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表書庫


  夏断つ音 Date: 2003-09-26 (Fri) 


前も見えない程の豪雨の中、容赦なく続く落雷。
閃光の直後、轟音が大気を揺らす。

ずぶ濡れの少年が一人。
挑むように天を睨みつけている。
その足元には空の鞘が、手には白柄の刀をさげている。



裁きの雷。
清に潜む濁も、
邪に潜む聖も、
躊躇うことなく一喝する一条の光。
その潔さをゾロは好ましく思い、その強さをゾロは妬んだ。

落雷は容赦なく続く。

何を斬れば其処が見えるのか。
何に勝てば其処に着けるのか。

答えは与えられるものなのか掴み取るものなのかも分からず。

ゾロは天へと切先を向ける。
天から地へと突き刺さる白い刃と切り結ぶかのように。
目を開けていることさえ難しい雨の中、ゾロは雷から一時たりとも目を離さない。


つと、伸ばした腕を下ろされる。
『先生・・・・・・』
気づけば傍らに師の姿があった。
苛立つゾロを師はさり気なく諭した。
曰く、
君は未だ川の上流に留まる岩である、と。
川を流れ、削られて海に溶けてしまう程の砂粒になってみないと解らないものもあるんじゃないか、と。
聳え立つ岩ではなしに、砂礫たれと?
そんなのは自分ではない、と語調を荒げるゾロを見、師は何も言わずただ静かに笑い、乾いたタオルで濡れた頭を撫ぜた。
その時、師のいわんとした事の半分も自分は分からなかった。
ただ、自分が知る世界は狭過ぎるということだけ、それだけは分かった。

随分昔―海へと出る前の夏の記憶である。



右へ左へとゆるやかに、しかし大きく揺れ動く甲板にゾロは一人立っていた。
中に入れ、という怒鳴り声も雨音に遮られ今はもう聞こえない。
どちらがどちらの色に近づいたのか。
空も海も同じように暗い。
大粒の雨。
その一つ一つが敵意を持ったかのようにゾロを打つ。
身体に張りついた薄いシャツに胸の大傷は浮かび上がり、黒のバンダナは二の腕へ纏わりつく。
今やゾロの身体で雨に侵されていないところなどない。
構わずゾロは立ち続けている。
その右手には抜き身の一刀。

瞑った瞼の裏に光を感じた直後、轟く音は足元を震わせる。
そんな光と音は少年時代の記憶を呼び覚ます。
師の言葉については、用いられる比喩の平易さとは裏腹にその真に意図するところは難解であるように今は思う。
ただ、先の戦いでその一端は掴めたような気がする。
しかし、あの刹那の感覚はまさに砂のようで、
掴み取ろうと強く握れば握る程、それは指の隙間から容易く零れ逃げていく。
言葉で説明しようとしても然り。
そうしてみれば師の言葉の一つ一つは言い得て妙だとも思う。

雨中にゾロは思う。
少しは世界は広がったのだろうか。
今は昔ほどの焦りはない。
少なくとも焦る心を制することは出来よう。

全ては自分で体感してみる他はないのだ。
これからも、ずっと戦いの中で。
心のままにそう出来る今は幸福である、と。

無音のまま、弾けるように空がまばゆい光を放つ。
その瞬間、微動だにしなかったゾロは目を見開き、刀を振り下ろす。

雨さえも払いのけるであろう鋭い剣閃は雷光を追う。
暗雲を彩る冴えた二本の光。

ゾロの剣先が完全に下を向いたのは雷が完全に姿を消した後だった。

―まだまだ追いついちゃねぇな―
薄く、静かにゾロは苦い笑みを浮かべる。
それは雷に向けた思いか、或いは人にあてた思いか、ゾロ自身にも解らないものだった。

長く息を吐き出しながらゾロは身を起こす。
軽く手首を捻り、雨滴を払い刀を鞘に収めた。
真っ直ぐな視線は遥か彼方、空と海の果てに向けられている。
未だ暗く、混沌とした其処に何があるのかはまだ分からない。

打ち据えるかのように降り続けた雨はいつしか弱まりつつある。
遠雷は低く唸り、夏の終わりを告げた。




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