*については裏書庫に続きがあります。
表書庫


  わくらば Date: 2003-09-26 (Fri) 


手元に届いたのは新たな手配書。
手渡された手配書を持つ男の指はピクリと動き、その表情が強張る。
しかし次の瞬間、男は盛大に笑い出した。
肩を揺らして大笑いする度に鮮やかな赤の髪が揺れる。

ひとしきり笑い終わると、男は涙目を擦りながら横に目をやる。
「なぁ、見ろよこれ」
傍らに座り、悠然とキセルを吹かす男の肩を赤髪の男は自分の肩で押す。
ヒラリと翻るマントの下には、有るべき左腕がなかった。

「・・・ほぅ」
目の前に翳された手配書を見て、キセルの男もニヤリと笑う。
六千万ベリーの金額の上に血を流した青年の顔写真がある。

「一丁前にでかくなったじゃねぇか! あの小僧も―」
男達は顔を見合わせてまた笑った。




「実は金がねぇんだ」
十四、五歳であろうか。外見に比するとやたらと落ちついた、それでも青年と言うにはまだまだ早い、そんな少年はいやにあっさりとそう言い放った。

食堂で飯をたらふく食べた後に、である。

あまりにも潔い告白に、店主は思わず唖然とする。
が、一瞬でその表情を引き締める。
海賊やら山賊やらも出入りする店の主ともなれば海千山千、こんなのはよくあることだ。

悪びれた風でもなく、真っ直ぐ自分を見つめる少年に向かい、店主は口を開く。
「・・・だったら、暫く皿でも洗ってくか?」
店主の言葉に、少年は年齢には過ぎた不敵な笑みを浮かべて見せる。
「まどろっこしいのは苦手だな・・・・・なぁ、この辺には海賊か山賊はいねぇか?」
「今なら南の入り江に海賊が来てるが、お前さん一体―」
見れば腰には刀が三本。
無意識にであろうか、少年はその内の一本を片手で弄んでいる。
―もしかしたら賞金稼ぎか、この坊主は―
「おい、坊主!」
焦りの混ざった呼びかけと同時に、少年は笑いながら身を翻す。
「ちょっと待っててくれ、心配しなくても踏み倒すような真似はしねぇ。約束だ」
「ち、ちょっと待て、坊主っ!!」
呼び止めようと慌てて伸ばした手はもう届かなかった。
「・・・・・・行っちまった」
少年の姿はもはやなく、ギイギイと揺れ続ける入口の扉だけが店主の目に映った。
「あんな坊主にどうこうできる相手じゃねぇっつうのに・・・」
全く若ぇヤツはこれだから―と店主は誰もいない店内で一人ごちる。
「赤髪のシャンクスはよ―」



「・・・・おかしいな」
ゾロは頭を傾げる。

―南って言ったよな、あの親父―
地図で南と言えば下の方だ。だから店を出て真っ直ぐ下に走ったのに。
ここはもう島の端だ。
見渡す限りの見事な砂浜。入り江なんかありゃしない。
「・・・・何でだ?」
今度は逆側に首を傾げた。
確かに店の出入口が南を向いていれば良かったのだが、残念なことにそこは全く正反対な方向を向いていた。
北端の砂浜でゾロは途方に暮れる。
昼飯を食べてすぐ出発した筈なのに気づけば太陽も傾きかけている。

「・・・参ったな」
とにかく今自分がいる場所を把握しなくては話にならない。
誰かいないものか、と目を凝らせば砂浜から伸びた短い桟橋の突端に人影が見える。
助かった、とゾロは砂浜を駆け出した。

「南の入り江?」
人影は釣り人だった。
木箱に腰かけ、片手で釣り竿を支えるマントの男は訝しげにそう聞き返した。
「あぁ」
「南の入り江に向かってたってか?」
「・・・・あぁ」
何度も同じことを聞き返され、ゾロの顔に苛立ちの色が見えてきた瞬間、
「――っぷ、くくっ・・・・・だーーっはっはっはっ!!」
「何だよ、おっさん!」
おっさん、の言葉に少々傷ついたらしいその男は笑いを納め、ゾロを見上げる。
赤い髪がざらりと揺れ、現れた顔は意外に若いようだった。
「南ってお前、ここは"北の砂浜"だぜ?」
ニヤニヤ笑いながら男は言葉を続ける。
「・・・・こいつぁ、また随分でかい迷子だな」
そこまで言って、また豪快に笑い出す。

