*については裏書庫に続きがあります。
表書庫


  愛しきものへの杯 1 Date: 2003-09-26 (Fri) 


グラスを持つ手がゆっくりと動く。乾杯の為に。
動いたのは片一方だけであったが。

カチン、という硬い音と揺れ動く液体。
次の瞬間グラスを持つ手は翻り、女は一息に中身を呷る。

トン。
瞬く間に空になったグラスの底が床にぶつかると同時に、ふふと柔らかな笑い声がもう片方のグラスの持ち主に注がれる。

動くことのないグラス。
その傍らには、

崩れ落ちたように床に伏し、深く眠る少女。
その細い身体を水色の長い髪が包み込んでいた。






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女部屋の天井扉が勢いよく開き、ひょいとナミが上半身をのぞかせる。

「サンジくーーーん! おつまみまぁだーー!!? 」
楽しげな表情にも増してその口調は御機嫌だ。

冬島の気候海域を抜け、大気は一気に暖かさを取り戻している。
開け放たれた部屋を通してナミの声はよく通る。

「はいはーーいv ナミさん、ビビちゃん、今お持ちしますからねーーvv」
瞬時に返ってきた応答も負けじと御機嫌だ。

「持ってくるのはチョッパーにしてねーー」

ウェイターを指名するナミの言葉にサンジはガックリと肩を落として、ふるふると身体を震わせている。
対して、本を読みながらおこぼれを待っていたチョッパーは予想外の展開に動揺を隠せず、分厚い医学書を取り落としたりしていた。

「・・・・どうしてお前ばかりいつもいつも〜」
小刻みに震えるサンジの身体。
その周りにどす黒いオーラが見えた、チョッパーはそんな気がした。
ゆらりと振り返るサンジ。
「・・・・・・お前をつまみにしてやるっ! 来いっ、このとっつぁん坊やっっ!!」

一瞬ひるんだ様子を見せたチョッパーだったが、今のサンジの言葉には流石にカチンときたようで、敢然と立ち向かっていった。

「誰がとっつぁん坊やだっっ!!」

「うるせぇ! 非常食の分際で生意気なっ!!」

「非常食じゃねぇっ! 俺は船医だっ!!」




「今頃絶対むくれてるわよ、サンジ君」
何やら急にどたばたと騒がしくなった階上を気にもとめず、確信めいた顔でけらけら笑いながらナミは階段を降りてくる。

明らかに楽しんでいる様子のナミを困ったような笑顔で見つめるビビは、ナミが手に持ったままのグラスの中身を心配した。
危うく揺れ動く液体は、それでも絶妙のバランスで零れることはなかった。

「可哀想よ、あんまりからかっちゃ」
サンジが日常茶飯事的にナミに見せる熱烈な愛情を思い、多少の同情を込めてビビはたしなめるように言う。

「かまやしないわよ、タマには。
息抜き、息抜き」
にこやかに、かつあっさりと一蹴されたが。

そこでビビはふと思い当たる。
こんな風に賑やかさを取り戻したのはつい最近だ。
騒々しさが売りのこの船。
それがつい2日前迄は火が消えたように静まり返っていたのだ。

目の前に笑顔のナミがいる。
それがこんなにも安心できるものなんて。
もしあのままナミが帰らぬ人となってしまったら・・・・
想像しただけでビビの背中にぞくりと悪寒が走る。

―本当に元気になってくれて良かった―
乗船してまだ日も浅い自分でさえこんなに嬉しいのだから、他のクルーにとっては尚更だろう。

そんなことをぼんやりと考えている内にナミはとうに床に降りたっていた。
目の前で膝をついたナミに額を小突かれてビビは我に返った。

「何シケタ顔してんのよー」
殊更に不満げな顔をしてみせるナミ。

「ホラ! 折角の快気祝いなんだからパーっとやってよ、パーーっと!!」
くいくいと手を動かし、飲むように勧める。


これが数日前まで死の淵をさ迷っていた者の言う台詞だろうか。
ロックらしい中味をぐびぐびと飲み干す姿を見て、ビビは半ば呆れ、半ば感嘆の思いでグラスに手を伸ばした。

ビビの前、床に置かれたまま汗をかき始めているグラス。
それは薄い琥珀色の液体で満たされている。水割りウィスキーだろうか。

―あれ?―
ウィスキーかと思われた琥珀色の正体は、違っていた。
グラスに口をつけた瞬間、鼻腔をくすぐるのは仄かに甘い香り。
口中に広がるのは果実特有の爽やかな酸味。

