あいうえお44題
海は荒れに荒れていた。
前方に豪雨に煙る島影が見えるものの、その海岸付近では幾つもの竜巻が生まれ、まるで侵入を拒もうとするかのように船へと向かってきている。
引き裂かれた木の枝や、拳ほどの大きさもある石、そして海水を巻き上げた渦が、今まさに船を襲おうとしていた。
大きく波打つ甲板にナミの姿があった。柵にしがみつきながら、迫り来る渦の間隙を縫うべく険しい表情で前方を見つめている。
まるで木の葉のように揺れながらも、船はナミの指示により一つ、また一つと竜巻をかわしていく。
「すぐ舵とって! 右っ!!」
叫ぶナミの声を風雨が掻き消し、その所為で操舵の反応が僅かに遅れた。
一際大きな渦の端が船を掠める。船壁を幾つもの石が打ち、細い木の枝が帆に突き刺さる。
細かな砂に巻かれ、ナミは目を眇める。その瞬間、吹きつけた突風に押され、ナミは思わず半歩下がった。尚もよろめく身体を支えたのは背後から伸びた太い腕だった。
ナミの視線が、肩を掴んだ腕を辿っていく。見上げた視線の先にはずぶ濡れの緑の頭があった。
叩きつける雨粒に顔を顰めながら、ゾロは親指でキッチンを指した。
「お前まで吹っ飛ぶ。中に入ってろ」
「イヤよ!!」
間髪いれずにナミの厳しい声が飛ぶ。
「ここは私の持ち場よ! 誰が逃げたりするもんですかっ!!」
ゾロに向けられる視線には怒りにも似た強い光が宿っている。
それは戦う者の瞳だった。
そうか、とゾロは思う。自分が立ち塞がる敵を斬り倒すのと同じように、ナミは実体のない雲だの風だのを捕らえては利用し、或いは従える。
ならば風雨荒れ狂うここはまさしくナミの戦場だ。
そこから退けとはナミにとっては侮辱ともとれる言葉だったろう。
「悪かった」
敬意をもってそう呟くと、ゾロはナミの肩を引き寄せる。華奢な身体をゾロは自らの頑健な身体で支えた。
「ゾロ?」
戸惑いを含む声で振り向いたナミにゾロは笑ってみせた。
「天気は読めねェが重石ぐらいにはなる」
表情を僅かに和らげ、頷いたナミは全身ずぶ濡れで、乱れた髪はあちこちで頬に張り付き、その頬も砂や埃まみれで酷い有様だった。
それでも――いや、だからこそ――
「いい女だな、お前」
唐突で酷く場違いな台詞にナミは目を丸くする。言葉を発したほうも同じような顔をしている。それはゾロ自身口にするつもりなど毛頭なかった言葉だった。
怒鳴られるか殴られるか。思わず身を竦ませたゾロに、だが、ナミはとびきりの笑顔を向けた。
「島についたらもう一回言ってくれる? 今の台詞」
その笑みの余りの鮮やかさに、再び言葉を失くしたゾロにウインクを一つ残し、ナミは再び彼女の戦場へと意識を戻した。
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