ゾロの肩が小刻みに震え出す。男の笑い声はなかなか止まない。
「・・・・・・・迷子って言うんじゃねぇっっっ!!」

「いやぁ、悪ぃ、悪ぃ」
むくれたゾロをあやすような口調の男。
―こいつ、ぜってぇ悪いと思ってねぇ―
ゾロはそっぽを向く。
「それにしても、何でお前さんあんなとこに? 今あそこにいるのは―」
「その海賊に用があるんだ」
男はまじまじとゾロの顔を見る。
「海賊にでもなりたいのか?」
「そうじゃねぇ、どっちかっつうと逆だな。金が入用でよ」
へぇ、と男は目をみはる。
「賞金稼ぎかなんかかい? その若さで」
「自分じゃそのつもりはねぇんだけどな」
「・・・やめた方がいいぜ」
そう言って男は人の悪い笑みを浮かべた。
「あそこの頭は強いってもっぱらの噂だぜ」
それを聞いてゾロは瞳を輝かせる。
「なら好都合だ。闘るんなら強い相手の方がいい」
息巻くゾロを眺め、男は薄く笑う。

―――と、
「――!! お、引いてやがる。待ってろ、これ釣り上げたら案内してやる」
竿を操りながら男はそう言った。
「今、人手がなくてな。魚焼いてくれんなら食わしてやるぜ」
どうやら飯と宿の心配は無用になったようだ。
願ったり叶ったりの申し出にゾロは安堵する。
「助かる」
そこで男が海へと視線を向けたため、ゾロには男の表情は見ることができなかった。
「おー、でかいでかい」
目の前で跳ねる魚を男はうれしそうに見ている。
それから竿を腿の間に挟み固定すると、右手で糸を手繰り寄せる。
そのまま片手で器用に針を外し、網袋に獲物を入れる。

一連の作業を後ろから眺めていたゾロが口を開く。
「・・・・・あんた、左手怪我でもしてるのか?」
釣り道具を片付けながら男は応じる。
「左腕は只今貸出中でな」
男は立ち上がり、振り返る。
海風を孕んでマントがはためく。
その男の左には、二の腕から下がなかった。



南の入り江についた時には、太陽は既に沈んでしまっていた。
ほのかな夕闇の中にこじんまりとした船が見える。
「・・・・あれに強い海賊がのってるって?」
拍子抜けしたように言うゾロを男はたしなめる。
「相手を見かけで判断するんじゃねぇ、本隊は別さ。ちょいと遊びに出てきたんでね」
船上から伸びる梯子を男は何の躊躇いもなく登っていく。
「用事があるのはお前だろ」
と男はゾロについてくるよう促す。
「お、おぃ、あんた・・・?」
ゾロの疑問を無視し、男は船上へ。
男の後についてゾロが船内へ足を踏み入れたとき、わらわらと船員が集まってくる。
「頭っ!!」
「客人ですか? 頭」
マントが翻える。そして男はゆっくりと振り返る。
赤髪のシャンクスとして。


「―――!!」
ザッ!!
瞬きの間にシャンクスの隣から飛びすさると、ゾロは深く腰を落とし鯉口を切る。
戦闘態勢。
「てめぇが親玉かっ!?」
「まぁな」
何でもないことのようにシャンクスはそう言う。
刀に手をかけることもなく。
同時に、背後に回ろうと動きかけた長身の男の動きを止めたことにはゾロは気づかなかった。
「何で俺をここまで連れてきた!?」
鞘から解き放たれた白刃が二本、金属音と共に現れる。
「言ったろう、魚でも焼いてもらおうかって」
人手が足りねぇんだ、とシャンクスはニヤリと笑う。

「ふ、ざけるなっ!!」
一陣の突風。
眼前に迫ったゾロの二刀を、シャンクスは顔を反らせるだけでかわした。

有るはずの手応えがない。
目を見開くゾロを襲ったのは鳩尾への鈍い衝撃だった。
―馬・・・鹿な―
今の今まで、刀に手も触れていなかった筈だ。
暗くなる目の前に、シャンクスの突き出した刀の柄が見える。
一撃食らうまで全く見えなかった刀が。
「・・・・・ほぅ、まだ立てるか? 小僧」
船の壁にしたたか背中を打ちつけながらも、膝を突かなかったゾロを見てシャンクスは感嘆の言葉と共に笑う。
だが、それは今までの笑いではない。気のいい男の面影はもはや微塵もない。
それは獲物を定めた獣の笑い。