「! ナミさん、これ――!!」

酒の正体に思い当たったビビは、はっと顔をあげる。

当のナミは何故か、えへへと胸を張っている。
「1本拝借してきちゃったーv 」

だってさぁ―とナミはそこで片頬をぷうと膨らませる。
「あ〜んな立派なお城のくせにお宝が一っつもないなんて詐欺だと思わない?」
ナミはビビにぐいっと顔を近づける。

「折角見つけたイイ感じの鍵も武器庫なんて無粋なトコの鍵だし・・・・・
まぁ、アレはアレで役にはたったけどさぁ」

ロマンの欠片もありゃしない―と杯を上向ける。
美味そうに喉を鳴らし、グラスの中味を空にするとそれは愉快そうに笑う。

「ちょっとした戦利品てトコね」

―あの慌ただしさの中、いつの間にくすねて来たのだろう・・・・ というか、そもそも梅酒は彼女のロマンの対象足り得るのだろうか―

妙に楽しげなナミと唖然とするビビ。
その頭上でコンコンと扉を叩く音がする。

音源をちらりと見やり、ナミはビビにウインクする。
「まぁ、一番の戦利品はあのコなんでしょうけど―」

「開いてるわよー」

ナミの返事の後、床にトレーの置かれる音がコトリと聞こえる。

それからガタンと重い音を伴って扉が持ち上げられる。
ひょこりと顔を覗かせるのはご指名通り、チョッパー。
いつもより乱れた毛並みが戦いの後であることを物語っている。

四角く開いた空間に、どんな顔をしたものか―いった表情が浮かんでいる。

「え、えぇと・・・これ・・・・」
躊躇いがちにトレーを滑らせ、ナミに見せる。

「あ、ここまで持ってきてくれると助かるんだけど」

「え? い、いいのか? 入っても?」
どぎまぎの度合を増したチョッパーに、どして?、とナミは優しい顔で問いかける。

「だって今日は女同士サシで飲むから出入り禁止って」
それに、とチョッパーは恥ずかしそうに声をひそめる。

「・・・・夜には女性の部屋には気安く入るもんじゃないってドクトリーヌに・・・・」
喋りながらもじもじと移動を繰返すチョッパーの姿は、下からでは顔の一部しか見えなくなってしまっている。

「ちょっと聞いた!? ビビ!? 今の!!」
驚嘆、といった感じで目を丸くしてナミは言う。
デリカシーとかプライバシーとかといった単語に無縁な男のたむろする船でこんな台詞が聞けるとは!

―そう言えばよくたんこぶ作ってるわよね、ルフィさんとかMr.ブシドーとか―
あれはきっとナミにお仕置きをされたんだろう、と思った瞬間、ビビはその光景に既視感を覚えた。

・・・・あっ! そうか!!―
脳裏に、こっそりと娘の部屋に忍び込んでは女官長に大目玉を食らっている父王の姿が浮かび、ビビはくすりと小さく笑った。

ナミの声に驚いたチョッパーは、いよいよ完全に姿を隠してしまっている。
そんな彼のもとにナミは駆け上がり、トレーから白い大きな皿を取ると足元に置く。
間髪置かずに、手を伸ばしてチョッパーを引き寄せるとぎゅうと抱きしめる。

「まぁったくアンタってば、可愛いこと言うわねぇ」
そう言ってナミはますます強く抱きしめ、自然チョッパーはナミの柔らかな胸の間に顔をうずめることとなった。
ビビのいる階下からは、慌ただしくわしゃわしゃと動く手足が見えた。

