少数お題集


  05.祈りの歌 <ナミ+レイリー> Date: 2008-08-09 


「まだ何か聞きたいことでもあるのかね? お嬢さん」
コーティングに必要な道具をあれこれと納戸から取り出していたレイリーは、その手を止めて振り向くと、柔らかな声音でそうナミに問うた。
「え・・・・と・・・」
何者にも物怖じしない性質のナミにしては珍しく、ナミは言葉を詰まらせる。広大な海の全てを、そして、遠大な歴史の全てを知ったと言う男を前に、ナミはただ立ち尽くしていた。
聞いてみたいことなど山のようにある。
山のようにある、筈にもかかわらず、思考は悪戯に空転するばかりで、聞くべきことと聞くべきではないことの整理すらつけられずにいた。
「聞いて後悔しないことなら、聞いておくといい」
知的な中にどこか飄々とした雰囲気を併せ持つ目の前の老人は、どこまでも穏やかな瞳をしており、かつては"冥王"などという恐ろしげな二つ名を轟かせていたとは、ついぞ思えない。
「なら一つだけ」
ナミはほんの僅かの間、目を閉じ、小さく息を吐くと意を決したように口を開いた。
「海賊王を失うってどういうことですか?」
聞きたいことは山のようにある。
賢者と呼ばれる者なら、この世に多くいるだろう。船長を失くした船乗りも数知れない。だが、海賊王を失った過去を持つ人間はいくらもいないだろう。
その問いかけに、レイリーは顎に右手を当てて小さく唸ると、少し困ったような笑みをナミに向けた。
「そいつは今日受けた中では、とびきり難しい質問だな」
そう言ってレイリーは暫し視線を中空に彷徨わせる。その姿は、いつか見た良い夢を思い出そうとしているかのようにナミには思えた。
ナミは目の前の老人の重すぎる過去に思いを馳せる。
ただ一人の船長が、不治の病に冒されたと知ったとき。
解散の命を下されたとき。
海賊王が自首をし、公開処刑が発表されたとき。
そして、その処刑の日に、一体レイリーが何を思ったろうかと、ナミは想像してみる。
例えば、自分だったら?
そう考えた瞬間、ナミの全身に寒気が走った。
ルフィを失うことなど考えられない。想像しようとしただけで、叫びだしたいほどの焦燥に駆られてしまう。
海賊王を失うと決まった瞬間から、そして失ってからの長い間、この人はどうしてその重みに耐えてきたのだろう。
そうだな、と呟いた後、レイリーは一つ一つ言葉を選ぶように語りだした。
「ロジャーが処刑されるその時、私は一人海を見ていた」
切り立った岩がいくつもそびえ、強い風が唸りながらその間を抜けていく、常に荒れた海だったとレイリーは言う。
「そんな海が、ロジャーの死の時間、不思議なほどに静まり返った。まるで祈りの歌でも歌っているかのように、な」
その時にだな、とナミの見つめる先でレイリーが続ける。
「それまでは、そんな妙な光景を見るたびに思った。きっとロジャーもどこかで同じように海を眺めているのだろうと。だが、これからはそんな風に思うことはできないのだ、と。あいつを失うというのは、そういうことなのだと思ったものだ」
「救いに行こうとは思わなかったの?」
オークション会場で見せたあの不可思議な力。手も触れずに海兵達が崩れ落ちていった様をナミは思い出していた。
今尚、あれ程の力を持つのなら、と考えていたナミに、レイリーは静かに首を振った。
「ロジャーはそれを望まなかった。あの場に向かった若いのの中には、もしかしたら一騒動起こしてやろうとしていたのもいたかも知れんがな」
苦笑を浮かべ、レイリーは続ける。
「まぁ、手を出そうとしたところで、結局はアレの意に反することなんて誰もできる筈がない」
そこでレイリーは、その視線をちらりとルフィに走らせた。
「海賊王なんてのはそういうもんだろう?」
そうね、とつられるように笑ったナミにレイリーは再び顔を向ける。
「まだ若い君達には分からないだろうが-------
我々は十分すぎるほどに長い旅をした。若い頃は終わりを恐れだが、時がたつほどに、終わり方を考えるようになっていった」
レイリーは眼鏡の奥の目を細める。
「明けない夜がないのと同じように、落ちない陽もない、ということだろうな」
そう言ってレイリーはゆったりと笑んだ。
穏やかな中に一抹の寂しさを覗かせる老人に、ナミはあら、と微笑み返す。
「この世のどこかには、一日中太陽が昇ったままの土地があるって聞いたこと、私はあるけど」
「そう言えば、そんな話を私も聞いたことがあるな」
「なら、私がそこに海賊王を連れて行くわ」
鮮やかな笑みと強い決意を秘めた瞳を暫し見つめた後、レイリーは腹の底から楽しげな笑い声を上げた。
「そうだな。先を行くものはそれくらいの気概がなくてはいかんな」
レイリーは眩しいものを見つめるような目で、ナミの肩に広い手のひらを乗せた。
「お前さんたちがどこまで行けるか、ここで私は楽しみにしているよ」
さて、とコーティング屋の顔に戻ったレイリーは、取り出した道具を担ぎ上げる。
落ち合う約束を交わし、一人歩き出したレイリーの耳に、風に乗って陽気で騒がしい海賊たちの声が届く。
懐かしい香りのする風を感じながら、レイリーは、この海賊達の為に海が祈りを捧げるのはできるだけ先であれと願った。

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