あいうえお44題
も : もうおしまい <サンジvsカリファ> |
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「面白いことしてあげましょうか?」
男のネクタイを、力任せに、それでも優雅に引き寄せた女の顔には妖しい笑みが浮かんでいた。
「反撃しなきゃ・・・・助からないわよ」
そんな死の宣告を下したカリファは、左手で抱えていたサンジの膝から下をするすると撫ぜながら、ネクタイを掴んでいた右手を離した。
すぐさま身構えるべく床についたサンジの右足は、まるで空をきるようにつるりと滑り、途端にサンジはバランスを崩した。
「のわっ!!!」
思わず尻餅をついた後、目の前に投げ出された己の左足を見て、サンジは目を見開いた。
妙な形に変えられた光沢を放つ左足。まるで蝋人形のような。
一瞬の自失の後、サンジはその目を鋭くしてカリファを見上げた。胸のポケットから煙草を取り出し、咥える。火を灯し、役目を終えたマッチを背後に放った。
一つ煙を吐き出すと、その唇の端が不敵な笑みの形を作った。
「能力者か、アンタ」
「面白いでしょう?」
美しい笑みを浮かべるカリファに向けて肩を竦めながら、サンジはやれやれと大儀そうに立ち上がる。
「嵐脚」
立ち上がりざまを狙って叩き込まれた一撃を、右足一本で飛び退り、サンジはギリギリのところでかわした。それまでサンジの居た空間に、はらはらと金の髪が散った。
「面白ェ・・・・・なんて言ってる場合じゃねェなぁ」
背後から聞こえてきた男の声に、カリファは瞳に僅かな驚きの色を浮かべて振り返る。
その眼前に唸りを上げて左足が降ってくる。そのままの勢いで叩きつけられた踵は床を砕く。だが、そこには先に見せたような破壊力はなく、カリファの脚を絡め取ることはできなかった。
僅かに崩れた体勢をすぐに立て直し、カリファはその場を抜け出す。
残されたサンジは、床を砕いた勢いのまま足を滑らせ、思い切り前のめりで倒れた。
「畜生」
サンジが呻く。
「イチイチ決まんねェな」
「ならどうするの? 逃げ出したって構わなくてよ」
笑い含みにそう言うと、カリファは眼鏡のつるに手をかける。つい、と引き上げた眼鏡の奥の瞳が鋭く光った。
「逃げ切れると思うなら、ね」
「誰が逃げっかよ」
サンジは、へっと声を上げて笑った。
「ここで逃げたとあっちゃあ後でロビンちゃんに合わせる顔がないんでね」
「なら、本気でかかってらっしゃい?」
「生憎だが、俺は女に脚はあげねェことにしてんだ」
「・・・・・そう」
カリファはその目を細めてサンジを見下ろす。
何とも甘い男だ。
そして、それと同じくらいに傲慢で愚か。
その言い草がどれ程に相手の矜持を傷つけるのか知りもしない。
まぁ、つまらぬ信念に左右されるプライドなど持たぬ私は、ただその甘さを利用させて貰うだけだ。
表情の消えたカリファの顔に冷たい笑みが浮かぶ。
その信念、いつまで持つか試してみようか?
いずれ人間は己の命を惜しむ。この男の口にする奇麗事を全て引き剥がしてみたいとカリファは思った。
いつ目の色を変えて反撃に出るだろうか。
「嵐脚!」
床についた両手をばねに一撃をかわし、サンジは右足だけで綺麗に着地した。
正面に対峙する女の長い髪がふわりと宙に舞ったかと思うと、次の瞬間、サンジの目の前から掻き消えた。
「剃」
目にも止まらぬ動きの相手を追うべく、サンジは全神経を尖らせる。縦横無尽に走り回るその足音が、ふ、と止んだ。
研ぎ澄ました耳が、空をきる音を拾う。
サンジは僅かに身を引くと、左足を滑らせながら右足を高々と振り上げた。今度こそ、落下点をぶち抜いてあの女の動きを止めてやる。
渾身の力で振り下ろした踵が床に激突する。細かな破片と、煙が舞い上がる。
とったか?
