字書きさんに100のお題
飛んできたスティクにぶつかった譜面台はあっけなくバランスを崩し、無様に前へと倒れる。
居所をなくした譜面は宙で右往左往し、やがて地へと落ちた。
あらゆる種類の音がどこかに持ち去られてしまったかのような沈黙の後、サンジはつかつかとドラム奏者の元に詰め寄る。
「何だ?」
見上げるゾロの胸倉をサンジは掴みあげる。
先程見た光景が蘇る。
まだ誰も来ていないリハーサル室にいたゾロとナミ。
振り向かないゾロの背に寄せたナミの頬は涙で濡れていた。
それからリハに入ってもナミは時たまぼんやりして歌の出だしを間違えたりしていたのだ。
「いいかげんにしろ、てめぇ」
呟きほどのサンジの声は、それだけに内に秘めた怒りの大きさを物語った。
ゾロは無言のまま、睨みある二つの視線はぶつかったまま膠着した。
「やめて、二人とも!!」
割って入ったのはナミだった。
泣きそうな顔を無理やりに隠すし、ナミは笑顔を作る。
「今のは私が悪いわ。何かちょっとぼんやりしちゃって。みんなにもゴメン」
ナミは周囲に向け、ぴょこんと、だが深々と頭を下げる。
見せないその顔が今どんな表情を浮かべているのか、それを考えただけでサンジはいたたまれない思いに苛まれる。
サンジはゾロの胸倉を掴んだ手を乱暴に離すとそのまま背を向ける。
「サンジ君!」
呼び止めるナミの声にもサンジは振り返らなかった。
ゾロと並ぶナミの姿を見ていたくなかった。
リハの行われているホールの裏手に公園がある。
寒風に吹かれる夕暮れの公園には人気がなくどこまでも寂しげで、それは今のサンジの気分によく馴染んだ。
貸切のブランコにサンジは腰を下ろす。
そこで初めてサンジは楽器を持ったまま飛び出してきてしまったことに気づいた。
左手のトロンボーンは夕日を浴び、その優美な姿を茜色に変えている。
サンジは腰を下ろしたままそっとトロンボーンを構えた。
哀切を帯びた音色が雑踏の中に、ビルの合間に溶けていく。
「見つけた」
背後から声をかけられ、サンジは振り返る。
ナミは困ったように顔を浮かべているサンジの元へ歩み寄ると、隣のブランコに腰を下ろす。
「楽器を持ってたら行方をくらますこともできないわね」
そう言って笑ったナミはやがて真直ぐな視線でサンジを見つめる。
「どこに居たって曲を聴けば分かるわ。
こんなに胸が痛くなる音を出せるのはサンジ君しか私は知らない」
サンジは笑おうとした。
何か気の利いた冗談を言って笑ってしまおう、と。しかし、思うようにはならなかった。
俺の音が貴女の胸を震わせるのは、俺がいつも貴女のことを考えているから。
明るい曲にはあなたの笑顔を。
穏やかな曲には貴女の寝顔を。
そして愛の曲には貴女への思いを。
「私がサンジ君の一番のファンなんだから」
無邪気で残酷なナミの台詞がサンジの胸を疼かせる。
俺の音を愛してくれる貴女。
けれど貴女が心から愛しているヤツは-
歌うことも忘れてしまう程強く思っているのは
「戻ろ、サンジ君」
サンジは頷いて笑った。今度は上手く笑えた。
それでも―
貴女が誰を見つめていても構わない。例え誰かのものになったとしても。
それでも貴女の傍にいたい。
女々しい奴だと笑われても、それでも貴女を見つめていたい。
言葉にならない思いを音に変えながら。
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