*については裏書庫に続きがあります。
表書庫
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手の中にひとひらの灰(下)* |
Date: 2003-09-26 (Fri) |
黒い靴のその男はこの陽気の中、全身を黒のスーツでかためていた。
男は靴底に感じた異物感に、下を向いて片足を上げてみている。
それから自分が踏んでいたものを拾い上げると、ゆっくりと前を見回す。
―まさか、こんなところで!!―
その顔を見て、思わずヒナは動きを止める。
黒のスーツに左目を隠したブロンドの髪。
手配書にこそまだのってはいないが、紛れもない、麦藁海賊団の一員である。
―捕えるか―
先の海戦でも顔は見られていない筈だ。
向こうはこちらの素性をまだ知らないであろう。
驚きの表情を隠し、ヒナは何気なく男に近づいていく。
その手が男を拘束するまで、あと3歩、2歩。
間もなく手が届くというギリギリの距離で、男はヒナに気づいた。
目と目が合う。
その瞬間、男の目が驚きに見開かれる。
―感づかれたか!? まさか、もう私の情報まで―
やはり侮れない麦藁海賊団。
体に触れれば勝ちだ、と男に駆け寄ろうとするヒナ。
しかし、そんなヒナを上回るスピードで男が動いた。
「罪深い哀れな男を許し給え、美しい人よ!!」
訳の分からないことを言いつつ、男の方からヒナにすり寄ってきたのである。
瞳を輝かせながら、あまつさえヒナの手をとって。
余りにも意外すぎる男の行動に面食らうヒナ。
並の男では太刀打ちできない程の豪胆さを誇る海軍本部大佐、黒檻のヒナ。
そんな彼女を驚かすことに成功したのは女好きの海賊の一言だった。
―どうやら私の素性は分かっていないようね―
目の前で美辞麗句を奏で続けている男の口を見つめながらヒナは考える。
ヒナの今日のいでたちは勿論海軍からの支給品だ。
だがこの陽気に、階級章のついたジャケットは荷物と一緒に部下に持たせて先に行かせてある。
幸か不幸か。
「貴女のような美しい人の所持品を不覚にも壊してしまったこの僕を許し給え―
もしも許せなくば、どうか僕に相応の罰を―
僕はこの罪を贖う為になら、どんな仕打ちにも耐えてみせよう」
ヒナの手を握り締めながら大仰な振りをつけて男は喋り終えると、じっとヒナの目を見つめる。
―では、ちょっとソコの海軍支部まで・・・って言ってみようかしら―
そんなことを考えてクスリとヒナは笑う。
思わず零れたヒナの笑いに気をよくしたのか、サンジは本格的な口説きモードに突入する。
「では、立ち話もなんですからどこかでお食事でも。なんならお酒でも。
せめてものお詫びに僕にご馳走させて下さい、美しい人」
―さて、どうしたものか―
嬉しそうに答えを待っている男。
それにしてももの凄い状況だ、とヒナは思う。
知らずとは言え、天敵である(しかも、先だってはドンパチやっていた)海軍の将校を口説こうとする海賊なんてこの先きっとお目にかかれないだろう。
「では、いいお店を紹介するわ」
ヒナの中で、目の前の男に対する興味が勝ったようだ。
悪戯な目をしてそう言うと、とりあえずヒナは男の誘いに乗ってみることにした。
つかず離れずの距離を保ちながら通りぞいのとある店に入る。
この街でのヒナの御用達の店だ。
喧騒に満ちたこの街では珍しく、静かで落ちつける雰囲気が好ましい。
店主も店員も勿論ヒナの素性は知っている。
慌てて挨拶をしようとする店主をヒナは軽く手を上げて制する。
「奥、よろしいかしら?
