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  羽蟲 Date: 2003-09-26 (Fri) 

-1-

ジジッという小さな音。
それが止むとひくひく蠢く物体が視界の端に入ってくる。

ランプの下には1匹の虫。
途切れ途切れに聞こえてくるぱさり、ぱさりという音。

死にきれないのか、死にたくないのか。
細い自分の体以上に大きな羽を弱々しく床に打ちつけている。
蛾、とは違うんだろうが俺にはよく分からない。
虫にはくわしくねぇからな。

「ったく、畜生が」
バラティエの―店の営業、及び片付け並びに明日の準備。
もろもろの雑事を終わらせて自室に戻ってきたのは、真夜中にならんとする頃だった。
机に向かって、補充の必要な品を書きつけている俺の傍らに置かれたランプ。
細く開けた窓から入りこむ虫に何度も集中力を奪われる。

俺は立ち上がると、いまだに僅かに羽を震わせているソイツに止めをさして角の方へ蹴り飛ばした。
比較的陸に近いところに停泊している所為なのか、天候の所為なのかは知らないが、最近虫が多くて敵わない。

料理の最中に周りを飛び回られると気が散ることこの上ない。
ましてや丹精込めて作った料理の中に飛びこまれた日にゃあ、涙も出ない。
まぁ、ウチの店員も客もそんなことは頓着しない(というか俺がさせない)から、処分に困るといったことはないんだが。

立ち上がったついで、という訳ではないが机に戻るのは止して出窓の窪みの部分に軽く腰を下ろした。
煙草とライターを取り出してから、脱いだ上着を椅子の上へと落とした。
灯りからは結構離れてるから、虫も落ちちゃこねぇだろう。

箱を開いて軽く揺すること2、3度。
出てきたフィルタを軽く咥えて引っ張り出す。

ジッポの蓋を開ける時の無機質な金属音が耳を打つ。
つけた火を煙草の先端に移し、大きく吸い込み、吐き出す。

そんな作業の合間にも、次々と新たな死骸がランプの元に積まれていく。

何故虫が灯りに集まるのかなんて知らねぇ。
何がしかの必要があって、何かしらの目的があってそうするんだろうか。
闇雲に炎に飛びこんでいく様子にゃ何の理由もねぇ、俺にはそんな気がする。
何にせよ―――――

―馬鹿なヤツラだ―
そう思った。

訳も分からねぇくせに―
そんなに灯りが好きならば、燃えさかる火にではなく夜空を照らす月くらいを目指せばいいのに―

無音の夜空を見上げてみて、今夜は月が出てないことを知った。

闇夜

昨夜と同じ無明の夜―

聞こえてくるのは僅かな波の音と、虫共がその身を焼く音。
煙混じりの呼吸音。

そして、更に小さな、小さな靴音。
俺は目を伏せて、期待と確信をもって煙を吐き出す。
目をあけると、果たしてそこには―


細身の女性。
不安定なランプの炎の動き。
照らされる彼女の顔の陰影も定まらない。

喜・怒・哀・楽

いずれの表情を浮かべているのか判じかねる。
それは、昨夜も同じだった―


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昨日、突然現われて、突然店をぶっ壊した海賊。
あれには流石の俺も少々ビビった。正当防衛だとかなんだとかホザいていた"犯人"の男が船長だと名乗ったのにも別な意味でビビったが。

