字書きさんに100のお題
夕方から降りだした雨は、真夜中には音のない霧雨に変わっていた。
キッチンの丸窓から外を見る。窓から漏れる灯りの先に雨に包まれる二人の姿があった。
声は聞こえない。
まるで、全ての音は細かな雨に吸い込まれていくように。
それでも会話の中身は容易に想像がついた。悲しそうな彼女の顔と、そこから目を背ける男の頑なな背中。
俺はそこから目を離し、紅茶を淹れる用意を始めた。
湯を沸かしている間に、ブランデーとここにある一番大きなタオルを取り出しておいた。
間もなく扉を開ける彼女の為に。
沸いた湯をティーサーバーに注いで、煙草に火をつける。
透明なガラスの中で、紅茶の葉は、くるくると回りながらゆっくりと開いていく。
丁度一本を吸い終わる頃に、扉はゆっくりと開いた。
全身をしっとりと雨に濡らしたナミさんが近づいてきたので、両手にタオルを広げて待った。
目の前で俯くオレンジの髪にタオルを被せ、水気を吸い込ませるように拭いていった。
日なたの匂いのする髪から、今は雨の匂いがした。
重みを増したタオルを腕に掛け、黙ったままの彼女の身体から濡れた服を剥がす。下着まで全て。
真白な裸身からは、やはり雨の匂いがした。
頼りなげな項に、細い両腕にタオル越しに触れる。
時は止まってしまったかのように辺りは静かで、柔らかな乳房の先が寒さにか、硬くなりかけているのが痛々しく思えた。
それから俺は床に膝をついて、彼女の足の先までをゆっくりと拭っていった。
身体をすっかり拭いてしまうと、俺はジャケットを脱いで彼女の肩に掛けた。
「紅茶入ってるけど、飲みます?」
小さく頷いたのを見て、色の付き過ぎてしまった紅茶をカップに注ぐ。それからブランデーを。
「ブランデー、多めに入れといたよ」
そう言ってカップをすすめると、ようやく彼女の表情がほころんだ。
カップに口をつけると、彼女は独り言のように、美味しい、と呟いて顔をあげる。
「私の欲しいもの、何でもお見通しなのね」
「アナタのことなら何でも」
その瞬間、浮かべていた微笑は寂しげなものに変わった。
「サンジ君は本当に優しい・・・・・けど――――」
その続きは言葉にならないままだった。彼女はカップを置いて、俺の胸に額をつけた。
「少し、泣いてもいい?」
「俺がアナタにダメだって言ったことある?」
俺の言葉に、彼女は、ふふ、と軽い笑いを零す。そしてそれはそのまま小さな嗚咽へと変わった。
彼女に残っていた雨と、涙が俺の胸を濡らしていく。
小さな頭を片手で抱き寄せ、俺は窓の外を見ていた。そこには、濡れたまま立っている男がいた。
馬鹿じゃねェのか?
んなぶち殺しそうなんな目で俺を睨むくらいなら、さっさと乗り込んできて彼女を攫っていけばいい。
今ならもれなく"反行儀キックコース"三セットで勘弁してやる。
阿呆みたいな馬鹿力のその手は何のためにあるんだっつうの。
テメェなんか、両手だけじゃなくて口で咥えてくことだってできるだろうが。
それを言ったら彼女も同じか。
よく似ていて正反対な二人。
まるで水と油のようだ。同じような色をして、決して混じり合うことがない。
或いは磁石。
同じ極を合わせれば反発する。逆を向ければピタリとくっ付くのに。
そんなことを考えているうちに、表からゾロの気配が消えた。
そして、そのことに知らず、ホッとしていた自分がいる。
物分かりのいい振りをしていても、まだ手の中に彼女があることに安堵する俺は卑怯だ。
音もなく涙を流し続ける彼女。濡れたシャツが肌に張りついて、雨の匂いが俺にも移った。
やがて、彼女は濡れた顔をあげた。
「抱いてくれる――?」
分かっている。
彼女はほんの少し休める場所が欲しいだけなのだ。
例えば雨に濡れた子猫が木陰に逃げ込むように。
飛ぶのに疲れた小鳥が羽をたたむ枝を求めるように。
けれど、それでもよかった。
「俺がアナタに一度だってダメだって言ったことある?」
そう言って俺は笑った。本当は泣きたかったのかも知れないが。
「一つだけお願い」
手のひらで彼女の頬を拭い、その手でまだ濡れている綺麗な瞳を覆った。
「目ェ閉じててくれる?」
俺の向こうにアイツを見ているその目を消して。それから彼女に口づける。
木陰でも、木の枝でも。
アナタが必要とする何にでも俺はなれる。
けれど、ただ一つ。
"アナタの愛する男"にだけはなれないことに、卑怯な俺は今夜も気づかない振りをした。
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