*については裏書庫に続きがあります。
表書庫
■
とあるコックの回顧録(上) |
Date: 2003-09-26 (Fri) |
甲板の上で二人の男がうつ伏せに倒れている。
気を失っている訳ではないらしく、両名とも弱々しいながらも手足をゴソゴソと動かしている。
やっとの思い、といった感じで二人はその身を仰向けにひっくり返す。
海はどこまでも穏かに凪ぎ、空も早春の風を抱いて澄みやかに晴れ渡り、清々しいことこの上ない。
にも関らず、苦悶の表情を浮かべつつ二人の男が口にした言葉はというと、
「気持ちワリぃ〜」
息も絶え絶えの男達の格好を見ると、片方は白づくめ、もう片方は黒と対照的だ。
両者に共通しているのはエプロンをしている、という点だ。
しかめっ面が、ただでさえ・・・の強面により拍車をかけている。
こんな状態ではどう贔屓目に見ても堅気には見えない。
が、それでも二人とも立派な職に就いている。
二人ともかの有名な海上レストラン、バラティエの正コックなのだ。
天気のよい昼時。
こんなレストランのかきいれ時に厨房の主力を担うこの二人が甲板でだれているのには長くそして深い理由がある。
それは無頼の輩に襲われたからでもなく、船酔いで苦しんでいるからでもない。
どちらかといえば真相は後者に近いのだが、そんな理由で客前に無様な姿を晒していたら問答無用のオーナーの蹴りが飛んでくるだろう。
本日はバラティエ唯一の店休日なのである。
嵐が来ようが、海賊が押寄せようが、砲弾がオーナー室を直撃しようがバラティエの日誌には臨時休業の文字はない。
何が起ころうとも店を開ける、そこに客がいる限り!!
それがオーナーの持論である。
そんなレストランが唯一、公に知らせている休日が今日なのだ。
にも関らずコック達は誰一人として店から出てはいない。むしろ、皆が皆、厨房や自室で頭を抱えているのだ。
甲板ではカルネが、手足を投げ出した格好のままでパティに問いかける。
「・・・・・・お前、明日出品するブツはできたのか?」
その問いかけにパティは益々苦々しい顔を見せる。
「・・・・・・できてたら、一秒たりともこんなトコにはいねぇよ」
「ちがいねぇ」
半笑いで応じた後、カルネは忌々しそうに呟く。
「しっかし・・・・この匂いはどうにかなんねぇのかよ」
「言うんじゃねぇよ、胸ヤケが酷くなる・・・・うぷっ」
こみ上げてくる吐き気に思わずパティは両手で口元を抑える。
海上レストランバラティエ唯一の店休日。
その翌日には、常連客を招待しての新作菓子品評会が催されるのだ。
それにはオーナー命により全てのコックが参加を義務付けられている。
菓子専門ではないから、といういい訳は通用しない。
この店で求められているのはオールマイティーな技能である。
パティシィエが殺られっちまったのでデザートが出せません、では客に示しがつかない!!
これもオーナーの持論である。
そんな訳で、本番を翌日に控えた最終日の今日。
店中がお菓子の家もかくや、という甘い甘い匂いに包まれているのだ。
更に試食に試食を重ねた結果。
嵐にも海賊にも臆することなく立ち向かう『戦うコック』の代名詞のような二人が甲板で倒れ伏しているのには、かくの如き理由があったのだ。
「・・・・・・・・しっかし、今年からはヤラねぇかと思ってたんだが」
「いくらアノ野郎がいなくなったからって、いきなり止める訳にはいかねぇだろうよ。オーナーだって、」
カルネの言葉途中で、パティは懐かしそうに一人ごちた。
「そういや俺達が初めてここに来たのも、この日だったよなぁ」
あぁ、と短く応じながらカルネは眩しそうに目を細めた。
そのまま目を閉じ、記憶の糸を手繰る。
あの日もこんな晴天だった。
小型艇より大柄な男二人がレストラン船に乗り移った。
一歩一歩踏みしめるように歩きながら、裏手へとまわって行く。
凶悪な面相と奇天烈な格好。そして一種独特の動き。
一見、店に文句を言いに来たチンピラか、とも映るがそうではない。
その面構えと血の気の多さ故に一つ所に留まることのできなかった二人の料理人。
『従業員出入口』と書かれた扉の前で二人は立ち止まる。
お互い、顔を見合わせてからゴクリと一つ喉を鳴らし、おもむろに頷く。
喧嘩上等・百戦錬磨を旗印にしてきた二人であったが、この店は特別だ。
海賊共にも怯まない気合の入りまくった料理人共がたむろする店だ。それより何より、あの『赫足』がオーナーを務める店なのだ。
こういうのは最初が肝心だ。なめられちゃ堪らない。
「頼モーーーーっ!!