俺は最初、彼女もそいつの"仲間"なんだと思っていた。
『君となら海賊にでも悪魔にでも成り下がれる覚悟が今できた』―か。

我ながら軽薄極まりない台詞を思い出して苦笑する。
そんな覚悟なんて微塵もねぇくせに。

何だったんだろう。
あの一瞬に、彼女が垣間見せた無表情は。

楽しげに食事をしていた筈の彼女。
その去り際の言葉がまだ耳に残っている。

『言っておきますけど、私は"海賊"なんかじゃ、ましてやこいつらの"仲間"なんかじゃないですからね』
ついてきても無駄よ―と早口で言って店を出た彼女。

ご機嫌を損ねたか、と心の中で舌打ちして、俺は仕事に戻った。
俺にしちゃぁ珍しく、女の歓心を買い損ねた―それで終わる話だと思っていた。

真夜中になるまでは。
どこで知ったか、誰に聞いたか分からないが、突然彼女は俺の部屋に現われた。

そして―


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そして、今夜―

同じコトを今夜もまた繰り返すのだろうか―

彼女は、何も言わずに灯りの方へと足を向ける。

「あぁ、俺が・・・・」
虫の死骸の山なんて女性が見て気もちいいものではないだろう。
そう思ってかけた言葉は虚しく闇に飲まれる。
彼女は足元の残骸を気にとめることもなく、灯りを吹き消す。
その瞬間、煙草の先端だけが唯一の光源となる。
何も照らすことのできない微かな光。

何も見えない。
分かるのは影の動く気配。

―と、闇から伸びてきた手の影が煙草を取り上げ、爪先で踏み潰す。

そして、真の闇が訪れる。


「ナミさん・・・っつ」

言葉を嫌う彼女。
言いかけのまま俺の口は今日もまた途中で塞がれてしまう。
彼女の唇で。
腰かけたままの俺の首に廻された彼女の腕。
細い、細い腕。重さは殆ど感じない。

しなければならねぇことなら分かっている。
この腕を外し、聞かなくちゃならねぇ。

―どうして俺に抱かれるんですか
―どうして俺を選んだんですか

分かってる。分かっちゃいるんだ。


影なる腕がゆるゆると動く。
首の後ろから、前へと、ゆっくり。
なぞられた指の感触がいつまでも皮膚から離れない。

纏わりつく重さのない影。
闇に漂う甘い香り。
そして、俺は地に縫い付けられた影のように動けない。

軽く唇を合わせたまま、ゆっくりと俺のシャツのボタンを彼女は外していく。
時折肌に触れるその指先の冷たさに驚く。
なぞられた感触がいつまでも残っているような気になるのは、恐らくその所為なんだろう。
一番下のボタンまで外し終わると、彼女は俺の肩からシャツを落とした。
腕に絡み付きながら、背中の半ばほどで止まったシャツ。
それまで何とか形を保っていたシャツが、その瞬間から、ただの布きれと化す。

―貴女は・・・

―どうしてこんなコトをするんですか
―俺のことを何だと思って・・・・


分からねぇ、分かんねぇことばかりだ。
だけど

ひたり。
手が背へと廻される。
一度離れた彼女の顔が俺の肩口へと近づく。
陽の元では眩しいくらいのオレンジの髪。
今は色などなく、ただただ甘い香りだけが鼻腔を擽る。

そして、思考が止まる―
俺は出窓に腰かけたまま、いまだ彼女のなすがままだった。
息だけが、あがる。

肩に触れる彼女の唇の所為で。
背を擽る彼女の指の所為で。

本能のみに突き動かされようとする体。
それを疎ましく、呪わしく嘆きながらも。


―もうすぐ・・・・また・・・


そんな確信めいた予感だけを、俺は抱いて。

―もうすぐ、俺は俺を止められなくなる―




-2-

肩口には唇より尚柔らかく、尚熱い感触。
彼女の唇から突き出された舌が、俺の鎖骨のあたりを何度も撫でていく。
背後に廻された手はゆったりと、だが指先は忙しげに背筋を刺激する。

そして、いつのまにか下ろされていた残りの手は、ズボンの上から俺自身をなぞっていた。

いくらか目が慣れてきたとはいえ、全くの闇に包まれる室内では彼女の細かな仕種など分からない。
ましてや、その表情などは。
それでも、きっとどんな男でも熱くさせてしまうに違いない、彼女のその手管に俺は舌を巻く。

―どんな男でも―

そう考えた時に胸がちくりと痛んだ気がしたが、そんなことは、この場ではどうでもいいことのように感じた。

―今は、ただ―

俺の前で中腰でいる彼女の二の腕を掴んで立ちあがらせる。
細いその腰に手をかける。
ピタリと体に張り付いているTシャツの裾を捲りあげると、一瞬彼女はビクリと体を震わせる。
闇の中であることを確認するかのように辺りを伺っているようだ。

