*については裏書庫に続きがあります。
表書庫
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D.G |
Date: 2003-09-26 (Fri) |
「クソ野郎共が」
乱暴に蛇口を捻りながらサンジは毒づいた。
目の前で大量の水が無為に流れていく。
深夜のバラティエのトイレには当然ながら他に人気などない。
じわりとした水気だけがサンジを包む。
サンジは一人洗面台に両手をつき、流れる水を睨むように見つめている。
「クソ野郎共が」
唸るような低い呟きはまるで呪詛のようだ。
あいつらのことを思い出すと妙にいらつく。
この凶悪な感情は一体何なんだ。
迷わない男。
目指すものの為に命はとうに捨てたと、きっばりと言いきった男。
迷いを知らない男。
海賊王になるのだと、何の躊躇いもなく言い放った男。
馬鹿なやつらだ。
馬鹿野郎共だ―そう思う。
だが―
サンジは水の流れに自らの頭を突っ込む。
水はサンジの頭を叩きつけるように流れていく。
サンジは暫くの間、身動きもせず水の流れるままに任せていた。
ザアという水音だけがその場を支配する。
その音が突然止まる。
耳障りな蛇口の摩擦音と共に。
ゆっくりとサンジは身を起こす。
束になった髪の先からボタボタと水が落ち、青いシャツを、冷たいタイルの床を濡らしていく。
片手で濡れた顔をなでるとサンジは鏡を覗きこむ。
―ひでぇツラだな―
サンジは薄く笑う。
頭を冷やせば何とかなると思っていたのだが。
訳の分からない苛立ちと、迷いを流してしまえると思っていたのだが。
―迷いだと―
そこでサンジの笑みが凍りつく。
―何を迷ってるってんだ、俺は―
サンジは大きく頭を振る。
髪に纏わりついていた水が辺りに弾け飛ぶ。
鏡の表面を幾つもの水滴が伝い、ゆっくりと落ちていく。
その様をサンジは黙って見つめていた。
その瞳が突然大きく見開かれた。
サンジの目に映るのは水跡に歪む己の姿。
それは嘲りの表情にも似て。
サンジは思わずそこから目を背けた。
見るに耐えなかったのだ。
嗤う男。
自分の意志では何も決めることのできぬ男の不甲斐なさを。
鏡の中の男。
己を嘲笑う自分。
ドッペルゲンガー
自分と同じ姿をした異なる自分。
己の分身に行き会った者は命を落とすのだと、そう聞いた。
それでは
比処から消え失せるのは、俺かお前か果たしてどちらか―
ふと、サンジの唇が皮肉な形に歪む。
下らねぇ。
そんなのはただの与太話。
全ては下らねぇ妄想だ。
俺の居場所は他のどこでもねぇ、比処だ。
命の借りを返せるまで動く訳にはいかねぇんだ。
分かったか、とサンジは顔を上げ、じっと鏡を睨め付ける。
その視線の先で己の姿が揺らいだように見えたのは気の所為だったのだろうか。
―デハ、イツマデ
贖罪ガ終ワルノハ、一体何時ナノカ
オ前ハ恐レテイルノダ
コノ場カラ離レルコトヲ
アノ男カラ不要トサレルコトヲ―
「るっせぇっ!!」
終わらない責め句を断ち切るかの如くサンジは怒鳴り、鏡に向かって拳をくり出す。
ガシャリと不快な音が無人の空間に響く。
拳の場所から放射線状に広がる無数の罅(ひび) が己の顔を醜く彩る。
割れた表面から拳を離すと、そこからガラスの欠片が細かな音をたてて落ちていく。
落ちていく欠片を目で追い、それからサンジはゆっくりと顔を上げ、
鏡を見、
ぎくりとした。
男は、益々嗤っていた。
割れた鏡の中で、
自分と寸分違わぬ姿のこの男は、唇を大きく歪ませ嗤っていたのだ。
―オ前ハ己ノ意志ニ目ヲ塞グ、タダノ臆病者ダ―
「そんなこたァ分かってる、俺はただ―」
それ以上を言葉にすることができず、サンジは唇を噛むと鏡に背を向ける。
ギイと扉を軋ませ、その場を後にする。
―ただ、俺は―
鏡の中の男は嗤い顔のままサンジを見送った。
低く、昏い嘲笑の声はいつまでもサンジの耳にこびりついていた。
終
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