「・・・・・小僧じゃねぇぞ、俺は」
そう強がるも、膝はガクガクと笑い、床に突き刺した刀にしがみついて辛うじて立っていられる程だ。
その様を見てシャンクスは、くっと低く喉を鳴らし、ゆっくりと近づいてくる。

―逃げたい―
初めてそう思った。これが海賊、これが恐怖か。

だが足は思うように動かない。背が壁にぶつかる。
シャンクスの落とした鞘の床に跳ねる音がやけに響いた。

ダンっ!!
風と共に焼けつくような痛みが首筋に走る。
熱い液体が流れ出るのを感じた。

「ぐ・・・ぅ」
その首筋を掴まれ、ゾロは低くうめいた。
ゾロの首を掴む指の隙間からじわりと血が溢れ、シャンクスの手をも赤く染めた。

「声変わりも満足に終わってねぇようなヤツは小僧で十分さ」
首を捻りあげられる。
血のように垂れる赤髪の、その奥に光るのは獰猛な瞳。

―殺される―
そう思った瞬間、首から力が抜けた。

突然、大量の空気が肺に流れ込んでくる。
床に崩れ落ちたゾロは、大きく咳き込み倒れた。

床に這いつくばったままの格好で、ぼやける視界のその先に背を向けるシャンクスの姿を見た。

「――く、ちっ、くしょーっ!!」
どこにそんな力が残っていたのか。
ガバリと起き上がると、刀を掴みシャンクスの元へと突進していく。

背を向けたままシャンクスは振り返ることもなく、体を捻りゾロをやり過ごす。
そのまま血に濡れた首に手刀を振り下ろす。
そこまでだった。
ゾロは完全に昏倒し、どうと床に伏した。

「結構根性あるぜ、こいつ」
足元に転がる少年に一瞥をくれ、シャンクスは顔をあげる。
「手当てしてやってくれ、俺は疲れた」
「・・・もの好きめ」
苦笑を浮かべながらもベンはゾロを抱き上げ、シャンクスの後に続いた。


首を締めつけられる感触に、ゾロははっと目を開ける。
―どこだ、ここは―
そんな疑問は目の前の男の存在で氷解した。
キセルを咥えながら無表情で自分の首を締めているのは、あの赤髪の傍で戦いを見ていた男だった。

「随分気づくのが早いな」
身を硬くして睨みつけるゾロの顔の前に男は手のひらを翳し、制する。
「心配すんな、血止めをしてるだけだ。まぁ、皮一枚切っただけだがな」
布の両端をギュッと結ぶと、男は名を名乗りゾロの傍らに座った。

ゾロは自分の首元を覗き込むように見ている。
「・・・包帯なんて洒落たものがねぇんだ、それで我慢しろ」
首に巻かれたのは黒いバンダナだった。

男は黙ったまま、酒瓶をあおり、煙をく揺らす。
それからキセルを逆さにし、瓶の口に軽く打ちつけた。
音もなく落ちた火の玉は瓶の底で小さな悲鳴をあげ、消えた。

「・・・・・なぁ」
ゾロが口を開く。
「・・・・・なんだ」
「・・・あの男・・・・・・・・・強いのか?」
名を尋ねようとして止めた。理由は分からないが名乗るのも止めようと思った。
まだ何者でもない自分には名を問う権利も、名乗る名もないような、そんな気がした。
「・・・多分な」
そう言ってベンは僅かに顔を綻ばせる。
「・・・一番か?」
「それは分からんな、世界は広い」
「他に強ぇ男をあんたは知ってるか?」

「・・・・そうだな」
男は新たな火種をキセルに仕込みながら暫し思案する。
「"鷹の目"あたりか」
「"鷹の目"?」
「通り名だ。本当の名はヤツを探し出して聞くがいい」
ベンはゾロの反応を楽しんでいるようだ。
「"鷹の目"・・"鷹の目"」
ゾロは膝を抱え、うずくまったまま、記憶に刻みつけるようにその名を繰り返した。
「強くなりたいのか? 小僧」
「・・・・・あぁ」
―成程、あいつが気に入る訳だ―


