*については裏書庫に続きがあります。
表書庫


  終わらない砂漏 Date: 2003-09-26 (Fri) 
権勢などほんの一時のものだ。
人は死ぬ。
国は絶える。

どんなに勇名を馳せた者であろうとも、
どんなに栄華を誇った国であろうとも。

滅ぶべき時が来れば全ては崩れ、生まれるべき時が来ればまた興る。
幼き頃より史書の上で、或いは目の当たりにして、いやと言う程知っているそれが事実。


それはまるで砂時計に封じられた砂のようだ。
時の流れと共に砂は崩れ落ち、足掻く事空しく無へと向かう。
無に飽いた者が気紛れに器を逆さにする時まで。

満つるも一時。
亡ぶも一時。
その繰り返し。

縊れた硝子の中。
其処には何が詰まっているのだろう―





年若い船長は一人、船首に跨り海原を見ている。
本当に海が好きなのだ。
藍と濃緑の混在する海を前に、シャツの背の赤は目に痛い程鮮やかだ。

少し前、敵対していた時は向き合っていた。
同船を許されてからはその背ばかり見ているような気がする。
別段気配を消すこともしていないから、彼も私の視線に気づいている筈だ。
それでも振り返ることも問い質すこともなく、黙ったまま前だけを見ている。
陽気で負けん気が強くて騒がしくて、そんなイメージが強かったお陰で、最初の頃は彼がこういった時間の使い方をすることを意外に思ったものだ。

その背を見ている。
観察でもするようにじっと。
それが何なのか知りたい、と思う。
これはもう性(さが)としか言い様がないものだ。

後ろには胡座をかいて寝たふりをしながら警戒の視線を投げつけている者がいる。
全く心配性なことだ、私は帽子のつばで顔を隠して笑った。


ばさり。
大袈裟な音をたてて帆がはためく。
塩辛い風が下ろしたつばを持ち上げる。
騒々と甲板の埃が騒ぎ出す。

左手で目を、右手で帽子を押さえる。
指の隙間に主の頭から離れた麦藁帽子が飛んでいく様がスローモーションのように見えた。
慌てて振り向く顔。
直後、少年のしなやかな腕は少しの反動と共に放たれる。
あとほんの僅かで指先が触れる、その直前に風は無軌道に動いた。
私の脇、丁度船外に出たところで失速した帽子は、糸の切れた凧のように海面へと向かう。そして麦藁帽子は視界から消えた。


指先に乾いた藁の感触。
私はゆっくりと落下場所に足を向けた。
「帽子っ、帽子ぃぃぃっ!!!」
激突しそうな程の勢いで駆け込んでくる少年。
にっこりと微笑みかけると、足を止め律儀に微笑み返す。
一瞬だけだったが。
「いや、そうじゃなくてっ!!」
感情のままくるくると変わる表情が面白い。
焦った様子で船外へ身を乗りだす船長。
その目には外壁から生えた腕が麦藁のつばを掴んでいる様子が映っている筈だ。
「助かったぁぁ〜」
身を乗りだした格好のまま、ぐんにゃりと脱力する船長。
私は自分の手から帽子を受け取ると、それを黒髪の上に乗せる。
「もう落としちゃダメよ」
「あぁ、助かった。お陰でゾロを泳がせなくて済んだ」
「――んなっ! 何で俺がっ!!!」
少年の言葉が終わるか終わらないかの内に、抑えていた(筈の)殺気が背後で爆発する。
どん、と鞘の先端を床について身を起こす緑の髪の青年。
今にも噛みつかんばかりの表情で。
「何だ、お前起きてたのか」
「おはよう」
きょとんとしている船長と笑顔の私を交互に見比べる若き剣士。
しまった、というような顔を見せると、憑きものが落ちたようにすとんと腰をおろし、再び動かなくなる。
全く可愛いものだ。
くっくっと肩を震わせる私に向き直ると、船長はペコリと頭を下げる。
「ありがとうな!」
そして深く帽子を被りなおすと、とんと船壁に背を預ける。
私もそれに倣い、体を傾ける。
頭の麦藁帽子が角度を変える。
じっと雲の流れを見ているようだ。

強い風に煽られて雲は刻々とその姿を変えていく。
あるものはひしゃげ、またあるものは千切れ。
突然彼が口を開く。
「お前には助けてもらってばかりみてぇだな、ここんとこ」
苦笑混じりの口調。
そう言われれば、彼に礼を言われるのはこれで二度目だ。
「お互い様でしょう、それは」
空を見上げたまま私は答えた。


私も彼に命を救われた。
望んで救われた訳ではなかったが、あの時は。
もういい、と思った。
全ては泡沫と知っていたのに。
"真の歴史の本文"
落ちゆく砂の最後の足掻きがそれだった。
何にこんなにしがみついていたのだろう。
知ること、それが私の存在理由。
それすらも泡沫のものではないか。

そうだ――
私の砂時計の中に込められているのは虚無なのだ―
そんなことを考えていた体を引き上げたのが彼だった。
私の為ということではないのだろう、理由はきっと彼にしか分からない。
ちらりと隣に目をやると、彼は相変わらず空の高みを見ている。

この少年は一体―――
「どこまで行くの?」
「行けるところまで―」
抽象の問いは抽象でもって返された。
「それは何所?」
「さぁな」
でもな―と彼は視線を前に移した。
「声が聞こえるんだ。ずっと前から。まだガキの頃から―
早く行け、って」
そこで言葉を区切ると、麦藁を掴むと目の前にかざす。
「こいつを俺に預けた海賊―そいつらがいなくなってから声は益々でかくなった。
何をしてても聞こえてくる。うるせぇ位に」
耳を塞ぐ素振りをして、少年は薄く笑う。
「とりあえず俺はこいつを返す。アイツに。
ぶつかるんなら戦って、そして海賊王だ」
「それから?」
「そこまで行ったらまた別の声が聞こえてくるさ」
あっさりと彼は言う。
「迷うことはないの?」
「迷ってる暇なんかないさ」
そこで彼は覗き込むように私の顔を見る。
「死んでからだっていいだろ、迷うのは。
それに死んだ先にもまた何かあるかもしんないしな」

真直ぐに私を見つめる黒い瞳。
清水のように澄んで、炎のように烈しくて、深い淵のように暗い。
その虹彩は捉えどころのない複雑な色を放つ。

「面白ぇよ、ここは。とっとと死んじまうのには惜しいくらいにな」
意味深な目でニヤリと笑うと、麦藁をかぶりなおす。
よっ、と小さな掛け声と共に背に反動をつけて壁から身を離す。
そして他に何を言うでもなく立ち去った。


私は再び空を見上げる。
尊ばれた者、恐れられた者、今まで色々な者を見てきた。
その誰ともあの少年は違うような気がしてならない。
カテゴライズ不能―


皆が皆、足元の砂が崩れていくのを手をこまねいて見ているだけだった。
けれど、あの少年なら―
誰も思いも寄らぬことをしでかすのかも知れない。

例えば、砂時計。
だれもが失われていくのをただ見ているしかできなかったその器を壊し、新たに砂を継ぎ足していくのかも知れない。


そう考えたら可笑しくなった。

小賢しく思い悩むことなく、彼ならそうするのだろう。
不敵に笑いながら。
失われるものよりも多くをすくうその手で。


永遠に止まることのない砂時計。
今少しの間、そんな夢を見てみるのも悪くはない。
そう思って私は少し笑った。






砂漏=砂時計

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