あいうえお44題


  え : 選べるだけの未来を <ゾロ+チョッパー> Date:  


それは、チョッパーにとっては大変な一日だった。
一旦はフォクシー海賊団に身柄を奪われ、戻れたと思えば、今度は海軍大将との戦闘で仲間の二人を失いかけた。
瀕死の二人を集中的に看るその僅かな合間をぬって、ゾロとサンジの傷の具合も看、ようやく一息入れられるようになったのは、夕陽が海へと落ちようとする頃だった。

船首近くで、チョッパーはゆっくりと息を吐き出しながら、うんと両手を伸ばした。
夕陽がメリーの顔に陰影を作る。その横顔はまるで、主が床に伏せっていることを知っているかのように寂しげに見えた。

大変な一日だった。
もしかしたら、今此処に自分は居られなかったかもしれない。
もしかしたら、ルフィやロビンがこの世のどこにも居なくなっていたかもかもしれない。
そんなことを考えただけで、チョッパーの胸は言葉にすることのできない恐ろしいものに冷やりとさせられる。寒さに強いはずの小さな身体が僅かに震えたその時、後ろから何かがこつんと帽子にぶつかった。
「疲れたか?」
振り向けば、そこにはほかほかと湯気の立つカップを差し出すゾロの姿があった。
チョッパーはふるふると頭を振ると、ゾロの手からコーヒーのこうばしい香りがするカップを受け取った。カップを傾ければ、冷えた心にコーヒーの熱さがしみわたり、チョッパーをほっとさせた。
「ありがとうな」
丁寧な口調で礼を言ったチョッパーに、ゾロはちらりと笑みを向けた。
「大したことじゃねェよ。俺が淹れた訳じゃなし」
「それだけじゃねェ」
ん?と眉根を寄せたゾロの怪訝そうなその顔を、チョッパーは見上げて口を開く。
「俺がフォクシーんトコで泣き言言ったとき、叱ってくれたこと」
あぁ、とゾロはそれが既に遠い昔の出来事であるかのように応じた。
「ゾロがああ言ってくれなかったら、俺、いつまでもみっともなく泣いてただろうから」
そう言ってチョッパーはもう一口、コーヒーを飲み、それから躊躇いがちに問いかけた。
「なァ・・・もしもあん時、ゾロが指名されてたらどうしてた?」
「俺がかァ?」
そうだな、と考え込む風のゾロをチョッパーは興味深げに見つめる。ゾロはがりがりと頭を掻きながら口を開く。
「まァ、おとなしく向こうに行くだろうな。約束は絶対だ。仕方ねェ」
「もしもだぞ・・・・もし万が一戻って来れなくなったら?」
すぐにゾロは人の悪い笑みを浮かべた。「そしたら、とりあえず向こうの奴ら全員ぶちのめしてくるか」
肝の据わったいかにもゾロらしい答えに、チョッパーは羨望の溜息をつく。
「ゾロはすげェなァ」
そうして両手で抱えたカップの中を覗くように俯いた。
「俺は、まだまだダメだなァ」
夕陽は海中にすっかりと姿を消し、空には夜の帳が下りてきている。夜闇のように静かな声が降ってきたのは、暫しの沈黙の後だった。
「何とでもなるだろうよ」
その声にチョッパーは顔を上げた。
「先のことなんて何とでもなる。生きてさえいれば、な」
声と同じように静かなゾロの眼差しは、水平線の彼方に向けられている。その目は此処ではないどこか遠くを見つめていた。
戻ってきた視線がチョッパーへと注がれる。
「あいつらのこの先を救ったのは、お前だ」
続くゾロの声音は温かかった。
「お前が居てくれてよかった」
チョッパーは知っている。上っ面だけの慰めなど決して口にしないゾロの言葉は、全てが真実であることを。
これからできるだけ泣かないようにしよう、そんな風に思ったばかりなのに、嬉しさで溢れそうになった涙を、チョッパーはぐっと飲み込んだ。

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