暫しの沈黙は、扉が乱暴に開けられた瞬間に終わった。
雰囲気は一変して騒々しいものになる。それは決して不快なものではなかったが。
「よぉ、気がついたか、小僧」
両手に酒瓶を持ったシャンクスは、ゾロの前にどかりと胡座をかき、一本を差し出す。
「小僧にゃ早いか?」
口をへの字に曲げ、ゾロは酒瓶をひったくる。
そのままガブカブと一気に瓶を空にするゾロにシャンクスは拍手を送る。
「おー、なんだ小僧、いけるじゃねぇか」
「うるせぇよ、おっさん! 大体、あんた何で俺をここに残した?」
ゴクリと酒を飲み下すと、シャンクスはこともなげに答える。
「ただ殺すのも捨てるのも惜しかったからな」
ベンが肩を竦めるのを見ながら、ゾロは悪い予感にかられた。
「・・・・俺に何させる気だ?」
「掃除とか炊事とか洗濯とか」
「雑用じゃねぇか!」
「そうとも言うな」
顎ヒゲを擦りながらシャンクスは頷く。
「・・・何で俺が!!」
不服そうなゾロにシャンクスは動かしようのない現実を突きつける。
「敗者ってのは勝者の言うことを聞くもんだぜ」
「俺は海賊になる気はねぇぞ」
「構わんさ。仲間がこっちに来るまでの、そうだな二、三日ってとこだ」
それがイヤなら―とシャンクスは妖しい笑みを浮かべながらゾロに近づく。
肩を抱き、耳元で囁く。
「夜伽の相手にでもなるか? ん?」
ガタタッ!!
きっかり三秒の硬直後、ゾロは脱兎の如く後ずさると壁に貼りつく。
青い顔でだらだらと冷汗を流す姿を見て、シャンクスは腹を抱えて笑った。

「冗談だ、冗談。ガキにも男にも興味はねぇよ、おい、戻ってこい。
・・・・・・・・なんだ、固まってんのか?」
無理矢理腕を引かれ、再び向かいに座らせられる。
「・・・・心配すんな、取って食いやしねぇよ。まぁ暇になったら相手してやるさ」
その言葉に、ギクリと身を震わせるゾロにシャンクスは刀を持ち上げて見せた。
「こっちのな」

―この男、どこまで本気なんだか―
ゾロはただ呆然と揺れる赤髪を眺めていた。

その後は無秩序な酒宴となった。
その中にふと"麦藁"の話も出はしたが、ゾロの記憶には残ることはなかった。

それから三日はあっという間に過ぎた。
二日酔と雑用生活の中で、ゾロはシャンクスに三度挑戦し全てに破れた。
今度は刀を抜かせることすらできなかった。

早朝、船の傍らで戦った後だった。
刀を弾き飛ばされ、空になった右手に小さな麻袋が飛んでくる。
船上を見上げれば、投げつけたのはベンらしかった。
軽く握ってみれば、チャリチャリと小金の音がする。

「何だよ、こいつぁ」
眉根を寄せるゾロを尻目に、シャンクスは梯子に手をかけ上っていく。

ヒラリと船内に降り立つと、身を乗りだしてゾロに顔を見せる。
「残念だが、もう出発でな」
沖を見れば幾艘もの船が見える。この間言っていた仲間とはこのことか。
「おさんどんご苦労さん。その駄賃だ。飯屋の親父に利子もちゃんと払っとけよ」
ゾロは驚いて顔をあげる。空の青が眩しい。
細めた目に映るのは潮風に揺れる赤い髪。瞳が優しい。

―もう行っちまうのか!?―
瞬間、そんなことを思いギクリとしたゾロをシャンクスは見逃さなかった。
「何だ? 俺と離れるのが辛ぇってか。なんならお前も来るか? 小僧」

―最後までからかいやがって!!―
ニヤニヤ笑うシャンクスにゾロは顔を紅潮させ、あらん限りの声を振り絞る。

「俺は海賊なんかにゃならねーっただろうが! こん畜生ーーっ!!」



「――なんて言ってたくせにな」
シャンクスはベンに背中を預けて笑う。

何をどう転んだか―まぁどうせルフィに突き飛ばされたんだろうが。

シャンクスは、ベンに手配書を渡すと懐から小刀を取り出す。
軽く構え、押し出すように小刀を放る。
次の瞬間、手配書は風のようにベンの手から消え、コツと向かいの木の幹に貼り付けられた。

笑う麦藁の船長の横にもう一枚。
また一つ楽しみが増えた。

風に揺られる二枚の手配書を見比べて、シャンクスは子供のように笑った。




わくらば―邂逅。
たまたまうまく巡り合うさま。偶然であるさま。

[前頁]  [目次]  [次頁]


- Press HTML -