字書きさんに100のお題


  58.散歩 <ゾロ> Date:  

歓声轟く中にゾロはいた。
場所はうらぶれた、だが熱気だけは過剰にある地下闘技場である。
そこがまともな場所でないことは一目で分かる。
リングの周囲にはロープの代わりに鉄線が張り巡らされ、その鉄線についた無数の棘は赤黒く変色している。
それは錆ではなく、長きに渡って染み込んでいった人血の所為であった。
"そこ"は彼好みの場所ではあったが望んで訪れた訳ではない。偶然と勘違いと彼自身の特技が重なった結果、至った状況であった。


停泊中の船を降り、ゾロはさしたる目的もなくぶらぶらと通りを歩いていた。
閑散、と言うのも憚られる程人通りのない通りを幾つか抜け、そして自分以外の全ての人間が予想する通り、帰り道を見失った。
確信を持って進んだ道は袋小路で、立ち止まったゾロは行き止まりの壁を見上げてどうしたものかと首を捻った。
その時、足元石畳が重そうな音をたてて動く。その下には真暗な穴が開いている。
何事かと見つめるゾロの足首を、穴から飛び出した腕ががっしと掴む。
「――!?」
思わず刀の柄に手をかけた直後、穴の中から顔を見せた男に声をかけられる。
「挑戦者の方ですね、あぁもう遅くて心配しましたよ。あと3分で試合始まりますから」
「っておい!?」
気弱な物言いとはうらはらな強引さで、男はゾロを穴の中に引きずり込む。
「これからチャンピオンに挑戦してもらいます。あなたの生死は一切保障しません」
男はゾロに質問の余地を与えぬ勢いで話し続ける。
「けれど、勝った暁には主催が多額の褒賞金を約束します」
男が口を閉じたその時、隋道のような通路が途切れたかと思うと突然スポットライトを浴びせられる。
眩しさに目を覆った次の瞬間、背中を押され、ゾロは場の真ん中へと押しやられる。
そこが闘技場であった。


辺りを見渡せば、ぎっしりと詰め込まれた立ち見の観客が賭札持った手を振り上げて何事かを叫んでいる。
道理で表に人がいないわけだ、とゾロは得心する。

その一画に雰囲気の違う場所がある。
唯一椅子に腰掛けた小男。その隣に大きな袋が置かれたテーブルがある。
あの男が主催らしい。

その時ひときわ歓声が高まり、身体のパーツの全てがゾロの倍もありそうな男がのそりと登場する。
大男は下卑た笑みを浮かべながらゾロに向かい、これ見よがしに馬鹿でかいハンマーを振り回してみせた。
重量感のあるそのハンマーは柄までが黒々としている。どうやらどこもかしこも鉄でできているらしかった。
それを軽々と扱う大男の様に更に沸き立つ観客。ゾロはと言うと眉一つ動かさなかったが。

歓声の中、カン、とゴングが安っぽい音をたて戦いの幕を開けた。

「何だ? びびって動けなくなったか?」
ゲラゲラと笑いながらゾロの元に走り寄り、ハンマーを振り上げた男の表情が次の瞬間驚愕に歪む。
いつの間にか背後回り込んだゾロが、男の振り上げた手の僅かな隙間をぬって刀を差し込んでいた。
その切っ先は男の首に触れ、鋭い輝きを放つ。
「あんまりつまんねぇなら、今ここでぶった斬ってやるぜ」

しん、と静まり返った会場がやがてざわめきだす。
誰もが自分の目で見ているものが信じられなかった。

この闘技場の血は全てあの男が塗り込めてきたと言っても過言ではない。
ハンマーで骨を砕き、素手で殴りつけ、鉄線に叩きつける。
その男が自分の背丈半分ほどの若造にいいようにあしらわれている。

再び退治する二人。
鉄の柄と刃がぶつかり合い、火花を散らせる。
柄を刃に押し当てたまま、男は死に物狂いの表情でゾロを鉄線の方へと押していく。
二歩、三歩と押され、だが鉄線の間際でゾロは止まった。
「これで終わりかよ?」
新たな血を飲み損ねた鉄線を背後にゾロは笑う。
獲物を張り付けにすることに失敗した筈の男はそこでニヤリと笑った。
「お前がな」

―!?―
リングの下から伸びた手がゾロの両足首を押さえつけている。
「これでもう逃げられねぇだろう?」
男は叫びにも似たぬ笑い声をあげ、ハンマーを振り上げる。

今までにないスピードで振り下ろされるハンマー。もはや刀で押し止めることはできないだろう。
会場の全てが男の勝利を確信した瞬間、

キィン!!

澄んだ音と共に鉄のハンマーが真っ二つに割れ落ち、リングをへこませた。
呆然とハンマーの残骸を見つめた男の胸に赤い線が走る。
血飛沫をあげ、男は言葉もなくその場に崩れ落ちる。ゾロは刀を一振りし、刃についた血を払った。

静まりかえる闘技場。抜き身の刀を下げたままゾロは悠然とリングを降りる。
全員が息を呑んで見守る中、真直ぐに主催のテーブルに向かい金袋に手をかけた。
「約束通り貰ってくぜ」
不敵に笑いながらゾロが持ち上げた袋を忌々しげな表情で主催が掴む。
「約束はどうした?」
「うるせぇ」
主催は低く唸ると周りに目配せする。それを合図にゾロを取り囲むように人垣ができる。
「あんなんじゃ足りねぇと思ってたんだ」
手に手に武器を持ち自分を睨みつける人垣を見、ゾロは嬉しそうに目を細めた。
「こっちの憂さを晴らしてくれるたぁありがたくて涙が出るぜ」
そう言ってゾロは手にした刀を持ちかえると、柄に手をかけ、すらりともう一刀を抜いた。



「ったく。あの馬鹿どこで迷子になってんのよ!!」
すっかり出航の準備が出来ている船上では航海士が激しくお冠であった。

「・・・おい、あれじゃねぇか?」
見張り台からウソップの声がする。
誰かに道案内をさせているゾロの姿が双眼鏡を通して見えた。
それから間もなく現れたゾロの姿に一同ぎょっとする。シャツは血にまみれ、その顔にも血を拭ったような跡が伺える。
それでも本人には傷一つないようで、珍しく上機嫌な顔で近づいてくる。

「あんた一体どこで油売ってたのよっ! 全く、今度という今度はっ!!」
ゾロは物も言わずナミの前に大袋を置く。
ナミはずっしりとしたその袋に触れ、その感触に慌てて袋の口を開ける。
袋の中身を見て顔を輝かせるナミに向かってゾロは口を開く。
「許さねぇか?」
「・・・許す〜〜♪」
うきうきと袋を引きずりながら銭勘定に向かうナミをゾロは見送る。
マストから下りてきたウソップは呆れ顔でゾロに尋ねた。
「どこ行ってたんだよ、お前?」
「散歩」
そう言うと血まみれのゾロは晴れやかな顔で笑った。

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