字書きさんに100のお題


  63.NO.1<ゾロ> Date:  

盛り場にある幾つかの酒場の中から、ゾロがその店を選んだのは全くの偶然だった。
しいて理由を挙げるとすれば、その店の看板に目を引かれたからか。年季の入った入口扉の上に掲げられた店の看板。その真ん中に何やら動物の頭蓋骨が取り付けてあった。
一見すると馬のように見える。だが、店先の篝火に照らされた骨の額からは長い角が生えている。見たことも聞いたこともない生き物だった。
一瞬足を止めて、その骨を見上げたゾロだったが、さして興味はひかれなかったらしく、すぐさま店内に足を向けた。

表とさほど変わらない薄暗い店内は思いのほか混み合っていた。
目につくテーブルは全て酔漢で埋まっている。空いているスペースは、カウンターの一席だけだった。空いた席の隣で、一人酒を飲む男を目にした途端、ゾロの全身が粟立った。それは紛れもなく戦場で強者に対峙した時に感じる高揚感だった。
細身で長身のその男は、片肘をカウンターについて杯を傾けている。ただそれだけの男に対して、ゾロはすぐさま刀を抜いて斬りかかりたい欲求に駆られていた。そんな風に思わせる男に出会ったのは久しぶりだった。
思わず柄に向かって伸びた右手を、ゾロが理性で押し留めたその時、男は不意に振り返った。視界の端にゾロを捉えると、それだけで何事もなかったかのようにまた正面を向いた。
押さえ切れなかった殺気をゆるりと受け流され、ゾロは苦笑しながら指の緊張を解くと、男の隣の席へと向かう。無言のまま、椅子に腰を下ろせば僅かに人の温もりを感じた。テーブルには丸く水の輪が残っている。少し前まで、ここに誰かがいたのだろう。
同じく無言のまま一人グラスを傾ける男の横顔を、ゾロは目だけで眺めた。
「俺の顔に何かついているのか?」
静かな声で男は問うた。いや、とゾロは僅かに口の端を持ち上げた。
「どこかで見たようなツラだと思ってよ」
「そいつはお互い様だろう」
ゾロとよく似た笑みを男は返す。改めて正面から見たその顔には確かに覚えがあった。
長い黒髪を後ろで一括りにし、グラスを持つ指の間に挟んだ煙草から紫煙があがる。
ベン・ベックマン。赤髪海賊団の副船長。
ルフィの昔語りに頻繁に登場する男の一人でもあった。

となると、今、自分が座っている場所に居たのは、それはまず間違いなくこの男の連れだ。
ゾロが問うよりも早くベンが口を開いた。
「今日は子守はいいのか?」
からかうような口調に、ゾロは眉を顰める。
「あんたこそ子守はどうしたんだよ?」
「子守しようにも」
そう言って、ベンは可笑しそうにくっと喉を鳴らす。
「さっき相手がむくれて出て行っちまってな」
やはり、この場にいたのはシャンクスだった。それにしても、と疑問に思ったゾロの顔を見て、ベンは口を開いた。
「表の看板は見たか?」
「妙な馬みてェなアレか?」
そうだ、と頷き、ベンは可笑しそうに口元を歪めて話を続ける。
「ウチにゃ、見てきたようなホラを吹くヤツがいてな」
ベンの話に寄ると、クルーの一人に『この世のどこかに一角の獣がいる』と吹き込まれたシャンクスは、この店の看板を見て喜び勇んで店主に入手元を聞いた。情報を出し渋る店主に連日食い下がり、ようやくその正体を知ったのがついさっきのことだという。
「店の親父が大笑いしながら言ったのさ」
ベンは軽くグラスを回す。氷がグラスに当たり、カラリと透明な音をたてた。
「ありゃあ、馬の頭に鹿の角を削ってくっつけただけだってな」
それを聞いたゾロは、くくく、と低く笑いながら肩を揺らした。
「文字通り馬鹿を見た訳か」
「それ聞いて、拗ねて出て行っちまったのさ」
「ガキかよ」
「ガキだな」
笑い含みのゾロに対して、ベンは真顔で答えた。
「まぁ、ウチのも似たようなことしそうだけどな」
ルフィもまた珍品・珍獣には目がない男だ。そんな話を聞いたら是が非でも捕まえたいと言い出すだろう。
「どうせ、その内飽きて食っちまうのが関の山だろう?」
ベンは、昔を懐かしむような表情を覗かせてそう言った。
「あんたんとこだって似たようなものだろうが」
ゾロの言葉に、ベンはふ、と鼻で笑い、肩を竦めた。
「確かにな。敷物にでもしちまうのがオチだろうけどな」
二人はチラリと顔を見合わせ、それから低い笑い声を零した。
「何にせよ、気まぐれ者には苦労させられる訳だ」
苦労を苦労とも思っていない口調でベンは言う。
「似た者同士、今頃鉢合わせしてたりしたな」
「かもな」
「どうなると思う?」
「さあな。どこかで一杯やりだすか。じゃなけりゃあ」
ベンは意味深な笑みを浮かべて続ける。
「一戦おっぱじめるか」
その笑みに応じるようにゾロの瞳は輝く。
「俺はそっちでも大歓迎だぜ」
「ま、気まぐれ者のやることだ。俺にはわからねェよ」
そう言って、ベンは空になったグラスをカウンターに置く。
「そろそろガキの回収に行かねェとな」
立ち上がり、ベンが店主に勘定を払うと、新しいグラスがゾロの目の前に置かれた。
見上げたゾロにベンは薄い笑みを送る。
「子守の先輩のおごりだ。もらっとけ」
「悪ィな」
「末期の酒になるかも知れねェぞ」
不穏な言葉と不敵な笑みを残し、ベンは店を後にした。

街は変わらず、平和な賑やかさで満ちている。少なくとも戦いの気配はどこにもない。
気まぐれな者達はすれ違いもしていないのかも知れない。
ならば、今は正面きってぶつかり合う時ではないのだろう。
それを残念に思う気持ちが大きいことに気づき、ゾロは苦笑と共に残りの酒を飲み干した。

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