字書きさんに100のお題
「大佐、失礼します」
書類を抱え、執務室へと足を踏み入れたたしぎの元に、香ばしい匂いが届いた。
どうやらスモーカーはコーヒーを淹れた直後だったらしい。デスクの傍に立ったまま自分のカップにコーヒーを注ぎ込んでいる。
たしぎの姿を見とめると、スモーカーはその手を止め、書類を受け取る。
「いい香りですね。これだけで目が覚めそうです」
そう言って笑うたしぎに、スモーカーは目線でもう一つカップを持ってくるよう促した。
「だったら飲んでちゃんと目ぇ覚ましてけ」
差し出されたカップに満ちていくコーヒーは、いかにも濃く、そして熱そうだが、湯気と共に立ち上る香りはどこか柔らかだった。
一口飲んで、満足げな息を吐くたしぎを見て、スモーカーは僅かに目を細めた。
「目ぇ覚めたか?」
「はい」
しゃんとした瞳でスモーカーを見上げ、たしぎは微笑む。
それから、両手に包んだカップに目を落とすとしみじみと話し始める。
「大佐って本当にコーヒー淹れるのお上手ですよね」
「あぁ、軍に入る前に喫茶店で働いたことがあったからな」
何気なく口にした、といった風のその台詞は、たしぎを心底驚かせた。
すっかり固まったまま呆然と自分を見上げるたしぎに、スモーカーは苦笑を向ける。
「何顔引きつらせてやがる。冗談だ、冗談」
たしぎは大きく息を吐く。
「あぁ吃驚した。いつも冗談なんか言わないくせに。そういう人の冗談は冗談に聞こえないんです」
生真面目な表情でそう言って、たしぎは、はた、とスモーカーを見つめなおす。
もし、スモーカーさんが喫茶店のマスターだったら・・・・
やっぱりエプロンなんかするんだろうか。
で、客が来たら・・・・・
あの仏頂面のまま『いらっしゃいませ』なんて言うんだろうか。
或いは、意外に満面の笑顔を見せて『いらっしゃいませー』なんて・・・・・・
想像はそこまでで限界に達した。
そんな姿を一瞬でも思い浮かべたが最後、たしぎの脳裏からエプロン姿のスモーカーが離れなくなってしまった。
「・・・・っ、くくくくっ」
片手で口元を押さえてみても、堪えきれなくなった笑い声が飛び出してしまう。
「・・・・どうした? お前」
訝しげに問うてくるスモーカーの顔をたしぎは見ることが出来ない。
「ちょっと、想像したら可笑しくて」
仏頂面でも笑顔でも、いずれにせよ客は腰が引けて仕方がないだろう。
背を丸め、尚も笑い続けるたしぎの首根っこを、スモーカーは摘み上げる。
「笑いすぎだ。お前は」
苦々しげなその表情を見て、たしぎは居住まいを正す。
「失礼しました。けど大佐、そんな怖い顔してたら、いくら美味しいコーヒーを淹れてもお客さん逃げちゃいますよ」
そうしてにっこりと笑い、付け足す。
「もし大佐が喫茶店のマスターに転職されたら、私がウェイトレスをやって差し上げます」
「・・・お前じゃ、客にコーヒーぶちまけるのが関の山だ」
たしぎの頭に軽く片手を乗せ、スモーカーはにやりと笑う。
たしぎが抗議の言葉を口にしかけたその時、二人の耳に海賊船発見の報が届く。
その瞬間、交わされる視線の色が変わった。
「転職の相談はまた今度だな」
「そのようですね」
二つのカップが間を開けずにデスクの上に乗せられる。
「出るぞ」
「はい!」
颯爽と部屋を後にする二人を、少しだけ温んだカップと変わらぬ香りが静かに見送った。
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