「どっかの誰かさんに聞かせてあげたいったら!!」
ふいとナミの視線が動いたような気がしたが、ビビの位置からはその視線の先を窺い知ることはできなかった。

にっこりと笑ってからナミはようやくチョッパーを解放する。
真赤な顔で息をきらしているのは果たして酸欠の所為か、照れの所為か。
空になったトレーを掴むとニ、三歩後ずさり、くるりとナミに背を向けると、

「わぁぁぁぁぁぁ」
トナカイのくせに脱兎も吃驚のスピードで部屋を飛び出していくチョッパー。
本人は気づいていないのだろうが、その額には明らかに唇の形と分かる紅の跡が残されている。
「あんまり飲みすぎちゃダメだぞ、ナミ〜!!」
それでも、元患者に釘を刺すことを忘れないのは流石だ。

遠ざかっていく足音とぶつかるようにドスンと床が鳴り、能天気な声が階下まで届く。
ルフィがマストの上からでも飛び降りたのだろう。
「サンジ、サンジ〜、何か食いモン・・・・・って、何だ、おまえ。デコ赤くなってっぞぉ」

「・・・・・・んん? どれどれ・・・・・って! ぐぁぁぁぁっ!!」
のんびりと応じたウソップの口調は途中で驚愕の悲鳴に取って代わられた。
「サンジっ、こっち向くなっっ、馬鹿向くなってんだろ!!
・・・・・・・・・・・・・・だあぁぁぁ、もうダメだ・・・」
諦めの溜息の後、悲痛な叫びが船内を揺るがした。
「逃げろぉぉ、チョッパーーーー!!」


この後すぐにキッチンで起こるであろう騒動は、ありありと瞼に浮かび・・・・・・
ビビとナミは暫し見つめあい、それから二人同時に吹き出した。



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「では、改めまして―」

頭の上でどたがた間断なく続く足音を無視して、いっそ優雅な程の手つきでナミは杯を差し出す。
実は先に一杯飲み干しているのでナミの杯にはさり気なく二杯目が注がれているのだが。

「乾杯!!」

グラスのぶつかる涼しげな音。
軽い衝撃にグラスの縁から一つ滴が床へと零れ落ちる。


豪快に胡座を組んで、ナミはぐびぐびと美味そうに喉を鳴らす。

「いやぁ、寝込んでて何が辛かったって酒が飲めないことよね」
グラスを頬につけ、その冷たさを楽しみながらナミは心底嬉しそうにしみじみ言う。

膝を崩した姿勢で可愛らしく喉を動かし、
「ホント、ナミさんが良くなってくれて良かった」

制止、訂正、ツッコミ、抑止、修正、ツッコミetc.etc・・・・
先の島でこの船におけるナミ的役割の一端を担ったビビは万感の想いを込めて応える。

「ビビにも面倒かけたわよね」
感謝の眼差しを向けられ、ビビは思わず目頭を熱くする。

と、
「う〜ん、となればやっぱり不本意ながら少しは勉強してあげないとね」
貸すのは好きだけど借りつくるのは嫌いだし、とナミは首を傾げ何事か考えている。

・・・・・・・・は?―

「ニ割引!!」
目をむくビビの前でナミはびしっと指を二本立ててみせる。

何のことかと絶句したビビの沈黙を不満と受け取ったのかナミは口をへの字にしながら立てた指を三本に増やす。

「んん!? アンタもやるわね、じゃあ、三割引!!」

「・・・・・・ナ、ナミさん???」

「ダメよ、ダメダメ。これで精一杯、これ以上はまかんないから!」

速攻で首を振るナミに躊躇いながらビビは尋ねる。
「・・・・・・い、一体何の話を?」

「何って決まってるじゃない、あんたを送り届けた時の礼金の話に決まってるじゃない」
さも当たり前、といった表情でナミはつれっと答える。

―・・・・・こ、この人は―
ガックリと肩を落とし、項垂れるビビ。
そうだ、そうだった。この船にこうして平然と乗っている人だ。いくら普通に見えてもただ者である筈がないのだ。

