あいうえお44題
「なぁ」
「ちょっと待って」
幾度目かの呼びかけに、ナミは判で押したように同じ答えを返す。デスクに向かったまま振り向きもしない。
久しぶりの夜にもつれない女の背をゾロは忌々しげに眺めた。
熱心に筆を走らせている姿を見れば邪魔したくはないという気は起こる。ゾロ自身、トレーニング中に横槍を入れられるのを好まないから、ナミの気持ちも分かる。
分かるが、だ。
一ヶ月ぶりだぞ。
ベッドの上に胡坐をかいて、ゾロは溜息を零した。
手慰みに枕を抱えてみる。ふわりとナミの香りが鼻を擽り、尚居た堪れない気持ちにさせる。
ガリガリと頭を掻いてからゾロは口を開く。
「おい」
「んーー?」
「・・・・先、寝るぞ」
「どおぞー」
もう知るか!!
余りにもぞんざいな物言いに憤然としつつ、ゾロは身体を反転させると、枕を抱えたまま、その大きな背を丸めてゴロリと横になった。コトコトとリズミカルな筆の音が途切れることなく聞こえる。眠気を誘うようなその音も今のゾロを苛立たせるだけだった。
筆の音が間をつなぐ沈黙を破ったのは、またしてもゾロだった。
「おい」
「んーー?」
「帰るぞ」
「どおぞー」
このアマぁ・・・
こめかみに青筋を浮かせながら、むくりとゾロは起き上がる。
舐めてる。完全に舐められてる。
この女は、自分が寝も帰りもしないことを最初から分かっているのだ。実際のところその通りなのだが。
ゾロは枕を撃ち捨てて立ち上がった。
そっちがその気ならこっちにも考えがあると、ゾロは凶悪そのものといった顔でニヤと片頬を吊り上げる。
嫌がるのを抑えつけてなんてのも一興だな、と不穏な色をその瞳に湛え、ナミに近づく。
伸ばしたその手がナミに触れようとした直前、ナミがくるりと振り返り、まさに微笑のお手本といった見事な笑みをゾロに披露した。
「いい子にしてないと、二度と触らせてあげないわよ?」
ぐう、とゾロは息を飲む。ナミの目の前で行き場をなくした右手は、その場を取り繕うように、デスクの上の酒瓶をひったくった。
酒瓶を握り締め、ゾロは心なしか肩を落としてベッドに戻る。
ベッドの上に胡坐、という最初の姿勢に戻り、溜息をついたところでゾロはふと己が身を振り返った。
犬かよ。俺は。
結局のところいいようにあしらわれ、あろうことかしょげている自分にゾロは苦笑を浮かべた。
全く、とんでもねェ女もいたもんだ。
世に魔獣とまで呼ばれる男は、ひょいと肩を竦め、ミルクの代わりにちびりと酒を舐めた。
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