俺にはその理由が分からない。
そして、全く同じ仕種を昨夜も見せたことに彼女は気づいているのだろうか。
だが、それも最早瑣末な疑問だ。

―ただ、この女性(ひと)を―

それから、彼女はするりと体を解放する。
滑らかなその肌を引き寄せると、彼女は自らの手で胸の戒めを解く。

それと同時に・・・・
僅かばかり残されていた俺の理性も溶けて消えた。
代わりに俺を満たしたのは、ただ一つの浅ましい欲望。

―抱きてぇんだ―



闇の溢れる室内。
俺は彼女の腰を抱いて、眼前の豊かな二つの房に顔を寄せた。
極上の部類に入るであろうその柔らかな肉を食む。
手でするよりも緩やかに、口の中で揉みしだいていく。

「...っは...」
吐息混じりの掠れた声と共に身じろぐ彼女。
咥えた乳房を焦らすように引く。じわじわと力を込めていく。
やがて到達するその頂点を唇で噛んでやる。

期待に膨らむ其処は、更なる愛撫を求めるかのように固く尖り始める。
俺はしばらく其処を責め続けた。
唇で挟んだままに、その頂点を舌先で探る。
軽く、突つくように押すだけで彼女の躰がピクリと跳ねる。

何とも感度のイイ躰だ。
もっと乱れさせてやりたい、そう思わせる躰。

頂点に舌を絡めたり、その輪郭をなぞるように舐めまわしたり。
その度に堪えきれなくなった溜息が、彼女の口から零れ出る。
その間隔が徐々に狭まり、つられるように俺の息も荒くなっていく。

「...っ、くぅん....」
とがりきった先端を軽く前歯で齧ると、彼女は切なげに鼻を鳴らす。
反らせた背にバランスを崩しそうになった彼女は、俺の肩に手をかける。

さっきとは違う確かな重み。

昨夜からの熱く、だが現実感の希薄な営み。
ともすれば、夢ではなかったのかと思ってしまう程。
その重みだけが俺に許された現実を感じる唯一の手段。
確かに彼女を抱いているのだという。

だから、俺は更なる現実感を彼女の躰に求めた。

ゆっくりと立ち上がり、彼女の背後に回る。
後ろから彼女の手をとり、出窓の端につかせる。
息を弾ませる彼女は抗うことなく俺に従ってくれる。

腕や背中に絡むシャツが邪魔だ。
俺は、乱暴にシャツを自分の身から剥ぎ取ると、床に投げ置いた。

自由になった右手で彼女の手を包んだまま、左手で闇にとける彼女の躰を探る。
甘い香りを放つ髪の中を俺の指は抵抗なく泳ぐ。
片側に髪を寄せ、項に舌をつけると俺の掌の中で彼女の冷えた指が僅かに動く。

そのまま彼女の肩に指を滑らせた時だった。

「・・・!!」
突然彼女は背を向けたまま、俺の手首を掴んだ。

―何だ?今のは―
彼女に動きを封じられる直前、指先に一瞬感じたあの違和感は。
ざらりとした感覚。傷とは少し違うような―

どれ位そうしていたんだろう。
時間までが闇に呑まれていくようなこの部屋で。

気づくと今度は彼女が俺の手をとり、自らの胸の上に置く。
俺はゆっくりと彼女の手に導かれ―

無駄な肉の欠片もない腹部。
小さな臍。
優しいカーブを描く下腹部を通って。

柔らかな茂みの、その中へ。

その場所は、導き手の冷たさとは逆にかなりの熱を帯びていた。
体外に溢れ出た雫ですら、俺の指に温もりを伝えてくる程に。
彼女はまだ俺の手を解放しない。
俺の中指を握るとそのまま自分の体内に突き入れる。

