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表書庫


  回帰線 Date: 2003-09-26 (Fri) 


真っ直ぐに天に伸びた6本の腕。そこに印された仲間の証。
それを目にした時、胸を二つに分かつ線が一瞬でかき消えた。

そう感じた。



行くか留まるか―
皮肉にも、平穏を取り戻してよりビビの心は大きく揺れ動いていた。
留まるか行くか―

『・・・ねぇ、みんな・・・
私・・・・・どうしたらいい・・・・・・?』
決めかねて、決めあぐねて。
自分の発した言葉にビビは内心驚いていた。
これまで、己の成すべきこと、己の進むべき道は自分で決めるべしと教えられてきたのだ。
そして自分はそれを実践できると思っていただけに、その驚きは尚一層強かった。
そして与えられたのは12時間の猶予と海賊への誘いの言葉。
考える時間は今夜一晩。
夜明けには自分の身の振り方を決めなければならない。

人知れずに海賊達が去って既に数刻が経っている。
隣で眠るカルー以外に誰もいなくなった部屋は閑散として心もとない。
どこまでも静かな闇の中、きんと静寂の音がビビの耳に鳴り響く。
それがビビにはやけに気になった。
彼らと共に過ごした日々、こんな音が気にかかったことがあったろうか。

陽気で賑やかで、強くてそして何より優しい者達。
様々な冒険を、泣くも笑うも共にしてきた者達。
たまたま船に乗ることになった自分を仲間と呼んでくれた者達。


―では、一緒に船に乗ることがなくなったら―
言い知れぬ恐怖がビビを包み込む。
温かな筈の掛布の中でビビは思わずゾクリとし、その身を抱きしめた。


まんじりともせずいるうちに射し込む日の光を感じ、ビビは半身を起こした。
窓の外は白々と明るい。今日も良い天気になりそうだ。
カルーを起こさぬようにそっと寝床を抜け出し、ビビは窓から城下を眺める。
其処彼処に痛々しくも戦いの傷痕を残す街並。
それでも、
朝市の準備を始めている人々、道端で露店の準備をする初老の男性。
その傍らで果物だろうか―品物を並べていく婦人とおぼしき女性。隣で別な露店を出している若い男性とその子供。

今ビビの目に映る人々の表情は明るく、翳りがない。
自分が国を出る直前には皆が倦み疲れた顔をしていたものだったが。
きっとこれからアラバスタの国民は新しい平和な未来を目指して邁進していくに違いない。
ビビはそんな自国の民を、その逞しさを誇らしく思った。

そう思えばこそ―
眼下より視線を戻し、真っ直ぐに前を見つめるビビの顔は驚くほど静かだった。



脇目もふらず疾走するカルーと正装のままのビビ。
東の港タマリスクまでの所要時間はおおよそ4時間。

―もうすぐ・・・もうすぐ彼らに会える―
しかし、港に近づくにつれビビの表情は複雑なものとなっていった。

会って言わねばならないのだ、別れを。自分の口から。
きっと彼らは自分が船に乗るつもりでやって来たと思うだろう。
これから自分はその期待を裏切ることをするのだ。
それでも、どうしても会わずに済ますことはできない。
一生一度の立志式に身代わりを立てることとなっても。


昨晩二つの選択肢を考えている間じゅう、ビビは心が二つに裂かれるような気がしていた。
国を愛する気持ちと仲間を失う恐怖と。
国を選べば仲間は去り、仲間を選べば国を捨てることになる。
共に成り立たつことのない愛すべきものが二つ。
そしてビビは国に残ることを決めた。
愛する国民と共に、微力ながら再興に力を尽くそうと。
何故なら、自分の旅は戻る為の旅だったからだ。
反乱を止める為に、BWの侵略を止める為に戻る旅だったのだ。

