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表書庫


  疵と癒* Date: 2003-09-26 (Fri) 

雨が降る。

優しい雨音が聞こえる。




最後の雨から3年。
敵陣に身を置いて2年。
その間何度となく夢にまで見たこの光景。


―まだ信じられない―
ぼんやりと窓の外を眺めながらビビは思った。

生きてこの雨を眺めていることが。
この国が、自分の母国でいられたことが。
そして、
自分を仲間だと言ってくれた者達が欠けることなく寝息を立てていることが。

様子を見に来たイガラムが去って半刻、折角整えられたベッドも元の木阿弥で。
ある者は上下逆さまに、ある者はベッドの下で熟睡している。

その様を見て、自然とビビの口元に笑みが浮かぶ。


―やっぱり信じられない―
こんなに穏かな気持ちで過ごせる夜が訪れたこと。
それがこれから先も続くのであろうこと。
それに・・・

―こんな夜をどうかこれからも―
そんな願いを雨にかけた時、階下から僅かな物音が聞こえた。

ビビは瞬時に立ち上がると、窓際に身を隠す。
物音は下のテラスからか。
ビビはそっと窓から下を覗く。
闇に慣れた目が人の姿を捉える。

―残党か?―

一瞬にしてビビの身に緊張が走る。
今日は王宮中が疲弊している。警備に穴があったとしても責められない。

とはいえ、侵入者であれば放置する訳にはいかない。
いまだに不安定な国内。父に、国王に万一のことがあれば、再び国が乱れる恐れがある。

人影は一つだ。
ビビは静かに部屋を出、階段を降りた。



テラスを見渡せる窓を覗くと、安堵の溜息と共にビビの体から緊張の色が抜ける。
そこにいたのは、先程最後に脳裏を掠めた幼馴染だった。

体中を包帯で巻かれた姿で雨中に佇むコーザ。
すぶ濡れのまま、胸の前で広げた掌をただ呆然と見つめている。

「・・・コーザ?」
躊躇いがちの呼びかけに、ゆっくりと振り返るコーザ。

驚いた風もなくビビの姿を認めると、その背をテラスの囲いにもたれさせる。

「・・・・・雨、だな・・・・・」
そう言うと、コーザは黙って俯く。
雨音が沈黙の合間を埋めていく。



「昔を思い出していた・・・まだ俺がアルバーナにいた頃を・・・・・」
間断のない雨音の所為か、コーザの口調は酷く不安定であった。


「・・・雨の中を、お前を連れ出して―
その後滅茶苦茶に怒られたっけな・・・・・ペルに―」


今はもう亡き人の名にビビはビクリとその身を震わせた。
「コー・・・」

「そのペルも、もういない・・・
俺達が・・・俺が殺したようなもんだ、この手が―」

低い呟き。身を包む闇より尚深い絶望を纏わらせ、コーザは続ける。


「俺はこの国から、そしてお前から...多くのものを奪った。奪いすぎた。
なのに誰も俺を裁こうとしない」

絶望がコーザの言葉を、身体を侵していく。
開いていたその手を、コーザはきつく握り締める。その拳が細かく震えている。

「コーザ・・・・」

「触るなっ!!」

厳しい程の拒絶の言葉に、伸ばしかけたビビの腕は大きく震え、止まる。

もう少し、ほんの少し手を伸ばせば触れることが出来るのに。
ビビの指先とコーザの身体。
その間には永遠に辿り着けないかのような空間が在るように感じられた。


「触るな・・・・」
重ねての拒絶は力ないものだった。

「俺は・・・・お前を・・汚したくない―」
そう呟くと、コーザは握り締めた拳をゆっくりと下ろした。


「俺の手は血にまみれてる。生きてる内には落ちない血に―」
胸を抉るような苦痛に耐えられないのか、コーザは辛そうにその瞳を伏せる。

「王は皆に生きろ、そう言った。だが俺は、俺には―」
伏せた瞼が震える。

「壊れたものはまた作り直せばいい、でも、死んだ者はどうあがいたって戻っては来ない。俺の指揮の下で大勢が傷つき倒れた―
なのに俺はこうして生きてる、ペルだって―」

血を吐くようなコーザの想いにビビは思わず俯いた。


「この命を投げることで全てが戻るのなら、俺は喜んでそうするのに―」

「コーザっ!!」
ビビは目を見開き、コーザに詰め寄る。

「許さない、死ぬことで裁かれようなんて私が許さないわ、コーザ」