―熱い―
そう思うのと、彼女が窓についた右手を握りしめ、喉を震わせたのは同時だった。

そして、俺は先程感じた違和感のことなどキレイに忘れた。
彼女の熱が欲しくて―
ただそのことだけで―

これ以上強力な口封じなんてあるかよ。



慌ただしくズボンの留金を外す。
愛液で濡れたままの左手で、彼女の腰を掴む。
俺はそのまま何も言わず、後ろから彼女を貫いた。

「っは、くっ、ぁぁあああぁぁっっ...」
俺の掌に包まれた、握り締めた右手がビクビクと痙攣している。
俺は、彼女の震えが止まるのを待ってから動き出した。
何の事ぁねぇ、俺も動けなかったんだ。
焼き切れちまいそうな程熱い彼女の中では。

腰を揺するたびに、苦しげな呼吸を繰り返す彼女。
逃げちまいそうな華奢な躰。
俺は彼女の右手を押さえ付けたまま、それを許さない。

かける言葉もなく、ただ息を荒げて彼女を貪り続ける俺。
獣以下だな―そんな自嘲の思いを抱えつつも。

繋がっている部分の真上に指をあてがう。
腰を押し付けると、柔らかく濡れた肉芽が俺の指に触れる。
その度に脈打つように俺を締付けてくる彼女の中。
その動きが次第に大きく、早くなってくる。

互いを追い詰め合うが如く躰を重ね、押し付け、引き抜く。
それはもう、意思の力では止めることなどできず―

「っぅ、あっ..はぁぁぁぁぁぁぁあ...!!」
一際大きなうねりを感じた瞬間、彼女の右手が俺の手から逃げ出す。
すがり付くように窓に震える掌を押し当てている。

そこで、俺も限界を迎えた。
急いで彼女の中を抜け出し、床に熱病の跡を吐出した。

痺れるような快楽の中、果たして彼女の指を温めることができたのだろうか―
そんなことがやけに気にかかった。


体内に燻り続ける熱をいまだもて余しながらも、俺はズボンを上げる。
と、目の前の影も動き、俺の前からその気配が消える。
その刹那、手の甲に落ちてきた一粒の雫。

―泣いて・・・・・!?―

俺はその場を離れ、ランプの方へと向かう。

そして、部屋に灯りをいれた時には―
既に彼女の姿はなくなっていた―


また一人残された俺は、緩慢な動きで煙草を抜き、ライターを手に取る。
床に脱ぎ捨てたシャツを拾って肩にかける。
ジッポの奏でる音はやはり、無機的で。
その冷たい音の先に火が灯る。
それは、さっきまで俺の腕の中にいた彼女に、どこか似ているような気がした。

窓辺に腰をかけて煙草を咥える。
右手に残る一筋の跡。
それが涙の跡なのかどうか、それが何を意味するものなのか。
今夜は最早知りようがないことだ。

溜息と共に煙を吐き出す。
ランプの炎に透ける煙は儚げで、頼りなく。
瞬く間に宙に溶けて消えた

微かな羽音が聞こえる。
新たな犠牲者となるべく飛びこんできた虫を、俺は何とはなしに見つめる。
真直ぐに炎へと惹きよせられたそいつは、瞬く間に燃え落ちていった。

その様を見て俺は思わず嘲っちまった。
嘲わずにはいられなかった。

―同じじゃねぇかよ―

理由も何も分かりはしねぇのに。
そんなことにゃお構いなしで。
彼女を抱かずにはいられねぇ俺と。
こいつらは。

―貴女が炎で、俺は蟲か―
炎に惑い、一瞬の熱を求めて止まない一匹の―

それも悪くはねぇけどな、俺はもう一度低く嘲った。


空を見上げる。
まだ、月はその姿を見せない。
漆黒の空と闇色の海。
光のない世界。


―なら俺が、お前等の欲しがってるものをやるよ―
そんな想いと共に俺は海へと放り投げ、窓を閉じた。

大分短くなった煙草を。火をつけたまま。

それを―


憐れな同胞への餞として。






    彼女が忽然と姿を消したのは―

    明くる日のことだった―



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