少数お題集


  04.還る場所を知らない <ナミ+サンジ> Date: 2009-08-14 


子守歌のようにして眠りに落ちた波音も鐘の音も、目を覚ました頃にはすっかりと消えていて、見渡す限りに広がっていた海雲も空の遙か彼方に霞んでしまっている。

それにしても、とナミは身を起こし、辺りを見回す。
目を覚ました今の方が夢の中にいるようだ。
風船のようにパンパンに膨らんだ蛸に抱えられながら、真っ青な空と、綿菓子のような白い雲の間を縫うようにして、のんびりと空を漂っているのだから。

空島を出発した瞬間の衝撃もつかの間、まるで大きな揺りかごに乗せられたような感覚に、いつしか眠りに落ちてしまっていたのだった。
甲板には、クルーが銘々、妙な格好で寝転がっていて、滅多に隙を見せない筈のロビンでさえ、船壁を背にして目を閉じている。
男達は着の身着のまま、屍のように転がされているが、ロビンの膝元には薄いブランケットが掛けてある。ナミもそれは同様で、掛けた記憶のないブランケットをそっと剥がして立ち上がる。こんな気の利かせ方をするのは、一人しかいない。ナミはこの場にいない男の姿があるであろうキッチンに目を向けた。

「うわ! 吃驚したナミさんか!」
足音を忍ばせて近づき、そっと扉を開けると、思いの外不意をついたようで、テーブルで包帯を巻き直していたサンジは、目を丸くして大きな声を上げた。
すっかりと下拵えは済ませてしまったのだろう。キッチンは既に食欲をそそる匂いで満ちていて、シンクの中には洗い物の一つも残っていない。
「サンジ君、ずっと起きてたの?」
「目ェ覚ましたら腹減ったってうるせェだろうからさ」
少々ぞんざいな口調は照れ隠しに違いない。
そうね、とナミは笑って、右手に掛けたブランケットを差し出す。
「これ、ありがと。おかげでよく眠れたわ」
その言葉に、サンジはニヤと目尻を下げる。
「やった! これで今夜は俺、ナミさんの香りに包まれて寝られるぜ!」
うひょひょ、とおどけながらブランケットに手を伸ばしたサンジが僅かに顔をしかめた。
差し出された手の甲は明らかに普通の肌の色はしていない。ナミの顔色がさっと変わるのを感じ、サンジは一瞬、しまったというような表情を浮かべた。
「すぐ巻いちまうから」
手首まで巻き掛けた包帯を、サンジは慌ててぐるぐると巻いていく。取りあえずナミの目に傷跡が触れなければいいと考えているのだろう。巻かれていく包帯は不格好で、あちこちに隙間ができている。
「ダメ!」
ナミの手が、包帯の尻尾を捕まえる。
「もうしばらく水仕事はしないんでしょ?」
戸棚から応急薬の入った箱を取り出し、ナミはサンジの隣に腰を下ろす。
「ちゃんと消毒しなきゃ」
乱暴に巻かれた包帯を解き、消毒薬に浸したガーゼをそっとあてがう。
「大丈夫?」
「キュートなナースが手当してくれてるから平気」
笑顔のままで顔色を変えることをサンジは一切しないが、痛まない筈はない。
「バカ」
小さく呟き、ナミは丁寧に包帯を巻いていく。
指先を残して白に包まれた手のひらを、ナミは自分の手のひらで包んだ。
戦いの間でも決して使わない手。
これは彼の宝物だ。それを――

「・・・サンジ君、ホントに」
「"ゴメン"なら、もう聞いたからいらないよ」
そう言ってにこりと笑う顔を見て、ナミは目を丸くした。
「・・・え? いつ?」
「空島で。あの趣味悪ィ船から落っこちた後」
ウソップのアホめ無茶しやがって、とサンジは苦笑している。
「だって、あの時サンジ君意識なかっ・・・」
「ナミさんの声なら、例え死んでたって俺の耳は聞き逃さないからさ」
おどけてそんなことを言うサンジの手を、ナミは少し力を入れて掴む。
「そんなこと言わないでよ!」
少し顔をしかめたサンジは、ナミの強い語調に驚いたように目を見張った。
「死ぬなんて、ダメ」
「・・・ナミさん」
まっすぐ、強い瞳でサンジを射た眼差しは、すぐに緩んだ。
「サンジ君がいなくなったら、買い物の荷物持ってくれる人がいなくなっちゃうし、みかんの木の警備してくれる人も、うたた寝したら毛布掛けてくれる人も、おいしいご飯作ってくれる人もいなくて、困るもの」
思わずむきになってしまったことの照れ隠しで、ナミは一気にそう捲し立てた。
「うーわー、すっげェ実用的見地からのご意見」
傷ついたように胸に手をあて、ことさらに萎れてみせるサンジを見て、ナミが小さく吹き出す。
その笑顔を眩しそうに眺め、サンジは柔らかな笑みを見せた。
「大丈夫。どこにも行かない。ここ以外に行くトコなんてどこにもない」
それに、とサンジは笑顔の瞳にイタズラな光を宿らせる。
「もう一回ナミさんの水着姿見るまでは絶対に死ねん!!」
なら、とナミは呆れたような顔で肩を竦める。
「サンジ君の為には、私は一生水着にならない方がいいわけね」
「そらひでェよ、ナミさん」
哀れっぽい声を上げ、サンジはわっとテーブルに突っ伏した。
あちこちに焦げのできた金の髪に、ナミはそっと手を伸ばす。
どこにも行かない、なんて言いながら、同じような事態になれば、きっと彼はまた身を呈して他人を守ってしまうのだろう。
優しげな、けれど少しだけ寂しそうな笑みで、ナミは密やかに溜息をつく。
ウソツキ――
声には出さず、ナミは唇だけでそっと呟いた。

やがて苦笑とともに顔を上げたサンジにナミは微笑む。
「ね、サンジ君。喉乾いちゃった。何かある?」
ナミのリクエストにサンジは身を起こし、嬉しそうに目を輝かせた。
「じゃ、コナッシュのジュースはどう? 出るときにコニスちゃんがいっぱい持ってきてくれたんだ」
立ち上がり、シンクに向かうその背に、ナミが声をかける。
「ありがと、サンジ君」
「どういたしまして」
とても優しい声でそう応え、サンジは誇らしげに包帯の巻かれた右手を掲げた。

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