ぬ : 抜きつ抜かれつ <ナミ+ルフィ・ゾロ・サンジ> | Date: |
妙にギラギラとした熱気に包まれている町だった。
港に堂々と数多の海賊船が停泊しているところは、以前に訪れたジャヤのモックタウンによく似ている。港から見たところ、殺伐とした中にも、モックタウンにはない陽気さが見て取れた。そんなこともあって、あの時、町へ出たのはルフィにナミ、ゾロだったが、今回はサンジも同行している。
何か目的があってのことではない。散策ついでに、どこかで一杯やるかといった気楽な道行である。
日陰者が集う街にありがちな、無秩序な活気がその街にもあった。
陽も高いうちから酔漢が千鳥足で歌っている。そのすぐ脇では小競り合いが始まり、路地に立つ女はやけに露出度の高い服で、艶のある眼差しを通りに向けている。そんな女の姿を目ざとく見つけ、やに下がったサンジに女は意味ありげな笑みを与える。反射的に鼻の下を伸ばして立ち止まったサンジの横を、ナミは肩を竦めながら追い越していった。
目についた酒場の扉を押し開ければ、中は多くの客で賑わっていた。どう見てもまっとうな生き方をしているようには見えない男達が、大声で喚き、笑いながらジョッキを傾けている。扉にほど近いテーブルで、トランプに興じていた男が戸口に立つナミを見て、口笛を吹く。男の好色な視線をサンジが睨み返したところで、カウンターの奥にいる店主らしい男が口を開いた。
「悪いな。今日はこちら様の貸切だ」
店主は目でカウンターの真ん中を示す。そこには大柄な男が一人、腰を掛けていた。
「そっか」
あっさりと応じたルフィが踵を返す直前、カウンターにいた男が振り返った。
男は黙ったまま、ルフィ一行を眺める。その視線がナミで止まった。足の先から頭の天辺まで、まるで値踏みでもするかのように見つめる。その無遠慮な目線に、ナミが眉を顰めたその時、男が口を開いた。
「まぁ、いいだろうよ」
男は右の頬を引き攣らせるようにして笑う。
「別嬪さんの飛び入りは大歓迎だ。そこに座んな」
男は親指で、一つだけ空いていた隅のテーブルを指した。
「分かったな?」
男が一瞥をくれると、店主は心得たように頭を下げた。その様を見たゾロが目を細める。頭を下げた店主のその顔に薄笑いが垣間見えたような気がした。
案内された席に着くと、ナミがホッとしたように口を開いた。
「ちょっと怖い顔してるけどいい人みたいね」
「どうだかな?」
ゾロが低い声で応じる。
「あの野郎、ナミさんに色目使いやがって」
噛み付きそうな顔で戸口を見たサンジは、すぐにナミに向き直ると、満面に笑みを浮かべる。
「まぁ、それというのもナミさんが美しすぎるからで、何てキミは罪作りなんだ。ボクは―――」
止めどなく溢れる愛の言葉を遮ったのは、テーブルに届いた大皿だった。
「うっひょー!!」
皿の上に乗せられた分厚い肉ょ見て、ルフィが目を輝かせる。
「え? 何で? 私達まだ注文してないんだけど」
怪訝そうなナミに、店主が声をかけた。
「こちら様からだ」
カウンターの男がテーブルを見て、手にしたグラスを掲げる。その指に、何やら光るものを見つけ、ナミは男の手元に目をやる。そこには男の風貌には似合わない、大きな宝石のついた指輪がはめられていた。
「何だ。やっぱイイ奴じゃねェか」
早速、フォークを掴んだルフィが嬉しそうに笑う。
「ねぇちゃん。こっちもおごりだ。持っていきな」
店主がカウンターに、なみなみと酒の注がれたジョッキを置いた。
「悪いわねー」
ナミが立ち上がる。
「よぉ、随分気前がイイじゃねェかよ」
カウンターに近づくナミの背中を視界におさめたまま、ゾロはテーブルの下で刀の鯉口に指をかける。
「いっただきまーーーー!!」
隣では、ルフィが大きく開けた口に肉を運ぼうとしている。
カウンターの男は、またもや頬を引き攣らせて笑った。
「まぁ、先行投資ってヤツだな」
男が店主に目配せすると、店主はカウンターの中で、何かを引く動作を見せた。直後、ガタンと背後で響いた大きな音に、ナミは弾かれるように振り返った。驚き見開いたナミの目に、つい先ほどまで自分が座っていた席は映っていなかった。テーブルのあった場所にはまるで切り取られたように、四角形の大きな穴が開いていた。