―パパのへそくりって一体幾らあるかしら―
さっきとは別な意味でビビは目頭を熱くした。

「にしてもさぁー」
そんなビビの切ない胸の内を知ってか知らずかのんびりとナミは話を続ける。

「あんたっだって国に帰れば一応はお姫様なんでしょう」

"一応"という箇所に引っかかりつつも、ビビは瞳を拭い顔をあげた。

「金持ちの婚約者とかって一人や二人いてもいいんじゃないの?」
期待に瞳を輝かせ、ナミは返事を待っている。


「・・・・・・いません、そんな人」
きっぱりとビビは否定する。

「こう、生まれた時からの許婚とか、金持ちの」
どうやらナミ的には"金持ち"という条件は必須らしい。

「父がそういうの好きじゃないの。私の母も普通の人だったし」

「あら、そういうのも素敵じゃない。
王様と町の娘の恋かー、何だかロマンチックよねぇ」
うっとりとそう言いながら酒をがぶ飲みするナミの姿はロマンチックという言葉から一光年は離れている。

―どう考えてもナミさんて、現金>ロマンチック だと思うけど―
当然思っただけだったが。

「・・・で、あんたもそれに倣うわけ?」

「・・・えぇっ!!?」
思わずしゃんと姿勢を正すビビ。
突然に話を自分に戻されて、思いきりうろたえている。

「わ、わ、わ、私っ!!!? それは彼は普通の人だけどいやべつに私はとりたててお付き合いしているとかって訳じゃないし、ただの喧嘩友達っていうか腐れ縁って言っ方が近いような気もするし、向こうが私をどう思ってるかなんて分かんないし、そうよそもそも好きだとか何とかって言ってもらったこともないし、それによく考えたら私も何にも伝えてないし、それにそれに・・・」

ぐるぐると回る頭の中を代弁するように天辺で結ばれたポニーテールが忙しく動く。
その様子をナミは人の悪い笑みを浮かべて見ている。

「ふ〜ん、そんな男いんだ、あんた」

その瞬間、ふるふると揺れていた髪の動きもピタリと止まる。
決定的な一言を投げつけてから、ナミは再びグラスを傾けた。

瞳を大きく見開いたままで硬直しているビビ。

構わずにナミは悠然とグラスを空にしていく。
中の氷がグラスの底にぶつかる頃、ビビは一気に頬を赤く染めた。

ビビは何事かを言おうとしているのだが、努力空しく開いた口からは何の音も出てこない。
真赤なままで自分を指差して口をパクパクさせるビビを、ナミはニヤニヤと観察している。

