あいうえお44題


  よ : 夜明けのうた <サンジ> Date:  



海上レストラン・バラティエの朝は早い。

通路を挟んで向かいの扉が控えめな音をたてて開く。
そろそろ空も白む頃かと、サンジの意識は眠りの中から僅かに浮上した。くるりと巻いた眉が僅かに動く。
起き出したのは、今日の仕込みとまかない当番の男達だ。
幾つかの足音が厨房へと向かって動いていく。これもまた控えめな音だ。
随分と前になるが、朝っぱらから喧しく歩き回った新入りが、寝起きの最悪なコックと一悶着を起こしたことがあった。元来、乱闘を前にすれば血が騒ぐといった性質の野郎ばかりなので、ちょっとした騒ぎもあっと言う間に煽り煽られ炎上する。結果、従業員全員が出張った挙句、オーナーに一人残らず蹴り飛ばされたのだった。
そんなこともあって、朝の移動には細心の注意を払うことがバラティエの不文律となった。
料理以外のことには、とんと無頓着でがさつな大男達が背を丸め、足音忍ばせて歩く様は想像するたびに笑える。毛布に包まったまま、サンジはくにゃりと片方の頬を持ち上げた。
やがて足音が遠ざかると、サンジの意識は柔らかで穏かな眠りの世界へと、再びゆっくりと落ちていく。
やがて、寸胴鍋からはブイヨンの香りがたち、扉の隙間からサンジの鼻腔を擽る。
鶏皮、牛挽き、人参、玉葱、そしてブーケガルニ。
瞑った瞼の裏に、豊かな香気を放つ湯気が浮かぶ。フライパンの中では色とりどりの野菜が踊り、コック達が手にした皿はカチャカチャと軽快に歌う。夢と現実の狭間に浮かぶ、そんな光景がサンジはとても好きだった。


バタン!!
大きな音がサンジを眠りの世界から引き上げた。それは冷蔵庫の扉が閉まった音だった。
ったく・・・モノは丁寧に扱えってんだろうが。
内心で毒づきながら身を起こす。
明け方特有の澄んだ空気を肌に感じる。
どうやらテーブルに突っ伏したまま寝ていたらしい。レシピを考案中などは、店でよくそんな風に寝てしまうことがあった。
欠伸をしながら、がりがりと頭の後ろを掻く手がピタリと止まった。今の今まで眠っていたテーブルに、サンジは見覚えがなかった。
サンジの全身に緊張が走った。
どこだ、ここ。
一瞬の自失の後、状況を把握したサンジは、一気に身体の緊張を解いた。
バラティエを旅立ち、新たな居場所となったのは海賊船だった。
海賊に転身早々、大きな戦いの地となった村で、これから始まる本格的な航海に向け、必要な食材を買い込んで、瓶詰めにしたりラベルを作ったり、そんな作業をしているうちに眠ってしまったようだ。
自分がいるのはメリーという名の海賊船で、バラティエではない。
まだどこか寝惚けているのか、改めて自分にそう言い聞かせてみても、どこか現実感は薄かった。まるで、まだ夢の中にでも居るような奇妙な感覚だった。
目を閉じれば、またいつもの朝の歌が聞こえてくるような、そんな気がした。
サンジはそっと目を閉じる。
直後。
その背後から、ボリボリと何かを齧る音が聞こえてきた。
――――――?
眉を顰めて振り返ったサンジの目に、床にべたりと腰を下ろして巨大なハムに齧りついている船長の姿が映った。

目を丸くしたサンジに、ルフィは口中に頬張った肉の塊を一気に飲み込むと、底抜けに明るい笑顔を向けた。
「腹減ったー! サンジ! メシメシ!!」
見れば、ルフィの周りには空になった瓶だの缶だのが散乱して酷い有様だった。
一晩かけた作業が水の泡。
「てンめェ・・・・・・」
低く唸りながら肩を震わせ、サンジはおもむろに右脚を引いた。
「そんだけ食っといて何が腹減っただ! このクソゴム!!!」
思い切り蹴りつけると、ゴムの身体は面白いようにキッチンのそこらを跳ねて回った。

これからは毎朝んな騒ぎが続くのかね。
天井にぶつかった拍子にルフィが手放したハムを、サンジは片手でキャッチする。
小さな溜息を一つ吐いた後、煙草を咥えた口元に笑みが浮かんだ。

まぁ、そういうのも悪くはねェか。

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