少数お題集
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03.群青に沈む夜 |
Date: 2008-03-06 |
シャワーを浴びた身体に、しなやかなシルクのローブを纏ったヒナが、組んだ脚もしどけなく、リビングの長ソファに腰かけている。
細く長い指が読み終えた書類を摘まんで放る。
低いテーブルの上を滑り落ちそうになったその紙を、グラスを運んできたサンジが指先で止めた。
「何の書類?」
高級なブランデーのボトルから流れ出た琥珀がグラスを満たす。
サンジの手による透明な丸氷が、カラリと澄んだ音をたて傾いた。
「どうやったら、効率よく敵を沈められるかって書類」
そう言ってヒナは、挑みかかるような目で笑う。背筋が凍るような、一種、凄絶と言ってもいいその微笑みに、サンジは一瞬、目を惹かれ、それを隠すように直後、慌しくソファの空いているスペースに腰を下ろした。
背もたれの上に頭を乗せ、サンジは天井を見上げる。
ゆっくりと目を閉じれば、知らず、口から小さな溜息が零れた。
「疲れた?」
「いや」
そう答えたものの、瞼が妙に重い。
ヒナはそれ以上は何も言わず、再び書類を捲り始めた。
静まり返った室内に時折、紙の捲れる音が響く。そして、微かなアルコールの香り。
どこか懐かしく、どうしてか心地好い音と匂いがサンジを包む。
部屋の灯りがほのかに透ける瞼に、ぼんやりと人影が浮かぶ。
あれは、誰だ。
数あるテーブルの中に、灯りが揺れているテーブルがぽつんと一つ。
沢山の紙を捲る男の後姿。グラスに伸びる手。テーブルの上に置かれた長い長い帽子。俺がいつも見続けていた背中。
名を呼ばれた気がした。
その背がゆっくりと振り返る。
誰だ? その姿はぼやけて、よく見えない。目を擦ろうとしても、どうしてか身体が動かない。
「――ジ・・・サンジ?」
「あ?」
夢うつつの瞳に苦笑を浮かべた女の顔が映る。気づかぬうちにヒナの肩にもたれ掛っていたサンジは、すぐ近くにある女の顔をぼんやりと眺めた。
「・・・・誰か、別の、奴が、俺・・・呼んでた、はず・・・のに―――」
呂律の回らぬ口で何事か呟くサンジを見て、ヒナは小さく噴き出す。
「仕方のない子ね」
サンジの頭を片手で支えたまま、ヒナは僅かに腰を浮かせ、ソファの端に掛けなおす。そのまま、ゆっくりと手を下ろせば、サンジの頭はなすがままにヒナの腿の上に落ち着いた。
「夢でも見てた?」
静かに降ってくる女の声。その声もまた、酷く懐かしく思える。
「ゆめ・・・・どっち・・・・だ?」
答えはどこからも帰ってこない。代わりに、ほっそりとした指先が乱れた金の髪をそっと梳いていく。
見つけた記憶の欠片。
考えなくてはならないのに。サンジは懸命に瞼を開こうとする。
だが、この柔らかなぬくもりから身を起こすことは、どうしても出来なかった。
女の甘い肌の香りと、髪を撫でる指先の心地好さが、サンジの思考力をとろとろと溶かしていく。
やがて、深い青を湛える瞳は静かに閉ざされ、そこに夜は優しく染み込んでいった。
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