あいうえお44題


  く : 繰り返す日々に <ナミ+ルフィ> Date:  


青空に太陽が眩しく輝く。
順風に、船は波間を滑るように進んでいく。

よかった。大丈夫みたい。
新しい船に居場所を移したミカンの木々。つやつやと陽光を弾く緑の葉を、ナミは愛しげにそっと撫ぜた。
ウォーターセブンは造船だけでなく、造園でもよい仕事をしてくれた。出航前の大宴会で顔見知りになった庭師が、島の英雄の新造船に取って置きの土を提供してくれたのだった。
そんなことを思い出しながら、ナミは畑の縁に腰を下ろし、ぼんやりと甲板を眺めた。
白いパラソルのついたテーブルでロビンが本を開いている。だが、ロビンの視線は本には向いていない。足元でチョッパーとウソップが相変わらず馬鹿な話をしているのだろう。大口を開けて笑っている。それを静かに見つめるロビンの瞳は、見ている方がつられて微笑んでしまいそうなほどに柔らかで温かい。

それは、いつもの光景。

ナミは空を見上げた。
ロビンが消え、ウソップが去り、メリーと別れ。そして、ロビンが戻り、フランキーが仲間になり、ウソップが戻り。
そして、メリーは戻らない。

見上げた青空が不意に滲んだ。
何事かと目を瞬かせれば、ポツリと落ちた滴がナミの頬を濡らした。ナミは己の頬に指をあてた。
新たに生まれた滴が中指の先端にぶつかり、それはすぐに指を伝って流れ落ちた。
そこでようやく自分が泣いていることに気づいたナミは、その事実に心底驚いた。
泣くつもりなんて、これっぽちもなかったのに。

今、目の前に居てくれるものへの安堵の思い。既に失ってしまったものに対する悲しみと寂しさと感謝の気持ち。
そして、これから失うかもしれないことへの恐れと儚さ。
区分も難しいような雑多な思いが、一緒くたになってナミの胸で渦巻いていた。
スンと、ナミは鼻を鳴らした。
もやもやとした気持ちに反して、頭は妙に冴えたまま、どうしたものかと対処法を考えていた。
その間も、まるで涙腺が壊れてしまったかのようにポロポロと涙は溢れ続けている。

誰もいない、よね。
ナミは濡れた瞳でそっと辺りをうかがう。
泣いてしまえ、とナミは決めた。整理のつけようのない思いは流してしまえばすっきりするだろう。
そう決めたナミは、思考を止め、後は身体の望むがままに任せた。
ナミ自身感心してしまうほど、景気よく涙は流れ続ける。頬を伝う二筋の流れは、ナミの細い顎で一つになり、そこから絶え間なく落ちる滴は、風に吹かれてぱたぱたと短いスカートからのぞく腿を濡らした。
たまには大泣きするのも悪くないかもしれない。
やけに清々しい気持ちでナミは、泣きながら小さく笑い、それから深呼吸した。
胸いっぱいに閉じ込めた空気をゆっくりと吐き出す。その流れは涙の影響を受けて、不安定に揺れた。
ガサリと背後の木が大きく揺れたのは、ナミが息を吐ききったその時だった。

思わず振り向いたナミの目に、一本の枝に膝をかけた格好でぶら下がるルフィの姿が映る。驚きに目を大きくしたナミは、そこが涙で濡れていることを思い出し、慌てて前を向いた。
「びっ、吃驚させないでよ!!」
声が震えないように、ナミは殊更に語気を強くする。
片手で麦わらを押さえ、逆さまのままぶらぶらと揺れながら、ルフィはまじまじとナミの背中を見つめ、おもむろに口を開いた。
「何泣いてんだ? お前」
「泣いてなんか―――」
いない、と続けようとした矢先、これまで一度も出なかったしゃっくりが、突然ナミの口から飛び出した。
困ったような拗ねたような顔のナミが、きまり悪そうに口を開く。
「女にはね。青空見ただけで泣きたくなることだってあるのよ!」
とっさに口をついて出たでまかせじみた言葉だったが、あながち嘘とも言えない気もしてくる。涙の訳など、説明の仕様がないままだった。
「ふうん」
理解したのか、する気がないのか、ルフィは軽く鼻を鳴らし、ストンと地面に降り立った。
土を踏みしめる音が止まった途端、ナミの視界に影ができた。

ナミの頭の上には麦わら帽子が乗っている。

「それとも胸貸したほうがいいか?」
妙に真面目くさった調子でそんなことを言うので、ナミはつい噴き出してしまった。
「サンジ君みたいなこと言わないでよ」
「そうか?」
密やかな笑い声が二つ重なる中、ナミはそれも悪くないか、と考えていた。ルフィの胸はきっと居心地がいいだろう。
けれど。
ルフィの宝物を独り占めできる機会などそうはない。ナミは帽子のつばを両手で掴み、くいと引き寄せた。
麦わら帽子からは太陽と海、そしてルフィの匂いがする。
まるで、大きな手のひらで頭を撫でられているような安心感を得て、ナミはそっと瞼を伏せた。

不意に、かつて故郷でこの麦わらを被せられた記憶が、ナミの胸を熱くした。
これまで歩んできた全ての日々が今に繋がっている。だから、いま目の前にあるもの全てがこんなにも愛しく思えるのか。

ナミは帽子を掴んでいた手を離し、顔を上げる。
それと時を同じくして、ルフィの手がナミの頭から麦わら帽子を取り戻した。

急に目の前が明るくなったような気がした。
見上げた空は、くっきりとした青を湛えている。
涙はすっかり乾いていた。まるで麦わらに吸い取られてしまったかのように。
ナミは満面の笑みで口を開く。
「いい天気ね」
「おう!」
太陽のように明るく笑い、ルフィは手にした麦わらを己の頭に乗せた。

[前頁]  [目次]  [次頁]


- Press HTML -