字書きさんに100のお題
男と女の間を隔てるのは一枚の扉だった。
「本当にイヤなら鍵かけろよ。そうしたら、諦める」
低く落ちてくる声に、女は弾かれたように顔を上げる。
大きな目を見開き、逡巡した挙句、女は閂に手を伸ばした。
錨を下ろした船が静かに波に揺れる。
酒瓶を手にキッチンから出てきたナミが、船首にゾロの姿を見つけたのは、夕闇が船を包み始めた頃だった。
「あら? アンタ残ってたの?」
久しぶりに停泊することとなった街は中々に大きい。
皆が皆飛び出していったと思いきや、ここに一人残っていた。
「・・・気づかなかったけど、じゃあ他にも誰か残ってるのかな?」
独白に近いナミの問いに、近づいてきたゾロは答える。
「後は誰もいねぇよ」
何気ない動作でナミの手から酒瓶を取り上げると、ゾロは言葉を続ける。
「昼間ぶらっとしてきたが、結構繁盛してる街みてぇだな。でけぇ色町もあったしな」
酒を取り返そうとしていたナミはゾロの言葉に、驚いたように顔をあげた。
ナミの顔を見て、ゾロは意外そうな表情を見せる。
「ここに来るまでが長かったからな。ま、そういうことだ。アイツラ帰ってこねぇよ」
「全く、男って」
頷き、口の中でそう呟くと、ナミはもう一度ゾロを見上げる。
「アンタはいいの?」
そう聞くと、ゾロは薄く苦笑を浮かべる。
「俺は、コイツに金かけてぇからな」
刀を軽く持ち上げ、色町はでかいくせにロクな武器屋がねぇんだ、とゾロは笑った。
その笑みをひくと、ゾロはナミに問いかける。
「お前こそいいのかよ?」
「は?」
首を傾げるナミに、ゾロは人の悪い笑みを向ける。
「お前は溜ってねぇのかよ?」
一瞬の間をおいて、ゾロの言わんとしていることに気づいたナミは一気に顔を赤らめた。
へぇ。
笑い飛ばすか、セクハラだ。慰謝料よこせ位言いそうなものなんだがな。
対処不能でただ顔を赤らめるナミを見て、ゾロは胸の内で笑む。
「お前、もしかして処女か?」
外壁に左腕を預け、ゾロはナミを包むように身を屈める。
「・・・・なっ、そっ、・・・何でそんなことアンタに報告しなくちゃならないのよっ!」
狼狽した挙句、ナミは早口で捲し立てた。きつい瞳でゾロを睨みつけてはみたが、それは答えを言ったも同然の態度だった。
「だったら・・・」
ゾロは更に身を屈める。ナミは頬に自分のだけではない、ゾロの熱を感じた。
「俺が女にしてやろうか?」
そう言ってゾロは笑った。見たことのない笑顔で。
不敵に笑うその顔は、戦いの前に見せるそれとよく似ている。
いつもならそんな風に笑って敵に向かっていくのだが、今は違う。獲物が罠にかかるのを待っているような、そんな笑みだった。
「おいっ」
ゾロが驚きの声をあげる。ゾロを見上げたまま、ナミの膝は崩れていた。
その細い腰をゾロは抱えた。
今までどれだけ一緒にいたと思う。ゾロの身体なんて見慣れたものだ。
そう自身を叱咤しても、思考も身体も意のままにならない。まるで何か細工でもされてしまったかのようだ。
諾も否も答えることができない。ただこの場所から逃げたかった。
「いってぇぇっ!」
何とか持ち上げた片足を、ナミはゾロの左足に落とした。
ゾロの馬鹿に厚い靴にもヒールはめり込み、思わずゾロはしゃがみ込む。
瞬間、身を翻したナミを、それでもゾロは追った。
足がやたらと縺れる。後ろから追いかけてくる靴音がやけに大きく聞こえた。
どうして、どうして、と疑問符ばかりが頭を巡る。何に対する疑問なのかはナミにも分からなかった。
手を伸ばしたゾロの、ほんの指先で扉が勢いよく閉まる。
互いの荒い息遣いは扉に隔てられた。
足元の扉を前にゾロは屈みこむ。取っ手に手をかけ、引けば扉は僅かに持ち上がり、そしてすぐに閉まった。
どうやらナミが向こうで扉を押さえているらしい。
「ナミ・・・」
「うるさいっ!」
ゾロは取っ手を握る手に力を込める。
「開けるぞ・・・」
じりじりと扉は開く。ナミは変わらず扉を押さえ続けている。
「・・・何で?」
ナミの問いかけに、ゾロは扉を引く手を止める。
「何でいきなりこんなことすんのよ?」
抑揚がどことなくおかしいのは、泣いているのからなのかもしれない。
「俺が男で手前は女だ。他に理由がいるか?」
ゾロは息を一つ吐いて続けた。
「本当にイヤなら鍵かけろよ。そうしたら、諦める」
ゾロが手を離したのだろう。僅かに開いていた扉がパタンと閉まる。
今なら鍵をかけられる。
ナミは閂に手を伸ばした。
これをかければゾロはこの場から間違いなく立ち去る。一度口にしたことを違える男ではない。
恐怖と不安は確かにある。あんなゾロは見たことがない。
けれど。
先程の笑みと温もりを思い出せば、自然に身体は熱くなる。
否なのか、と問われれば否、ではないのだろう。けれど・・・・・
思考は無駄に空転し、時間だけが過ぎる。
「開けるぞ」
静かな宣言と共に扉が動き出す。
まだ、間に合う。
このままだと、流されてしまう。
けれど、ナミの手は閂にかかったまま動けないでいた。
流されて、しまう。
そして扉がゆっくりと開いた。
[前頁]
[目次]
[次頁]