身を起こし、立ち込める煙を見つめるサンジの瞳が、驚愕に見開かれた。
右足の膝にあてがわれた柔らかな手のひらの感触。
薄れていく煙の中に女の姿はなかった。
「同じ手が二度通じるほど甘くはないわよ、私は」
サンジの足元で楽しげに笑いながら、女はその手をするりと滑らせた。
「これでお望みどおり逃げることもできなくなったわね」
悠然と立ち上がると、カリファは、立ち尽くすサンジのネクタイの結び目を軽く突いた。
両脚を塗り固められ、最早堪えることもできずに、サンジはあっけなく背中から倒れた。
「ぐっ!」
強かに背を打ちつけ、息を詰めるサンジに、カリファは容赦なく蹴りを繰り出す。身を捩り、幾つかをやり過ごしたものの、脇腹を思い切り蹴り上げられ、サンジは床を転がった。その後を追うように、火のついたままの煙草が床を転々とした。
「・・・・ってェ」
「嵐脚!」
呻きながら身を起こしかけたところを、今度は逆サイドに蹴られ、サンジはもんどりうって壁に激突する。その衝撃に、身体からは弾けるようにして血が飛び散り、唇からは鮮血が溢れ出た。
大の字で天井を仰ぎながら、荒い息を吐くサンジのもとに、ヒールの足音が近づく。
艶やかながら冷たい笑みでサンジを見下ろし、カリファはすいとサンジの腰を跨ぎ、そこに腰を下ろした。
「さぁ、どうする?」
サンジの上に座ったままで、ゆっくりと腰から胸を撫で上げながらカリファは囁く。
「まだ両手が自由になるわよ」
身を屈め、綺麗な弧を描く唇をサンジに近づける。
「ほら、私の首を締めることだってできる。まだ生き延びるチャンスは残っていてよ?」
誘惑の、その声は甘い。
しかし、サンジは血の滲む唇を歪めるばかりで、その手を動かそうとはしない。
「俺の手は戦いに使うモンじゃないんでね」
そう、と抑揚のない声で呟くと、カリファはサンジの両肩に手を乗せる。はらはらと舞い落ちるカリファの髪がサンジの首筋を擽った。
カリファの手が音もなくサンジの両腕を滑っていく。血と埃に塗れたスーツの布地が硬く塗り固められていく。
サンジの胸にしなだれかかったまま、カリファは目を閉じた。
男の背に腕を回し、能力を解放する。これで、男の自由になるのは顔と腿だけとなった。
カリファはゆっくりと身を起こし、サンジを見つめたまま僅かに身体を反らし、サンジの左右の膝に両手をそれぞれ乗せた。
膝の上からじわじわと撫で上げる。その手が内腿に触れたところで、はた、と止まった。
一瞬、軽く目を見張り、それからカリファはクスリと笑みを零した。
「呆れた」
見下ろす視線を受止め、サンジは不敵に笑う。
「イイ女に身体中あちこち弄くりまわされちゃあね」
布越しに触れた男の形をカリファは指先でなぞる。
死を目前にした男とは思えない。
つまらない男の前言を撤回してもいいとカリファは思った。
「素敵」
真赤な唇で、カリファは艶然と笑む。
「抹殺命令が出る前に一戦お相手願いたかったわ」
「動けるようにしてくれたら――」
サンジは頭上を仰ぎ見た。
「そういう戦いなら喜んで応じるぜ? ここにゃ、ベッドもシャワーもあるしな」
「そうしたいのは山々だけど」
カリファは立ち上がる。
「残念ながら時間切れね」
「そいつァ心から残念」
この期に及んでまだ軽口を叩くサンジを見つめながら、カリファはすうとその形のよい脚を引いた。
「嵐脚!」
一撃目で弾き飛ばされた身体を、立て続けに二撃、三撃目が襲う。壁を突き破り、通路を転げ、頑丈な石造りの柵にひびを入れてサンジの身体は崩れ落ちた。
倒れ伏した異形の身体を引き起こし、胸倉を掴んで立たせる。
薄汚れた金の髪をカリファは優しく撫ぜ、血のついた頬をさする。
「これで終わりよ」
囁きながら顔をそっと寄せ、形を変えられずに唯一残った男の唇にカリファはそっと口づけた。
最後まで我を貫いた、愚かで見事な男。
「さよなら、色男さん」
唇を離すと、カリファはサンジを支えていた手を離す。
ぐらりと崩れるその身体に、至近距離からのとどめの一撃を放つ。
静かな笑みを浮かべ、カリファは奈落へと落ちていくサンジを見送った。
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