「あ〜ぁ、残念。あぶれた金持ちでもいたら私が手玉に取ってやろうと思ってたのにさ」

組んだ脚の上に肘をつき、更に頬杖をつくとナミは余裕の表情で斜めにビビを見る。
角度を変えても真赤な顔はやはり真赤なままで。

・・・・・3
「な、なっ・・・・」

・・・・・2
「何言ってるのよっ! ナミさんこそっ!!」

・・・・・1
「Mr.ブシドーと好き合ってるくせにっっっ!!!」

・・・・・0!
お返しとばかり投げつけられた大爆弾がほんの少しの間をおいて炸裂した瞬間、

ナミの肘は勢いよく腿から滑り落ち、ナミは盛大に体のバランスを崩し
頭上では何故か何か大きいものが転がり落ちたような音がした。

「ビ、ビ、ビっっ!・・・・・・・」

突発的呼吸困難に陥っているナミから視線を外し、ビビは不思議そうな顔で天井を見上げている。
「―――? 何か今、上で大きな音が・・・・」

「つ、積んでた荷物でも落ちたんでしょうよ」
ナミは慌てて身を起こし、ビビの頬を両手で包むとぐいと自分の方へと向けさせる。

「そ、そんなことより、何だってあんた突然んなこと言い出すのよ」

「でもそうでしょう?」
真直ぐに見つめられ、ナミはぐっと息を飲む。どうやら形勢は極めて不利らしい。


「・・・・・実はね、昨夜のことなんだけど―」
自分もまだ頬を染めながら、ビビは話し始める。




途切れ途切れに聞こえてくる微かな声、それに気づいてビビは目を覚ました。
時刻は分からないが夜中であるのは周囲の闇の深さで分かった。

何―――?
音は途切れたかと思うとまた響く。
耳を澄ましている内に目が利くようになってきた。

音はどうやらナミのベッドからだ。
寝床から抜け出し、ビビはそろそろとナミの元へと近づく。

見ればナミは何かを振り払うように苦しげに顔を背けたりしている。
僅かに動く口元にビビは耳を寄せる。

「・・・・や・・・・や、だ・・・・・・・・やめ、て・・・・・」

―うなされてる・・・まさか、また具合が―
不吉な予感はビビの胸をざわつかせる。

手の震えを抑え、ビビはナミの額に手のひらをあてる。
―よかった・・・・熱はないみたい―

ビビがほっと胸をなで下ろした瞬間、

「今日はやだって言ってるでしょっ!! このエロ剣士っっっ!!!」

バスンっっ!!

明瞭な怒声と共に投げつけられた枕がビビの顔を直撃した。

「ぶっっっ!!」
避ける間などありはしない。
きな臭い感じのする鼻を押さえながらビビは涙が滲む瞳をナミに向ける。

「ナ、ナミさん・・・・?」
小声で呼びかけるビビにナミは安らかな寝息で答える。
先程とは打って変わってやけにすっきりしたその寝顔をビビは暫し呆然と眺めていた。


「・・・・・・・という訳」


話すにつれビビの顔の火照りはおさまり、聞くにつれナミの頬は赤く染まっていった。

―うぅぅ、迂闊・・・まさか寝言でバレるとは思ってなかったわ。
まぁでも、ヤってるとこを見たとか聞いたとか言われるよりはずっとマシか―

「Mr.ブシドーってナミさんのこと好きなんだなぁとは思ってたけど・・・」

がたたっ!!
再びの物音に上を向きそうになったビビの顔をナミはがしっと押さえる。

「へ、へぇ、何でそう思ったの?」
「だって、よくナミさんのこと見てますもん。私も結構見てたから、Mr.ブシドーのこと」

・・・・・・へぇ!? あの男がねぇ、・・・・って、え?―
「ちょっとまさかビビあんたっ、あいつを見てたってあんたまさかあいつに!!」

―待て待て待て! 遠くの恋人より近くのなんとやらってヤツ!?
じ、冗談じゃないわ、あの馬鹿にこんな可愛いコを渡してなるものですか!!!
・・・・・・・・・・・ってあれ?―

思わず身を乗りだしてから、論点のズレに頭を捻ったナミに違う、違うとビビは笑って首を振る。

「少し、だけど似てるのよね、彼。・・・・・・・・私の好きな人に」
そうして少し照れたようにビビは俯いて言葉を続ける。

「傷つくのを怖がらないとこ・・・がむしゃらっていうか、無鉄砲っていうか、そんなとこ・・・・・」

だってね―ぱっと顔をあげてビビは話す。
その顔は、晴れやかでとても楽しげであった。

出会っていきなり殴り合いの喧嘩をしたこと。
出会って二回目もやはり殴り合いになったこと。
城をぬける秘密の通路、
おにごっこ、
かくれんぼに、
缶蹴り。
そして、攫われそうになった自分を怪我をしてまで助けてくれたこと。

