*については裏書庫に続きがあります。
表書庫


  手の中にひとひらの灰(上)* Date: 2003-09-26 (Fri) 
海軍本部大佐という肩書を持つ女将校は、その時酷くおかんむりであった。

先だって海賊船を一隻逃しはしたが、それ以外の海戦に於いては全戦全勝である。
故に彼女の持つ指揮能力・戦闘力に対する評価は全く損なわれてはいないと言っていい。
悔しい思いは確かにあるが過去の失態を引きずって歩くつもりはヒナには毛頭ない。
それでも、もし次に海で出会うことがあれば前以上に力が入るであろうことは予測できるが。
まぁ、自分が異動にでもならない限り、再戦の可能性はないだろう。
それはそれで残念ではあるが、とヒナは思う。

そもそもあの海賊達には追跡者が既にいるのだ。

そう思った瞬間本人に何の断りもなく頭の中ににあの仏頂面が浮かび、ヒナの眉間の皺を益々深くした。

この私に雑用を押し付けたあの顔が。
更に言えば後始末までもを私に押し付けたあの顔が。
あの子憎らしい顔が。

全くあの男に会うとロクなことがない。
いや、会わずとも、だ。

「偉大なる航路」のどこにいるかも知れない白猟から電伝虫に着信が入ったのは3日前だった。

声を聞いた瞬間に切るべきだった―
等と思ってもそれはもはや後の祭で。



『俺だ』
受話器の向こうから無愛想な声が聞こえてきた。

『・・・・・・・お断りよ』
相手の言葉に先んじてヒナはとりあえず断りを入れる。

頼み事(しかもやっかいな)でもない限り向こうから連絡が入ることなどまずない。
そのことは長年の付き合いで立証済みだ。


『アラバスタの件で本部から出頭要請がきちまった。いい加減しつこくてうんざりするぜ。
お前代わりに行け、場所は・・・・』

『・・・・・・・あなたが呼ばれたんだから自分でお行きなさい、スモーカー君』
うんざりなのはこっちだ、と人の話を全く聞かない男に対し、溜息混じりにヒナは正論を口にする。

『本部指定の島はもう通り過ぎちまっててな。戻るつもりはないしな。
お前、行って上手くまとめてこい』

『・・・だから何故私が』

『お前だってあの件には一枚噛んでるだろう。本部指定の島はお前の縄張りの中だしな。
頼んだぜ。俺達はこれから3〜4日時化に巻き込まれて連絡がつかなくなる予定だからな』

電話の向こうに人の悪い笑みが見えたような気がした。


―どうしてこの男は、こう自分の立場を悪くすることばかり平気で―
思わずヒナはこめかみを押さえた。





そして今、怒りが推進力へと変換され、ヒナは石畳の道を足早に歩いていた。

道は縦横にきちんと整備されている。
武器屋がずらりと並ぶ通り、貴金属を扱う店の通り、食材・飲食店が軒を連ねる通りとこの街には取り扱う品毎の通りがあるのだ。

温暖な気候、それに伴って広範囲に広がる穏かな海域。
それがこの街をして「偉大なる航路」の中でも有数の商業港たらしめている。


―買物にでも来たんだったら楽しいんでしょうけど―
怒りのままに、ヒナはふんと鼻を鳴らす。

結局ヒナはスモーカーの頼みを断りきれなかったのである。
しかもヒナがスモーカーの代理をする、というのは全く私的な話の内で成立した事柄である。
当然通常業務を投げ出して来れる筈もなく、ヒナは貴重な休暇を潰すはめになったのだ。
ヒナにしてみれば、この状況のどこをとっても面白い訳がない。


ヒナが歩いている道の左側。
そこには各所から取り寄せられた野菜やら香辛料やらが目にも鮮やかに軒先や、棚を飾っている。
そして右側にはそれらを惜しみなく使う様々な種類の飲食店。

「手に入らないものはない」とまで言われる街だけに、訪れてくる人の数も半端ではない。

そんな雑踏の中でもヒナは酷く目立つ存在だった。

この海域では美貌の番人としてその名を知るものも多いが、名など知らずとも思わず目を奪われてしまうであろう。

すらりとした長身に光を弾きながら輝く長い髪。
きっちりとした黒のパンツと真白なシャツに身を包み、颯爽と人ごみをすり抜けていく。
切れ長の鋭い瞳は怜悧な印象を与えるが、それでも思わず振り向かずにはいられないほどの麗人である。


その麗人はというと、

―あぁ、これからお歴々を相手に―
この先で自分を待ちうけている会議を思い、半ばうんざりとしていた。

ヒナにとって上官は恐れの対象などではないが、それなりに気は使う。
マイナスになるような言動は避けねばならない。
自分の為にも、あの男の為にも。


―よりにもよってあの男の!!!―
どうしても思考がループしてしまう。

小さく溜息を漏らすと、ヒナは歩くスピードを若干ゆるめ、シャツの胸ポケットに手を伸ばす。
長い指が銀色の薄いケースを挟んで引っ張りあげる。
そのまま片手で蓋をスライドさせ、中から煙草を1本取り出す。

ヒナは煙草を常用している訳ではない。
気分転換だとか昂揚する気分を押さえる為だとかに使うくらいだ。
もちろん今の使用理由は前者である。


煙草の端を唇で挟み、カチリと蓋を閉じる。
そのまま元の場所にケースを戻そうとしてしくじった。

指先から逃げた銀のケースはヒナのシャツの上を滑り、足元へと落ちていく。
そして運悪く、丁度踏み出したヒナの靴がケースを前に蹴り出してしまったのだ。


カツン!!

丈夫な革靴が小さな音をたててケースを弾く。
僅かな弧を描いて飛んだケースはあっという間に地に落ちる。

肩を竦めて拾いに一歩踏み出した瞬間、ヒナの視界からケースが消えた。

グシャリという悲壮な音を伴って、ケースの代わりにヒナの瞳に映ったのはというと、
男物の黒い革靴であった。



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