字書きさんに100のお題


  57.白と黒<ヒナ+スモーカー> Date:  

後に『黒檻』と呼ばれることになる女を、スモーカーが最初に目にしたのは士官学校に入った初日だった。
壇上でスピーチをしていたその女については、ちょっと珍しい髪の色をした女だという他にはとくに何を思うわけでもなく、欠伸を一つ噛み殺したところで後列からひそひそと囁く声が聞こえてきた。
女が主席入学したのは長い歴史の中でもこれが初めてだと、その口調にはあからさまな棘が感じられた。

そして二度目。
「わざわざこんな所に連れてきて何の用かしら。私、そんなに暇ではなくてよ。ヒナ多忙」
半ば朽ちかけた物置小屋には不似合いな声が不意に響いた。
先客はスモーカーの方だった。廃屋と言ってもいいそこは、隠れて一服するのには格好の場所だった。
床に積まれた木箱に背を預けて腰を下ろしていたスモーカーは入口からは死角になっている。
どこかで聞いた事のある女の声を取り巻く気配は三つ。その間には、どうにも友好的とは言いがたい気配が漂っている。
面倒なとこに居合わせちまったな。
悪趣味な展開が容易に予想され、スモーカーは咥えていた葉巻を指に戻すし、眉根を寄せた。

人の倒れる音と荒い息遣い。予想通りの展開にスモーカーは溜息をついた。やがて、服が引き千切られる音が耳に届いたが、女は一切声をあげない。
「随分大人しいじゃねェか」
「案外、こうやって主席の座を貰ったのかもな」
ゲラゲラと笑いながら交わす会話の内容から、襲われているのが主席入学の女だと気づいた。
いい加減止めさせねェとな。
立ち上がろうと右足に力を込めたスモーカーは、そのまま動きを止めた。
冷ややかな殺気がみるみるうちに部屋を満たしていく。

何故、こいつ等は気づかない。
スモーカーは愕然とした。目を向けるまでもなく分かる。女が発する殺気に心臓が凍りつきそうになる。
息を潜め、スモーカーは身体を起こすと、殺気の源に目をやる。
床の上に投げ捨てられた制服、剥き出しの形の良い脚の間に男の後姿が見えた。
目の前で死神が鎌を掲げていることも知らず、男は上機嫌で自身のベルトを外しにかかっている。
「楽しませて貰うぜ、主席殿」
女の方へと身を進ませようとした次の瞬間、男の笑みが凍りついた。何かが首に巻きついている。何事が起こったかを考える間もなく男は引き倒された。もがくように自らの首に手を伸ばせば、そこには煙状のものがぐるりと巻きついている。
残りの二人は、目の前で起きた異常事態に女を押さえつけていた手を離し、後じさる。仲間の首に巻きついて離れない煙の出所を探り、男達はそこで初めて、この場に先客があったことを知った。
スモーカーが口を開く。静かだが、有無を言わさぬ口調だった。
「怪我したくなかったら、今すぐ出て行け」


「お礼を言ったほうがいいのかしら?」
女は身を起こし、無残に引き千切られた上着や剥き出しの下肢を気に留める風でもなく髪をかきあげ微笑んだ。
「お前さんに礼を言われる筋合はねェよ。あいつ等にならともかく」
含みのある物言いをする男にヒナは興味を持った。
「気づかれていたかしら?」
「殺すつもりだったのか?」
まさか、とヒナは立ち上がり、ゆっくりとスモーカーのもとへと歩み寄る。
「あんなに鈍いのでは私がわざわざ手を汚すまでもない。遠からず命を落とすことになるでしょうね。ヒナ予言」
それについてはスモーカーも同意である。
「まぁ少しは痛い目をみてもらおうとは思っていたけど。二度とああいう悪さができないようにね」
スモーカーの傍らで足を止めたヒナは、こうやって、と呟いて腕を伸ばした。
次の瞬間、ずしりと重みを増した腕を見てスモーカーは、成る程と低い声で応じた。
鉄の枷が巻きついた腕が輪郭を失う。白い煙は黒い枷を抜け、やがて別の場所で腕を形作った。
「お仲間か」
「そういうこと」
クスクスと笑みを漏らすその顔はどこか楽しげにも見える。スモーカーは僅かに顔を顰め、口を開いた。
「・・・大層な自信だがな。少しは気をつけねェとその内本当に犯られちまうぞ」
「ご忠告、痛み入りますわ。けどね、そんなことは私にとっては大した問題じゃないの」
微笑む瞳に強い光が宿る。
「私を傷つけられるのは私だけ。他の誰に何をされようと何を言われようと一片たりとも傷つくことはないわ。この身も心も」
そう言ってヒナは己の胸に手のひらをあてる。
「その程度の覚悟がかければ此処には居ない。それはアナタも一緒でしょう?」
スモーカーは頷く代わりに、自分の上着を脱いでヒナの肩にかけた。


「私、ヒナ。あなた、お名前は?」
ぶかぶかの上着に袖を通しながら尋ねるヒナに、スモーカーは名を告げた。
「どうやらあなたとは長い付き合いになりそうね。ヒナ予感」
「かもな」
口の端に笑みを乗せて短く応じると、スモーカーは持ったままだった葉巻を咥える。
「では、お近づきの印にさっきの馬鹿共に私の制服を弁償させてきて頂戴」
「何で俺が」
当然の不平を口にするスモーカーに、ヒナはずいと顔を近づける。
「あら? 折角誰にも気兼ねしない喫煙所を見つけたのに惜しくないの? 口を噤んでいてあげてもいいと思ってるのに。ヒナ親切」
どこが親切だ。脅迫じゃねェか。
憮然とした顔で葉巻を噛むスモーカーに向け、ヒナは涼しい顔で、今後ともよろしくと右手を伸ばした。

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