瞳を伏せたまま、コーザの表情は動かない。

「ペルはこの国を守って戦って逝ったわ、笑ってね。
けど貴方だって、貴方だって命を賭けたんでしょう、この国を救う為に―」

その言葉に、コーザは目を開ける。

「貴方とペルに何の違いがあるって言うの。
私は許さないわ、これから先、貴方が貴方の戦いを貶めることを」

それでも、コーザはビビを見ようとはしない。
その瞳に映るのは、いまだ晴れない絶望の影。

「私を汚したくない、ですって! 私の手にだって落ちやしない血が染みついてるわ。
私は2年も敵方にいたのよ。自分の国を滅ぼそうという敵の手助けをしながらね」

一息にそこまで話すと、ビビは大きく溜息をついた。


「妙な話だけど、敵の中にもイイ人はいたの」

そう言って伏せた瞼の裏に、懐かしい"かつての仲間"の顔が浮かぶ。

「島を脱出する時に、最後の最後で私を助けてくれた―
命令違反には厳罰が待っているのを知りながら。私を仲間と呼んで。
でも私は彼らを切り捨ててこの国に戻ってきたの」

辛い思い出はビビの眉間に深く皺を刻ませる。
"あなた達がうちの社員にしたこととどう違うのかしら―"戦いの最中、敵の一人に言われた言葉が棘のようにビビの胸に刺さったまま抜けないでいた。

―分かってる、この手が、この身が綺麗なままだなんて思ってやしない、けど―


「さっき部屋でずっと思い返してた、この2年のことを・・・」
ビビは俯いたまま、続く言葉を探した。

「敵も味方も、それぞれの目的を持って戦ったこの2年を。
敵は理想郷のために、軍は国を守るために、貴方は民を救う為に、そして私は国を救おうと戦い続けたわ。
皆が皆、血を流しながら―
私はその血を無駄にはしたくない。後悔も。
だから誰にも自分が戦ったことを恥じて欲しくないの―
勿論、貴方にも・・・・それに―」

そこで一旦口をつぐみ、ビビは真っ直ぐにコーザの目をみつめる。

「例え貴方の手が血にまみれていても・・・・・
私は、それでも貴方が生きててくれたことが、生き残ってくれたことが嬉しい。
これから貴方が生きてくのに、私のこの気持ちは支えにならない?」

ビビは握り締めたままのコーザの拳にそっと触れる。
瞬間、コーザは身を強張らせたが、そのまま黙ってビビの手に自らの拳を預ける。


「俺・・・俺は・・・・赦されるんだろうか―」
訥々とコーザは言葉を紡いでいく。

「生きてこの国に在ることを・・・お前の傍に在ることを―」


力の込められたままの拳。ビビはゆっくりと一本一本その指を開かせていく。

「誰も・・・貴方を赦さない人なんていない、私はそう思う。・・・けど、
 どうしても、貴方がどうしても自分を許せないのなら―」

開いたコーザの掌に血が滲んでいる。
あまりにもきつく握り締めていた所為で、爪は皮膚を破り、主の身体を傷つけていた。

掌から零れるのは赤い雨垂。


「言っていいから、コーザ。何度でも、自分を許せないって―
その度に私は貴方を赦すから・・・
貴方が百回自分を許せなく思うのなら、私は百一回貴方を赦すから―」
 

いまだ血を流すコーザの掌。
ビビは構わずにその手を自らの頬にあて、微笑む。


「だから生きて、お願い、コーザ。
"死ぬなんて言わないで"―それが小さい時からの私の願いなんだから―」
 
震える声。
その声が止んだとき、微笑むビビの瞳から涙が溢れ、コーザの傷ついた手を温かく濡らした。

雨粒と共に流れ落ちる涙を、その瞳を見つめながらコーザは思った。
再会してから真っ直ぐにビビを見つめることが出来たのは、これが初めてではないかと。


「・・・・・・・・・ありがとう―」

謝罪でも悔恨でも言訳でもなく。
今の自分に口に出来る唯一の言葉。
それ以外に言うべき言葉をコーザは見つけることが出来なかった。

ビビの頬から手を離し、コーザはビビの背に腕を回す。


雨はすぐさまビビの頬から血の跡を洗い流し、その身を穢すことはなかった。




雨が降る。

乾き、ひび割れた大地を癒すように。

優しい音と共に雨は二人を包み込む。




雨は降り続く。

疵つき血を流す心を、洗い清めるように優しく―



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