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表書庫


  雨の追想、邂逅の雨 Date: 2003-09-26 (Fri) 


雨の日だった。


"黒檻"の異名を持つ美貌の海軍本部少尉が帰宅したところ、一人暮しの筈の自宅には先客がいた。

海軍でも尉官以上になると、官舎から出て自宅(といっても借りものだが)を持つことが許可される。
当然住所などは非公開なのだが、その気になればいくらでも調べはつくだろう。
海軍に恨みを持つ輩など掃いて捨てる程いる。ヒナ自身にも既に捨てきれない程の覚えがありすぎて困る位だ。


玄関戸を開けた瞬間に感じた僅かな違和感にヒナの身に緊張が走る。
―賊か?―

音をたてずに扉を閉める。逃げられないように後手に鍵をかけ、気配と足音を殺す。
が、リビングまであと数歩の所で覚えのある香りに気づき、急にヒナは歩調を変え、つかつかとリビングへと入っていった。


「それで・・・・・」
後に続く溜息を構成する成分は、呆れが半分、諦めが半分といったところか。

「家人の許可なく部屋に上がり込むのは、どういった理由があってのことなのかしら」

薄闇の中、背後から声をかけられても侵入者は振り向きもしない。
濡れたジャケットを傍らに、頑健そのものの裸の上半身を外気に晒している。
そのままドカリとソファに腰をおろして悠々と一服つけている。まるでここが自宅であるかのように。

「着任早々の少尉に踏み込まれる覚えはないのだけれど?」

―これで何回目かしら―
ヒナの頭の中で幾つかの支部の番号と街の名が通りすぎていく。
入隊が同時であれば初任地が一緒なのは理解できる。だが一通りの訓練を終えれば、各自別々の支部に配属されるのだ。
数多の海賊が跋扈する時代だ。当然、負傷あるいは殉職によって欠員が出る。故に人員の移動は日常茶飯事である。

であるが。
何もここまで、とヒナは思う。
今回のように自分の赴任地にこの男が配属されてくること。逆もまた然り。
いい加減回数が重なりすぎだ。

全く上は何を考えているのか。

―目付役―
一瞬頭に浮かんだその言葉をヒナは意図的にそして速やかに排除した。

ゆっくりと移動してきたヒナを視界に捕えると、ようやくスモーカーはヒナへと顔を向ける。

「着任の挨拶に―って言ったら信じるか?」

「昇格して冗談の腕を上げたのかしら」
面白くもない、といった風で無表情で切りかえすヒナに、スモーカーはフンと鼻を鳴らしてから口を開く。

「辞令を受け取りに行ったら、最初の言葉が"くれぐれも自重するように"だとよ。ふざけやがって。軍人が敵の前で自重してどうするんだ」
苦々しい表情を浮かべて、虚空を睨みつけている。そこには先の上官の姿が浮かんでいるのだろう。
線の細い、武官というよりは文官のイメージが強い姿。規律と保身を重んじるタイプだ。
規律に保身。軍隊を組織という側面から見れば、それらは必要な条件であろう。しかし、十分条件ではない。
特にスモーカーのような男にとっては。
ヒナは小さい溜息と共に、スモーカーの表情を窺った。

一見、落ちついているようだが、内心は随分かっかとしているらしい。葉巻が猛烈な勢いで灰へと変わっていく。

相変わらず直情的。相変わらず馬鹿正直だ。変わっていない。
それでも、不甲斐ない上官にいきなり掴みかかろうとして営倉行きになった過去を知る身としては、冷静さを取り繕うことが出来るようになった点に若干の成長を認めてやってもいいのだろう。


「・・・で、あなたの鬱憤晴らしに使われてしまったのがアレ?」
ヒナはスモーカーから目を離し、窓の外に視線を送る。

入りしなに感じた気配は一つではなかった。
寝室の軒下には気を失っているらしい男が、縛られたままぐったりと雨にうたれている。

「何だ、気づいてたのか?」
そう言ってスモーカーは上目使いにヒナを見、ニヤリと笑った。

「五百万の賞金首だ。着いた早々にお目にかかれるとは思ってなかったがな」

その外見から否応にも武闘派と見られがちなこの男の頭の中には、脅威的な程に緻密な、そして大量の海賊の情報が積め込まれている。

早くその能力を生かし得る上官に巡り合えればよいのだが。無能な者の下で飼い殺しにされるにはあまりに惜しい。
そう思っているのは自分だけではないのだろう。"狂犬"といわれながらも放逐されないでいることが、彼自身の実力とそれを認めている者の存在を証明している。

あと少し、我を押さえることができるなら、武と文の均衡のとれた理想的軍人になるのだけれど。そんなことを言っても聞くはずはないのだが。

そんな思案に沈むヒナにスモーカーは一言。

「お前、そいつを支部まで引っ張ってけ」

「どうして私が」
我に返ったヒナが眉を顰めて聞き返す。

「今日嫌味を言われたばかりだからな。せいぜい自重させてもらうさ。表向きはな」
余裕に満ちた口調でスモーカーはそう言って笑った。

何者をも恐れない、何者にも怯むことのない不敵で鮮やかな笑みがそこにはあった。



それから
時にすれ違い、時に交錯しつつ幾年月。
戦場を駆り、生き延びる度にあがる階級。それに伴って顔を合わせる機会は激減していった。



そして今、雨の中を船は進む。
男はあの時と同じく背を向け、深々と椅子に腰をかけ紫煙を燻らせている。
ただひたすらに前を見つめながら。

今、再び自分の前に現れた男。
以前と違うのは、それが上の命によるものではないということだ。此度の彼の行動は越権行為も甚だしく、本来であれば軍法会議にかけられたとしても文句は言えまい。

それでも、結果として七武海の裏切りが露呈した訳なのだから、上も強くは出られないだろう。下手をしたらその功績は―

「それよりお前」
二本の紫煙と共に発せられた呼びかけは、ヒナの物思いを一瞬で断ち切った。

「この"人工降雨船"を本部に運べ」

あの日の雨の匂いが蘇ったような、そんな気がした。
―言うことまで変わってないとは驚きだわ―


長いこと待って、待ち続けて。もう戻る気などないのだろう。
また騒がしくなる、とヒナは苦笑を浮かべてはみた。

それでも、内在する心急かされるような思いを否定することは出来なかった。
そしてそれは、あの日に感じた気持ちと寸分違わぬものだった。


あの雨の日と。



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