あいうえお44題


  か : 駆け抜けるように過ぎた <バラティエ> Date:  



抜けるような青空の下を一羽の海鳥が渡って行く。
目的の場所に辿り着くと、鳥は羽ばたくのを止めて滑空を開始した。太陽の照り返しできらめく海上に停泊している一隻の船。その上空で、鳥はゆっくり二度旋回し、それから吸い込まれるようにして光る海へと降りていった。

近づいてくる翼の音に気づいたのは、船尾に近い甲板でテーブルクロスを干していた男だった。
甲板の柵の上に降り立ち、男に向けてお愛想のように小首を傾げて見せたのは新聞配達のカモメだった。
「おう! 今日もご苦労だな、クソカモメ!!」
口汚い挨拶とは裏腹に、男のいかつい顔には朗らかな笑みがあった。
カモメのほうも慣れたもので、怯むでもなく一声鳴くと、首から下げた鞄の中にくちばしを突っ込む。新聞を咥えたそのくちばしを男に向けた。
「お? また新しい手配書でも入ってんのか?」
常よりも厚みのある新聞を受け取り、男は折りたたまれたそれを広げてみた。
予想通り中には多くの手配書が挟まれていた。男は新聞を脇に挟み、手配書に目をやった。
一枚、また一枚と大した感慨も無く手配書を捲っていた手が、あるところでピタリと止まった。
「コイツァ!?」
呟く男の目に入ったのは、手配書には全く似つかわしくない笑顔の少年の写真だった。
その下に記された三億の文字に、男は目を見張りつつ、更に手配書を捲る。続くは凶相の剣士の顔。
「コイツも億を越えたか・・・・・ってこたァ」
あのクソ野郎もボチボチ―――――
ゴクリと喉を鳴らし、期待を込めた眼差しで男は手配書を捲った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あァ!?」
調子外れの甲高い声を上げた口は、大きく開いたままで固まった。男はその格好のまま、たっぷり十秒は手配書を見つめていた。
「・・・・・・ぶ!!」
堪らずといった風に男は噴き出す。
「ぶはははははははははははーーーーーーーーーーーっっ!!!!!」
まるで火山が噴火するが如くに男は笑いだした。
その余りの勢いに配達カモメは驚いてバランスを崩した。
柵から転げ落ちそうになったカモメが大慌てで白い羽をばたつかせたのと時を同じくして、階上から男が一人身を乗り出した。
「うるっせェぞ、パティ!! 朝っぱらから何バカみてェに笑ってやがる!!」
甲板で尚も笑い転げているパティを怒鳴りつけたのはカルネだった。
それでもパティの笑いはおさまらない。ヒィヒィと息も絶え絶えで悶えるパティを唖然とした表情で眺め、カルネは呟く。
「何だ? オーナーに蹴られすぎてとうとうオツムにキちまったか?」
パティから目を離すと、カルネは肩を竦め、ふらふらと危なっかしい様子で飛び立ったカモメの姿を目で追った。


瀕死のパティにより届けられた新聞と手配書は、バラティエ中を一瞬にして爆笑の渦に巻き込んだ。その後の、客をも巻き込んでの、長いお祭り騒ぎの一日がようやく終わろうとしていた。


その日の営業の全てを終えたレストランのオーナーの姿は私室にあった。
デスクに向かうゼフの右手には、琥珀色の液体で満たされたグラスがある。戯れにその手をひらめかせれば、なめらかな光を放つ氷がカラリと澄んだ音をたてた。
ふと左手に目をやれば、そこには、かつてはバラティエの元副料理長であり、今は海賊という男の手配書があった。

七万七千といえば、手配初頭の懸賞金としては破格のものだ。いっぱしの海賊なら誇りに思ってもいい。・・・・・が。
かつて赫足と呼ばれた海賊は、ニヤリとその頬を歪める。
その手配書の写真がこれでは泣くに泣けんな。
あの野郎はどんなツラしたろうか。
くつくつと低い忍び笑いが部屋に広がった。

小器用で要領がいいようで、どこか抜けてるというか、ツメが甘いというか。
昔からそんな餓鬼だった。
先走りすぎて要らんことまにまで手やら口やらを出してはどやしつけられていた。

慣れない煙草を吸ってはむせ、吐いては煙に巻かれて涙を流していた子供は、料理と蹴りの腕をめきめきと上げながら成長し、やがて己の夢と負い目の狭間でもがく一人の男となった。

結局のところ――ゼフはぐいとグラスをあおる。
よく冷えた酒は口の中で熱い液体へと変わり、ゼフの喉を心地よく焼いた。
いくら外からどやそうが蹴りつけようが、手前の中にある負い目というものは、手前で決着をつけないことにはいつまで経っても消えはしないのだ。

そう考えるとあの麦わらの小僧が店に来やがったのは、いいきっかけだったという訳だ。
ゼフは、まるで退くことを知らぬ少年の黒い瞳を思い起こした。
あれ位まっすぐな小僧と一緒なら、少々捻くれたあのバカもまっすぐに進まざるを得ないだろう。そう思ったからこそ、アイツを連れて行けと言ったのだ。

そして、その見込みは間違ってはいなかった。

「だろう?」
手配書を目の高さまで引き上げる。
「うるせェよ、クソジジイ」
どこか照れたような懐かしい悪態が聞こえた気がした。
「今度はもっとマシなツラ見せやがれ、チビナス」
小さく呟き、手配書を丸めてしまうべくゼフは手を動かしたが、WANTEDの文字を歪めた辺りでその手を止めた。
やがてゼフは忌々しげな顔にうっすらと苦笑を乗せる。どこかバツの悪そうな顔で、手配書についた皺を軽く伸ばすと、それを二段目の引き出しにそっと仕舞った。

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