「・・・・・なっ!!?」
絶句するナミの横顔を見て、店主はニヤリと笑いながら、先程とは逆の動作をした。パタリと音をたてて床板が持ち上がり、穴を塞いでしまう。
「アンタ・・・一体・・・・」
ナミはゆっくりと振り返り、カウンターの男を睨みつける。
男は声もなく笑う。その笑いに呼応するように、店にいる男達も低い笑い声を響かせる。周囲を敵に囲まれながらも、ナミは男を睨み続けている。その胆力に、戸口にいた男はもう一度、今度は賞賛の思いを込めて口笛を吹いた。
「ーーーす!!」
突如、足場が崩れたのは、ルフィがまさに肉に噛みつこうとしたその時だった。
「あ?」
「何だ!?」
「のわっ!!?」
三者三様の声を残して、暗闇へと落下していく。強かに背を打った上に、バラバラになったテーブルと椅子の襲撃を浴びて、ルフィ以外の二人は穴の底で低く呻いた。体勢を整える間もなく、遥か上に見える穴が塞がれてしまう。
真っ暗闇の中、最初に大声をあげたのはルフィだった。
「あーーーーっ!! 俺の肉ぅぅっ!!!」
バタバタと穴の底を手で探るが、どこにもそれらしきものはない。第一、穴の底は細かな砂で、例え見つけたとしても、口に出来るとはとても思えなかった。
「っつぅ・・・畜生め・・・」
立ち上がり、刀の位置を直したゾロが、忌々しげに頭上を眺める。
「肉ぅ〜〜〜〜」
しょげるルフィの頭に、サンジが後ろから踵を落とした。
「言ってる場合か、馬鹿野郎。肉なんかよりナミさんだ」
サンジは穴の側面に手を触れる。隙間なく石が敷き詰めているところを見ると、枯れた井戸のようだった。
どうやって登るか、そんなことを考えたサンジの前でルフィが肩を震わせていた。
「あんの野郎・・・・許さねェ・・・・」
その声は爆発寸前の静かな怒りに満ちていた。
ようやく優先順位を理解したか、そう思ったのも束の間だった。右手を低く引き絞ったルフィは、大喝と共にその手を上空に振り上げた。
「肉返せ、この野郎ーーーーーーーっ!!!」
驚いたのは店にいた男達だった。
脱出不可能な筈の古井戸を塞ぐ床板が、突然下から吹っ飛ばされたからだ。宙を舞う木片を目にし、男達はジョッキを手にしたまま凍りついた。肉、という謎の叫び声と共に、落ちたはずの少年が飛び出してきた時には、皆が皆、口に含んでいた酒を噴き出した。
一同が見つめる中で、ルフィはストンと穴の脇に着地する。
「肉とナミは?」
秘めた怒りを感じさせる抑えた声音は、穏かさすら感じさせる。だが、それに答えることができる者は誰もいない。呆然と静まりかえる店内。声がしたのは、穴の中からだった。
「おい、クソゴム! とりあえずこっから出してくれ。マリモはともかく、俺は出せ!」
「あんだとォ!?」
忘れてた、というような顔で、ルフィはがなり声の続く穴の中を覗く。
狭い中でもめている二つの人影をめがけて、ルフィは両手を伸ばし、難なく二人を掴んで引き上げると、ポイと宙に放り投げた。
三角形を描くように、三人の男達は店内に散る。服についた埃をはたきながら、周囲に目を配ったサンジが目を吊り上げた。
「ナミさんがいねェ!!!」
鍔鳴りの音と共に、刀を抜いたゾロが近くに居た男に鋭い視線を走らせる。カウンターに居た男もいない。
「どこいきやがった? あのデカブツ」
男はゴクリと唾を鳴らし、それでも乾いた笑いを浮かべた。
「言っても意味ねェだろう? どうせお前らはここでやられるんだから、よっ!!」
男が投げつけたナイフをゾロが弾く。それが開戦の合図となった。
死屍累々といった状態になるまで、長い時間はかからなかった。
原型を止めぬ店内で、ゾロは足元に転がってきたボトルが生きているのを知ると、栓を引っこ抜いてそのまま口をつけた。
「やっべ!! 全部やっちまったぞ!」
ルフィがしまったというような顔をする。ナミの居場所を聞き出そうにも、誰一人答えられる状態にはなかった。
「まァ、心配すんな」
口の端に咥えた煙草を軽く持ち上げると、サンジは大股で歩いてカウンターの中を覗きこむ。
「おう、居た居た」
サンジの目に、床に蹲りって息を殺していた店主の姿が映った。
「俺は何も知らん!」
店主はそう言ったきり、口を引き結んだ。
