる珍獣達や、きっちりと宝箱に納まっているより珍妙な男に向けて、すくった水を辺りに撒き散らしている。
馬鹿、止めろ止めろという男の声と、からかう様に鳴く獣達。
それに一層華やかなナミの笑い声が重なる。
どうして思い出したのだろう。
すぐに消えてしまう虫の話を。
目の前の女はこんなに楽しそうなのに。
やがてナミは天に向けて水を放り出した。
手の先を離れた水は、光を弾きながらナミの周りに落ちてくる。
それが羽に見えた。
ガキの頃に見たあの虫の。
捕ってはダメよ―
分かってる。知ってる。けどマキノ―
踏み込んだ足に、ザブン、と湖が震えた。
掴んだナミの腕はやっぱり細く頼りなく。
「俺が、捕まえたんだ」
ナミは驚いたように大きな目で俺を見て、それから少しだけ寂しそうに、笑った。
[前頁]
[目次]
[次頁]