それから、それからと瞳を巡らすビビの唇にナミは人差指をあて、ニヤリと笑う。
「あんたにばっかりノロケさせらんないわ!!
よっしゃ!! 今夜はノロケ対決よっっ」

対決の開始を宣言してナミはぐいとグラスを空けた。

それから二人して、一杯飲んではノロケ、ノロケを肴に飲み、互いに抱き合ったり時には突き飛ばしたりしながらじゃれ合い、杯を重ねていった。



思い出は宝石のようだ。
話しながらビビはそう思った。

この二年敢えて思い出そうとはしなかった古き良き時代。
今は砂に埋もれてしまった宝石達。
でも、目を凝らせばすぐにその輝きは見つけられる。
息を吹きかければ積もった砂などすぐに吹き飛んでいく。

胸に湧いた熱が涙を誘いそうになり、ビビはそっと瞼を閉じた。
すると酔いはビビから急激に平行感覚を奪っていく。

くらくらと回る頭の中に幾つもの光が見える。
―あぁ、なんて綺麗―

朦朧とする意識の中、ビビが最後に自覚したのは抱きしめられた温かな感触と、
「ゆっくりおやすみなさい」
子守唄のように心地好く耳に残る優しい口調だった。




腕の中に華奢な身体。その肩口には真新しい包帯が巻かれている。
自分を助ける為に負った傷だとナミは知っている。
ナミはその上にそっと額をつけ、目を閉じた。

暫くそうしてから、ナミはビビをゆっくりと横たえる。
ほんの前まで手にしていたグラスもビビと同じように横倒しで転がっている。
ナミは空のグラスをビビの前に置きなおす。

それから残り僅かとなった自分のグラスを掴み、ビビのグラスと合わせる。
祈りにも似た誓いの気持ちで。

―これは前祝いだからね。
私達は必ずあんたを国に送り届ける。
内乱の国に、じゃなくてあんたが話してくれたあったかくてきれいなあの国によ―

静まった部屋の中に溶ける乾杯の音。
ビビは微動だにしない。
この分だと朝までぐっすりだろう。それでいい。

ナミは知っていた。
共に過ごすことになってからの夜更け、頻繁にビビが目を覚ましていたこと。
時にはうなされ、
時にはとび起き、

それからそっと部屋を抜け出し、寝床から温みがなくなる程の長い間戻って来はしないこと。
翌日には赤い目を隠すためにわざと見えるところで生欠伸をする、そんな下手な芝居をうつことも。
一体どれほどの悪夢が彼女を苛んでいるのだろう。


―だから今夜は夢も見ないくらいに―

ナミは優しい笑みを残し、その場を立った。



「おまたせ」
天井の扉を開けると、ナミは寝ているのか起きているのか分からない男に声をかけ、すぐにまた自室へと姿を消した。

「しっかし、酒臭えなぁ」
ゾロは顔を顰めながらぶつくさと言う。
「俺が相手ん時とは違うんだから手加減しろよ、てめえも」
その足元には酔いつぶれた王女様が一人。

「いいのよ、今日はこれで」
瞳を伏せ、確信に満ちた静けさでそう言いきり、それからナミはニヤリと笑う。
なだめるようにゾロの頬を二、三度軽く叩き、
「飲みの場に呼ばれなかったからってそんなに拗ねないの」

誰がだよ、ゾロはゲンコツをグリグリとナミの頭の天辺に押しつける。
ナミはけらけらと、
「まぁ、これから私が相手してあげるからさ。
今夜は特別、ちょっとだけなら飲ませてあげてもいいわよ、ビビと私専用のボトル」

そう言ってナミが伸ばした指先には、
『ビビ・ナミ専用! 飲んだらコロス!!』
そんな殴り書きがラベルに記されている何とも物騒なボトルがあった。

苦笑しながらもゾロはナミの指示通りにビビをナミのベッドに運ぶ。

これでいいのか? 問う瞳にナミは微笑で返した。
それからゾロの背を押して階段へと向かう。ボトルを拾うのも忘れずに。


灯りを消すと途端に部屋は闇に包まれる。
ナミはゆっくりと扉を動かす。
唯一光の射していた扉の隙間も徐々に狭まっていく。

―どうか今夜は闇が彼女に優しくありますように―
そんな願いと共にナミは扉を閉めた。



「おやすみなさい、ビビ」





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