彼らとは違う。

表情のないままビビは仲間のことを考える。
何度となく話してくれたそれぞれの旅の目的を。

―ある者は大剣豪。
ある者はオールブルーを見つける為。
ある者は勇敢な海の男目指して。
ある者は世界地図を完成させる為。
ある者は師の遺言により。

そして、あの人は海賊王に。
私とは違う。
彼らの旅は行く旅だ。進む為の旅。

だから
彼らと共にする私の旅はここで終わる―



そして12時。
国民に向かって静かにビビは語りかける。
その瞳に見慣れた愛しい海賊旗が映る。
船に向かって大声で呼びかけると、クルー達が甲板で喜んでくれているのが分かった。
その瞬間、一瞬だけビビは辛そうな表情を見せ、それから笑ってまず告げた。
さよならを。
それからどうしても直接会って聞かなくてはならないことを。
意志の力で保たれていたビビの笑顔がそこで崩れる。
一旦零れた涙は次々と楽しかった思い出を呼び起こし、更なる涙を誘う。
気を抜くと涙に負けて出なくなってしまいそうな声をビビは振り絞る。

『いつかまた会えたら!!!
もう一度仲間と呼んでくれますか?』

嗚咽混じりの震える声。
精一杯の思いを込めてビビはでそう叫んだ。


待てど返らない応えと自分に背を向けるクルーの姿。
その場にただ立ち尽くすことしかできないビビの耳に聞こえてくるのは風と波の音だけ。
飲み込まれそうな悲しさと押しつぶされそうな恐怖の中、ビビは大きく両の目を開く。


ビビの踏み込めぬ波の向こう、その先で。
真っ直ぐに天に伸びた6本の腕。そこに印された仲間の証。

沈黙のうちの応えに、ビビは無意識に自らの左腕を上げる。
隣ではカルーも泣きながらその羽を伸ばしている。

真っ直ぐに天に伸びた8本の腕。そこに印された仲間の証。


―消えてなくなったのは私の不安。
ようやく分かった。怖かったのは、貴方達と共に行けないことではなく貴方達に忘れられてしまうことだったって。
仲間の資格を失ってしまうことだったって―
伸ばした腕をゆっくりと下ろし、ビビは2本の交差線を目の前にかざす。
―皆・・・・
遠ざかっていく船の姿はもはや小さく、かざしたその手で掴み取ることができそうな程だ。
拳を握り締めたい、思わず湧いた衝動にビビは耐えた。

偉大なる海へと再び漕ぎ出す"私達の"船。
永久の縁を誓った仲間の姿はもう見えない。
再び真っ直ぐに進んでいくのだろう、それぞれの目的の為に。
振り返ることなどなく、真っ直ぐに。

だから
だからこそ私も―

「カルー、私達も行くわよ」
涙を拭うとビビはカルーの背を軽く叩く。
体をふるふると震わせ、未だ滂沱と涙しながらビビを見つめるカルー。
そんな彼にビビは笑いかける。
それは少しだけ寂しさを滲ませる笑みだったが、それ以上に晴れ晴れとしたものだった。
「きっと今頃イガラムは脂汗流してるわ、早く代わってあげないとね」

―この計画のこと、コーザに話したらきっと大笑いするわね―
くすりと笑うとビビは海に背を向け、軽やかにカルーの背に飛び乗る。
カルーの背の上でビビは軽く瞼を伏せ、腕の印に右手を乗せる。
―大丈夫。こうすればいつでも貴方達に会えるから。
そして―

それからビビはゆっくりと目を開く。
―いつかまたこの国で本当に会えたら・・・
貴方達が吃驚するくらい豊かな国にしてみせるから。
水と緑の溢れるアラバスタに。

ここでしか出来ない、それが私の新しい旅の目的―


新たな誓いと共にビビは天を仰ぐ。

涙が瞳に付いた曇りを洗い落としたのだろうか。
それとも迷いなき心がそう見せるのだろうか。
天にはこれまで見たことのないような見事な青空が広がっている。

―何て綺麗な空―

ぬけるような青空の下、その空に負けない位晴れやかに笑うビビ。
首を傾げ、何事かと問いたげな顔をして自分を見上げているカルーの頭を優しく撫ぜ、ビビは微笑みながら声をかけた。

「さ、帰りましょう。私達の場所に」



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