今はプライベートなの、誰が来ても取り次がないで」
店の奥は扉こそないが間仕切りがしっかりしており、ちょっとした個室になっている。
ヒナの向かいに腰掛けながら、サンジは興味深げな顔をする。
「随分、顔がきくんですね・・・・・・えっと・・・・・」
「ヒナ、よ。あなたは?」
当然名前位は知っているのだが、聞かないことには話にならない。
「サンジ、です」
「では、サンジ。私がこの辺に顔がきくのは仕事柄ね」
恭しく現れた店員に二、三の注文をし、傍らにメニューを置くとヒナはそう言った。
「何の仕事を、ヒナさん?」
「それはまだ内緒。サンジは?」
さて、何と答えるものかと楽しみにヒナは待つ。
「俺は料理人ですよ、流しのね」
「流し、言うからにはあちこちを転々としているのね。
では、どこかで会ったことがあるような気がしているのはその所為かしら?」
くすくすと笑いながら口にしたヒナの言葉に、サンジは嬉しそうに身をのりだす。
「そうですか!! いや、実は僕も貴女とは初めて会った気がしないんですよ」
サンジはうっとりと目を瞑り、自分の胸に手をあてながら朗々と語り出す。
「この広大な海の上で出会った二人の男と女。
これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
きっと二人の間には前世からの縁があると思いませんか?」
―正しくはアラバスタからの縁だけれど―
頬づえをつきながら、ヒナは目の前の珍妙な海賊を観察している。
「・・・・・ホントに面白いコね、あなた」
あまりにもあっさりとした感想にサンジの煙草ががくりと下がる。
「いやそうでなくて、なんかもうちょっと色っぽい反応を期待していたんですが」
「それにはもう少し時間をかけねばダメね」
楽しげに笑う美女としょげる海賊の元に、店員の手でワインのボトルが差し入れられる。
「"東の海"のワインじゃないですか!?」
ボトルをみてサンジは、そう小さく叫ぶ。
「"東の海"にいたことが?」
知っていながら、ヒナのちょっとした悪戯心である。
「あぁ、俺"東の海"で長いことコックをやっていたんですよ」
こんなトコでお目にかかれるとは、とボトルを手にし懐かしそうにしている。
―料理人というのはどうやら本当らしい―
少し意外に思いながらヒナはこの街について簡単に説明をする。
「ここはグランドラインの中でも指折りの商業都市よ。
長距離輸送をする船団には海軍の護衛もつくわ。尤も運ぶ荷にもよるけど。
だからこの街では、珍しい物、貴重な物が手に入りやすいの」
「分かった、お姉さんの仕事っ!!」
サンジは瞳を輝かせる。
「貿易関係の仕事でしょう。だからこういう店で顔がきく」
どうだ―自信満々のサンジの顔。
ヒナは可笑しくてたまらないといった風に肩を揺らして笑っている。
「海、ていうのはイイ着眼点ね。でもハズレ」
笑いをおさめると、ヒナは再びサンジを見つめる。
「私のことより、あなたのこと教えて下さる?」
変わったこの海賊への興味は尽きない。
その時、ヒナの足元から電波を受信する耳障りな音が聞こえてきた。
子電伝虫が震えている。
その後には硬い感じの男の声。
『ヒナ嬢、ヒナ嬢。応答願います』
「いいところで邪魔が入ったわね」
ヒナは苦笑すると、失礼と言って席を離れた。
店の入口まで戻ってから用件を聞き出す。
『出席者が間もなく全員揃うとのこと、ヒナ嬢もお早くお越し下さい』
予想していたとは言え、全く無粋な内容だ。
「分かった、担当官には5分で行くと伝えておきなさい」
『了解しました!!』
ブツリと切れた回線。
ちょっとした休暇気分もここで終わりだ。
残念、と思う気持ちがヒナにはある。まだまだ聞いてみたいことがあったのに。
―全くもって、面白い海賊だ―
「どうしました?」
席ではサンジがにこやかにヒナを出迎える。
「何が?」
「顔つきがさっきまでと違うから―」
紫煙を吐き出すと、そう言ってサンジはニヤリと笑う。
「鋭いわね、これから仕事なの」
本当は休暇なのだけれど、とヒナは顔を顰めてみせた。
「えー、マジっすかー!?」
サンジは心底残念そうな声をあげる。
まだ何の借りも返していないのに―と。
身支度を整えながらヒナはサンジを見やり、
じゃあ、とヒナはサンジの咥えている煙草に手を伸ばす。
唇から煙草を取り上げると、おもむろに自分が咥え微笑んで見せた。
「とりあえず煙草の貸しはこれで。
ケースの分は、そうね。私、あなたのことを結構気に入ったから―」
そう言ってヒナは店のナフキンに何やら書き記している。
「これが今晩の私の居場所。借りを返したいならおいでなさい」
サンジの目にはヒナの見せた今日一番の艶やかな笑い。
その顔が一瞬で見えなくなる。
ヒナが手にしたナフキンをサンジの頭に被せたのだ。
「わっ!?」
サンジは慌ててナフキンをとる。
書き込まれた見知らぬ住所をちらりと見てから顔をあげる。
しかし、そこには既にヒナの姿はなかった。
支部へと急ぐ道すがら、いつもよりキツメの煙草を味わいながらヒナは上機嫌だった。
―彼は今夜やって来るだろうか? あの住所をたよりに―
勿論、嘘は書いていない。
あそこに記されているのは紛れもない、海軍支部内の官舎の住所だ。
海兵の出入りする建物の近くで唖然とするだろう男の顔を想像しただけで可笑しくて仕方がない。
―それでもやって来るだろうか? 私に会いに―
長くなった灰が自らの重みに耐えかねて、ほろりと落ちる。
落ちた灰が服にかかる直前、ヒナの手がその灰を掴む。
―それとも、儚い思い出になるのかしら?―
どちらに転んでも悪くはない。
そう思いながらヒナは掌を返すと、手の内の灰を吹き飛ばした。
脆い塊はあっという間に形を崩すと、宙にとけて消えた。
まるで淡雪のように。
終
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