赫足のゼフがやってる店ってのはここかァ!!?」
「『クソコック歓迎募集』ってのは本気だろうなァ!!」
先達に負けじと力いっぱい込められた気合は残念ながら空振りに終わった。
思いきりよく開けられたドアの向こうには誰もいなかったのだ。
「うぉ!!」
思いきり出鼻をくじかれてともに前へとつんのめる。
体勢を立て直してから二人は怪訝そうな顔を見合わせる。
そう言えば、ここに来るまでに客の一人、従業員の一人にも出会わなかったのだ。
―海賊にでもヤラれちまったか―
入口近くを見回してから中に入り、一人づつゆっくりと奥を覗きこむ。
と、少し向こうで視界の隅に何か動くモノをとらえた。
人がいない訳ではなかったのだ。
厨房にいるのはきっと大柄な男達だけだ、という思い込みが間違いの元だった。
人はいた。
子供だったが。
背の低い椅子に腰掛けて一心不乱に何かの皮を剥いている。
―・・・・子供だ―
覗いていた顔を引っ込めて二人はその場にしゃがみ込み、ぼそぼそと話を始める。
「・・・おい、何だありゃ」
「馬鹿か、てめぇは子供に決まってるだろうが」
「馬鹿はてめぇだ。んなの見りゃあ分かる。俺が言いたいのは何でこんなトコに子供が一人でいるんだっつうことだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
渋面をつき合わせたまま暫し黙り込む二人。
その沈黙を破ったのはカルネだった。
「・・・・・・アレだ!! 多分ありゃ、ここのコックの子供だぜ。きっと親が病気で働けねぇから代わりに厨房の手伝いをやってるんだ。そうだ、そうに違いねぇ。うぅぅ、なんて健気な・・・・」
勝手に空想の翼を広げて涙ぐむカルネ。
顔は怖いが実は人情家なのだ。
思わず目頭を拭うカルネを無視して、パティはもう一度奥を覗き込む。
「阿呆な作り話は置いとくとしても、コックのガキってのはアタリかもしれねぇな」
遠目ではあるが、皮を剥くその手つきは中々堂にいっている。
それにしても。
可愛い子供だ。
見事なブロンド・ヘア。ちょっとした動きにもサラサラと流れる。
海の上で暮らしている筈なのに肌は透けるように白く。
伏せがちの顔は子供にしては珍しい程大人びて整っている。
パティはくいくいと手招きでカルネを呼び寄せる。
凶悪な雁首が二つ並んで子供を見つめている。
「・・・・ありゃあ、年がいったらきっと評判の看板娘になるぜ。どうだ?」
子供を指差しながら囁くパティにカルネは呆れたような視線を送る。
「・・・・てめぇに童女趣味があったとは知らなかったぜ、変態コック」
カルネの罵倒にムッとしたようにパティは反論する。
「馬鹿野郎。今の話じゃねぇよ。年頃になったらの話じゃねぇか」
これだから男の浪漫を解さないヤツはイヤだ、とパティはぶつぶつ文句を言っている。
カルネはそんなパティの襟首を掴んで立たせる。
「いいから、下らねぇ話は後だ。このままじゃラチがあかねぇ、いくぞ!!」
「行くってどこに?」
「てめえの阿呆さは底なしか!? ここでガキの観察してても仕方ねぇだろうよ。誰か話の分かる大人の居場所を聞くぞ」
パティの返事も待たず、カルネはズカズカと子供の前に歩み寄る。
その後を慌ててパティが追う。
人が近づいてくる気配に子供は手を止めて顔をあげる。
勢いで出てきたはいいが、そこでカルネは困った。
子供は苦手なのだ。
というと少し語弊があるかもしれない。
カルネは子供が嫌いな訳ではない。どちらかと言うと好ましく思っている。遠くから見ている分には。
これが近づいてしまうと大変なのだ。
まず、抱き上げれば泣かれる。
それから、頭を撫ぜれば泣かれる。
挙句、顔を見ただけで泣かれる。
全てはこの面相の所為だ。
それは相棒も同様で、その辺に親近感を持ったりしているのだが(同病相憐れむとも言う)
子供は真直ぐに自分の顔を見ている。
深い海と同じ色の瞳。
少し痩せぎすではあるが確かに上玉だ。
パティが騒ぐのも無理はない。
と思ったところでカルネは我に帰る。
―お、お、俺にはそんな趣味ねぇぞ!! や、そんなコト考えてる場合じゃねぇし―
少なからず動揺し、カルネはどもりながら何とか言葉を押し出す。
「だ、だ、誰か大人の人はいないのかな? お嬢ちゃん」
その瞬間、目の前の子供の顔つきがガラリと変わる。
もの凄い目つきで自分を睨んでいるのだ。
―また怖がらせちまったか?―
そう思い、カルネは可能な限りの猫なで声でもう一度話し掛けた。
「お嬢ちゃん?」
それが地雷原で鬼ごっこをするに等しい程危険な行為だとも知らずに。
「・・・・・あぁあっ!!?」
高いソプラノの子供の声。
だが、何故かそれは地の底から聞こえてきたような気がした。
続
[前頁]
[目次]
[次頁]