*については裏書庫に続きがあります。
表書庫


  Etwas 〜うつろわざる Date: 2003-09-26 (Fri) 


一瞬前まで激しく舞い上がっていた塵、埃、砂煙。
それらが音もなく、ゆっくりと落ちてくる。
「終わった...」
振り上げた拳をゆっくりと下ろしながらナミは呟いた。

突然おとずれた音のない世界。
聞こえるのは、自分の心音だけ。戦いの最中には全く気にならなかったのに。

―そんな余裕なかったしね―

痛みを感じるほど強く強く胸を叩く鼓動。
それは生きていることの何よりの証。

―勝って...生き残れた―

「は、ははは...あははははっ」
妙に乾いた笑いがわきおこる。喉がひりひりと焼けつく。
ただでさえ乾燥しきっているこの国の空気。
その中で走り回り、怒鳴りちらしていたのだから喉が涸れてしまうのも道理だ。

喉の痛みを無視してナミは笑い続けた。
笑ってでもいないと....


下ろした拳が細かく震え出す。
広げた両手が別に意志を持ったかのように動きを止めない。
そしてその震えはあっという間に全身に広まる。

『そこら辺の小娘達といっしょにされちゃ、たまんないのよね!!! 』

―さっきはあんなえらそうな啖呵きったのに―
今度は苦い笑いがこみ上げる。


何だか頭に靄がかかっているようだ。考えがまとまらない。

そんな中、さっきまであんなに激しく感じていた胸の鼓動が足に移ってしまっている
ことにふと気づく。
今は痛みよりも、どくどくという脈動を強く感じる。

傷の箇所に目をやると、血が止まることなく流れ続けている。
流れ具合から察するに、呆然としている間にかなり出血していたようだ。
その血を乾ききった大地は貪欲に飲み込んでいく。

ナミは僅かに震えを残す手で下半身を覆う衣装を引き裂く。
細長い紐状になったそれを止血点に回し、結び付けようとするが上手くいかない。
きつく縛ろうにも紐を持つ両手に力が入らない。

仕方なくナミは傍らに落ちていた棍の一つを手に取り、太股に回した紐の両端を
絡めて数度回転させる。

―これで暫くすれば止まるはず―

徐々に勢いを弱めながらも流れ続けている血。
ナミは立てた片膝に額をつけ、目を閉じる。
長いこと血を見続けた所為だろうか。
網膜に焼き付いてしまったかのように、閉じた瞳に赤が映る。

赤い色。それは、ある男を連想させる。
身に付けているシャツよりも鮮やかな緋を纏いながら戦う男。

そしてその男は今はここにはいない。

「・・・・ルフィ....」
俯いたままナミは小さく呼びかける。

応えは返ろう筈もない。

ナミも分かってはいる。ルフィがどんな相手と戦っているかは。
そして、その強大さも。
直接目にした訳ではないが、あのゾロの胸に巨大な爪痕を残した人物と同等の
力を持つ、そんな奴を敵に回して、あろうことか独りで戦うことをアイツは選んだのだ。

―そんな無茶をする奴の気が知れない―
以前の自分ならそう思ったろう。勝ちの見えない戦は愚かしい、そう思っていた。

でも、今なら分かる。

―あいつは、ルフィは海賊だから―


『自分の命を賭ける覚悟さ』

随分前に聞いた筈のその言葉が、鮮やかに蘇る。
死を眼前に、そう言い放った男。
その不敵な笑みが閉じた瞼にっきりと映る。

―海賊の覚悟―

そんなのは詭弁だと、ナミは思っていた。
他者を傷つけることを正当化する為のこじつけだと。

『殺してやろうか』
激情のままにぶつけた台詞。ルフィはそれを平然と受け流した。

そしてルフィは戦い続けた。
その度に見せつけられるようだった。
あいつが自分の中の『覚悟』を信じる思いを。その強さを。

だから、妬みもした。
自分の為、自分の信ずるものの為だけに生きることが許された男を。
後顧の憂いなく戦って死ぬことができるなら、どんなに幸せかとは何度も想像した。
自分は命を賭けることはできなかったから。

―でも...そんな男に救われたんだから、人生って分かんないわ―
ナミは俯いたまま僅かに笑みを見せた。

けれども今。

―仲間の為に
  私と同じ種の、そして私より重い枷を自らにかけた少女の為に―

自分の命を賭けて闘うことができた。
この戦闘がもたらしたものは、勝利の喜びと自信、そしてそれらを遥かに凌駕する誇り。

―ようやく、これで胸をはって海賊だって、そしてあんたの仲間だって言える気がする―

自分が海賊であることを誇りに思う。
もはやその気持ちは移ろうことはない。


ナミは膝につけていた顔をあげる。閉じていた瞼をゆっくりと引上げる。

足から棍を外し、傷口を拭うときつく縛る。
血の跡が隠れると、瞳に映ろう赤もルフィの笑顔も消え去る。

それでも構わない、ナミはそう思った。
―すぐに会えるから、私達は―

他のクルーは心中密かに、あるいは言葉にしてルフィの身を案じていた。
しかし、ナミには確信があった。

―ルフィは大丈夫。死んだりしない。こんなに海から遠いところであいつが
  倒れることなんてあり得ない―

ルフィが他者に屈することすら想像し難い、いわんや命を落とすことなどをや。
万一命を落とすことがあるとしても、それは海以外では考えられない。
何の根拠もない思いではあったが、ナミは疑いを持たなかった。

―ねぇ、ルフィ..勝って...また海に出よう、私達の楽園に...

  だって私達は海賊なんだから
  だから私は真直ぐに歩いてく

  たとえ目の前にはいなくても、虚ろうことのないその存在

  私に誇りを持たせてくれたあんたの元へ―


ナミは立ち上がるとゆっくりと、しかし確実に傷ついたその足を踏み出した。




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