「知らねェはずねェだろうよ。ご大層にんな仕掛けまでこさえてんだからよ」
サンジが眼光鋭く迫っても、男は口を開こうとはしない。
男達は顔を見合わせる。無言のままで方針が一致したことを了解し、サンジが肩を竦めて口を開いた。
「おっさんよォ」
次の瞬間、ルフィの拳が、店主の頬を霞めて壁をぶち破った。
「ぶん殴られんのと―――」
続いて、ゾロの剣が首の皮に触れるか触れないかの位置で壁に突き刺さった。
「ぶった斬られるのと――」
そこでサンジはニコリと笑い、すぐに悪鬼のような形相で男の腰の辺りの壁を蹴りつけた。
「蹴り飛ばされんのと、素直に吐くのと、どれがいい?」
三人の男達がそれぞれの武器を引くと、店主はへなへなとその場に座り込み、懇願するような瞳で三人を見上げ、パクパクと口を開いた。
「長生きするぜ、おっさん」
刀を鞘に納めながら、ゾロはそう言って笑った。
突然目の前が明るくなり、ナミは目を眇めた。
両手を縛られ、目隠しをされて馬車に押し込まれた。身体の傾斜から、大分急な山道を登っている感じがしていた。
そうして連れ込まれた建物の一室。目の前には、あの一団の頭と思われる男がいた。
「一体、何なのよ。アンタ達!! 私をどうする気!!?」
「全く、威勢のいいねェちゃんだな」
男は低く笑い、傍らの椅子に腰を下ろした。
「俺らはこの島をねぐらにしてる海賊みてェなもんだ。まァ、海賊稼業よりは商売っ気の方が強いがな。これがアンタをどうするかの答えにもなるだろう?」
ナミは男を睨みつける。自分をどこぞに売りつけるつもりなのだ、この男は。
男はまたも値踏みするような目でナミを見つめた。
「こういっちゃ何だが、アンタ、俺が捌いた中で一番の上玉だぜ? ちィと気が強すぎる感もあるが、そういう女を従順に仕立てたいなんて金持ちはごまんといるからな」
「それはどうも」
おぞましさ故の身震いを抑え、ナミはせせら笑った。
「随分と余裕じゃねェか。お仲間は助けにはこねェぜ?」
男はナミの頬に手を伸ばす。ナミは不快そうな半眼で、顔を背けた。
「あの穴からはでられねェし、出られたとしても俺の部下が店中にいる。それにここは山ん中にこさえた俺の砦だ。ここだってわんさか部下がいる」
「それはどうかしら?」
ナミは男の目を射るように見つめ、にっこりと微笑んだ。建物の外から騒ぐ声が聞こえてきたのは、まさにその時だった。
「もう、来たんじゃない?」
男は椅子を鳴らして立ち上がり、窓から外に目をやった。その目がみるみるうちに見開かれていく。
山道の向こうから、砦に向かって突進してくる三人の姿が見える。異変に気づいた見張りが三人に向かって駆けていき、武器を振り上げる間もなく吹き飛ばされていった。
男はつかつかと部屋を横切り、送話管に向かって、砦にいる者全員に迎撃の命を出した。
「四億九千七百、よ」
男は振り返り、微笑を浮かべるナミを見た。
「アイツ等の懸賞金額合計。アンタも加勢に行ってあげた方がいいんじゃない?」
「なっ!!」
絶句した男は、それでも額の汗を拭い、笑った。
「だったら、アンタを盾にあの野郎どもを降伏させるだけだ。よっぽどデカイ商いじゃねェか?」
「それは無理」
ここにきて一番の笑みを浮かべ、ナミは後ろ手に縛られていた縄から手首を外した。はらりと縄が床に落ちるのと同時に、ナミの手はスカートを捲る。
形の良い脚に備えた棍を瞬時に組み上げると、そのままの勢いで先端を男の顎に叩き込んだ。
「これだけ時間をくれたら縄抜けくらいできちゃうわよ」
泥棒を甘くみんじゃないわよ。
床に倒れ伏した男の手足を、絶対に抜けない結び方で固め、ようやくナミはすっきりした顔で窓から外を覗いた。
「あらー、やってるやってる」
砦からわらわらと出てくる敵を、ぶっ飛ばし斬り飛ばし蹴り飛ばししながら、三人が我先にとこちらに向かってくるのが見えた。
ま、頑張ってもらいましょう。
ナミは改めて部屋の中を見回す。ナミの趣味ではないが、金にはなりそうな装飾品があちこちに飾られている。随分あくどくやってきたらしい。
外で三人が暴れているお陰で、恐らく砦の中はもぬけの殻だ。
「じゃ、折角だから私は私の仕事をしますか」
優雅に微笑むと、ナミはまず手始めに、伸びている男の指から指輪を失敬した。