字書きさんに100のお題
「短い間でしたがお世話になりました」
本社の廊下を歩くパウリーの目の前で、社長室から女が一礼して去っていった。
またか、とパウリーは内心で肩を竦める。
ガレーラカンパニーと名を変える二年程前からこの男の下で働いているが、その間、秘書は何回変わったっけか?
今年に入って、七つの造船会社を束ねることに成功した社のトップについてパウリーは考えた。優秀で有能なやり手の社長であることは疑いようのない事実なのだが、
それと同時に気まぐれなところも多分にある。スケジュール管理を任された者にとっては扱いづらい上司であることも事実だろう。
「まぁた辞めちまったんですか?」
扉の隙間から顔を覗かせたパウリーにアイスバーグは苦笑を見せた。
「ンマー、そう言うな。ウチも急に大所帯になったんだ。管理するのも一方ならん苦労があるってもんだ」
「・・・・・彼女が嫌になったのはあなたの管理でしょうよ」
「ンマー、生意気な口をきくようになったじゃねェか」
溜息を零しながら歩み寄ってきたパウリーにアイスバーグは渋い顔を向けた。その顔がくしゃりとほころぶ。
「ま、心配するな」
手元の書類を束ね、アイスバーグはトントンとデスクに打ちつけて揃える。
「実はもう次は決まってる・・・・・・・今度も結構な美女だぞ」
からかう口調でパウリーを見上げるアイスバーグに、パウリーは、また女ですか、と顔を顰めた。
「当然だ。社長秘書ってぇのは美女と昔から相場が決まってる」
「どうせ長続きしませんて。女なんて」
そんな憎まれ口を叩いてみせるが、何のことはない。この妙に純なところがある男は、単に女性にどう接していいのか分からないでいるだけなのだと彼の上司はよく分かっていた。
「ンマー、待て待て。今度の秘書は―――――っと」
話の途中でアイスバーグのデスクの端で電伝虫が鳴りだす。アイスバーグは受話器に手を伸ばした。
「あぁ・・・・そうだな・・・・・・・」
受話器を手に軽く頷くと、アイスバーグはパウリーを見てちらりと笑った。
「とりあえずこっちに通してくれ」
何やら企んでいるらしい顔つきのアイスバーグに、パウリーは何やら不穏な空気を感じとった。
「・・・・じゃ、俺ァそろそろドックに戻りますんで」
腰が引けた様子でパウリーは後ずさりする。その背後で扉をノックする音が軽やかに響いた。
「ンマー、どうぞ」
「失礼します」
硬質なと言ってもいい凛とした声と共に扉は開いた。
ぎこちなく振り向いたパウリーが目にしたのは、若い女の姿だった。
銀色の、細いフレームの眼鏡をかけた顔は、ともすれば冷ややかにも思えるほどに理知的な印象を見る者に与える。
シックな黒のスーツをかっちりと着込んだ、美しい女だった。・・・・・・が。
「何だそのハレンチなスカート丈はぁぁっ!!!」
思い切りミニのスカートにはご丁寧にスリットまで入っている。
飛び退った後、まるで天敵に出くわした猫のように背を丸め、パウリーはぜいぜいと荒い息を吐いている。
そんな成り行きを可笑しそうに見守っていたアイスバーグがここでようやく口を開いた。
「明日から正式に俺の秘書になるカリファ嬢だ」
「カリファ、と申します。至らぬところも多々あるかと存じますが、よろしくお願い致します」
目の前で逆上しているパウリーにも顔色一つ変えず、カリファは極めて冷静に完璧な挨拶をしてみせた。
アイスバーグはニヤリと笑うと、パウリーを指差す。
「で、この騒がしいのが」
アイスバーグからその名を聞く前に、カリファが口を開いた。
「一番ドック所属のパウリーさんですね」
「ンマー、何で知ってんだ?」
思わず目を丸くしたアイスバーグにカリファは向き直る。
「昨日お邪魔した際に、こちらの職員名簿をお借りしましたから」
よく見れば、カリファは分厚い名簿を小脇に抱えている。
「本日、契約手続きをすると聞いてお返ししようと持って参りました。中身は全て覚えてしまいましたので」
こともなげに言ったカリファをパウリーは呆然と眺めた。
「・・・・アンタ、覚えちまったってのか? 一日で」
カリファは眼鏡のつるをつい、と持ち上げた。
「これ位でしたら一晩もあれば」
「ンマー、大した逸材だな」
これからよろしく頼むとアイスバーグは右手を差し出す。
「握手は結構ですけど、それ以上の接触はセクハラにあたります」
大真面目な顔のカリファにアイスバーグは苦笑を浮かべた。
「どうだ? 有能な女性だろう?」
契約の手続きは隣室で、との指示を受けたカリファが退出した後、アイスバーグはパウリーに語った。
確かに、たった一晩でこれだけの数の社員のデータを記憶してしまう能力は尋常ではない。
だけど、とパウリーは噛みつくような顔でアイスバーグに訴えかけた。
「あんなに細っこくて、しかもあんなハ、ハ、ハレンチな格好を平気でしてくる女なんざ、海賊にでも狙われたらひとたまりもねェでしょうが!」
「それが、そうでもねェんだ」
あっさりとアイスバーグが切り返す。
「昨日の面接の帰りにな、まぁ、五番ドックの奴等がちょっかい出したんだな、彼女に。そうしたらお前『それはセクハラです!!』てなもんで全員蹴り倒されて全治一週間よ」
アイスバーグは少し困ったように笑んだ。
「彼女は恐縮してたが、まぁ、あいつらにはいい薬だ。工期が遅れるのだけは困ったがな。っと、そうだ。お前、後で五番ドックの手伝いに行ってやってくれ」
やぶへび。
顔を顰めたパウリーの肩をアイスバーグは立ち上がり、ポンポンと叩く。
「頭も切れる。腕も立つ。ウチの秘書にはもってこいだろう?」
「ですがっ!!!」
肩をいからせ、パウリーは声を荒げる。
「あのハレンチな格好だけは俺ァ絶対に認めませんからね!!」
憤懣やるかたなしといった風で出て行くパウリーを見送り、アイスバーグは笑った。
デスクの上にはまだまだ大勢の入社希望者の履歴書がある。
今回は骨のある奴が多そうだ。アイスバーグは発足したばかりのガレーラの未来に暫し思いを馳せた。
夕刻、本来の持ち場ではない五番ドッグで、やたらと外板に蹴躓くパウリーの姿が見られた。
「パウリー、てめェ手伝いに来てんのか、邪魔しに来てんのかはっきりしやがれ!」
大工職長に後ろから拳骨で殴られ、頭を抱えながらパウリーは毒づく。
「うるせぇよ。大体、手前の部下共が助平なのがそもそもの原因じゃねェか!」
いや違う。
さっきから目の前にちらつくあの女の姿。
あの顔!
あの脚!!
見なかったことにしようとしても、どうにもならなかった。
何故だ!?
煩悩を振り落とそうと目の前の板切れに自ら頭を打ちつけるパウリーを、周囲の社員達は奇妙なものを眺める目つきで見つめていた。
きっとあの格好がイケネェんだ。
あのハレンチな服を改めさせさえすれば、こんなにも気になることはねェ筈だ。
服装の乱れは心の乱れ。
あの女が考えを改めるまで、俺は毎日でも訴え続けてやる。
これはその為だ。
そう自分を納得させ、パウリーは社の入口でカリファがやってくるのを待ち受けた。
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