+裏書庫+
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リモート(上) |
Date: 2005/01/07 |
安宿の電伝虫が震えた。
「よう」
届いたゾロの声にナミは顔を顰める。
確かに連絡待ちの為に自分は宿で待機しているのだが、いくら首尾よく事が運んだにせよ、連絡が早すぎる。
「何よ? もしかしてもう迷った?」
「うるせぇ、ちゃんと持ち場についたぞ」
「・・・明日は雨ね」
「・・・・・・・・」
電伝虫の向こうのゾロの顔を思い浮かべてナミは笑った。
今滞在しているのは、グランドラインの一島。
この島を正式な名称で呼ぶものは少ない。島民もそして行きかう人々も皆、この島のことを"標本島"と呼ぶ。
寄航した後、港から少し離れた市場で皆その理由を知った。
特殊な市場。
両脇に様々な規模の店が並ぶその通りに一歩足を踏み入れた途端、ナミとサンジの動きが止まった。
右に左に、そこらじゅう所狭しと虫の姿がある。
生きている虫、既に標本にされている虫。
あるものはかごの中に、またあるものはいかにも高価そうな布に包まれたガラスケースの中に飾られている。
大人の腕ほどもあるバッタや、触れれば虹の粉を降らすのではないかとも思われる見事な羽をした蝶。
生死、美醜、大小を問わない、そこは虫を売買する市場だった。
大喜びのルフィをよそに、ナミとサンジは無言で回れ右をする。
虫嫌いにはトラウマになりそうな光景だ。
暑いと言ってもいい気候の中、船の中で毛布を被り、中々治らない鳥肌をようやく宥め終えたところでクルーは戻ってきた。
「絶対にイ・ヤ・で・す!」
きっぱりと断った後、ナミは断固として聞く耳を持たない。
"標本島"で売買される虫達は主に、この島の東にある島からもたらされる。
虫の楽園であるそこは、それだけに人は生きていくことができない。正真正銘の無人島だという。
希少な虫も勿論いるが、殺傷能力を備えた虫も数多くいる。
調査すらおぼつかないのは、襲ってくる虫達に、生半可な船では接岸することさえできないからだ。
武装した船、もっぱら海賊達がそこに踏み込み、虫を狩っていくのだという。
そんな島にルフィが行きたい、と言い出さない筈がない。
ナミに纏わりついて行こう、行こうと囃し立てている。
「第一、行こうったってログはどうすんのよ」
ナミは手首につけたログポースをルフィの鼻先に突きつける。
「残念ながらここのログは溜まるのが早くて、アンタ達が帰ってくる前に溜まっちゃったの」
ルフィの眼前で、無情にもログポースは行きたい方向と真逆を指している。
「エターナルポースがあるらしいぞ」
ゾロが言うことには、丁度今、捕らえた獲物を売りつけにこの島に来ている海賊の一団があるらしい。
二つの島を行き来している彼らは間違いなくエターナルポースを所持している。
「何だったら取って来てやろうか?」
その口調が珍しく乗り気なのは、ただ単に手ごたえのある虫と喧嘩がしたいからに違いない、そうナミは思った。
冗談、とナミが両手を上げかけたその時、ウソップが割ってはいる。
「そういや、千だの億だのって額の取引があるみたいだぜ。あそこの虫で」
途端、上げかけた両手を下ろし、ナミは立ち上がる。
それからクルーの顔を見回すと、さも当然のように口を開く。
「さ、何してんの? アンタ達! 早いとこエターナルポースぶん取る計画立てるわよ!!」
予想通りといえば予想通りの展開に、ウソップとゾロは顔を見合わせ、密かに笑った。
決行は翌日の夕方となった。
集めてきた情報によれば、エターナルポースを持っていると思しき人物は三名。
件の海賊船の船長、副船長、航海士、のいずれかだ。
彼らは一旦戻ってくると、暫くは陸に留まる。ねぐらにしている場所がそれぞれにあるらしく、そこにルフィ、ゾロ、サンジをぶつけることとなった。
エターナルポースを手に入れたらすぐに出航できるよう、連絡役のナミを除き、残りは船で待機する。
「とにかく、できるだけ騒ぎにならないようにね」
ナミが言う。相手の船はかなり大きい。その規模を見るに、その力量はどれ程かは分からないが、非常時とあらば駆けつけてくる人員は多いだろう。
召集でもかけられれば、負けることはないにせよ厄介には違いない。
「何で俺のほう見て言うんだ?」
心底不思議そうな顔をするルフィの耳をつまんでナミは噛んで含めるように答える。
「あんたはいつだって騒ぎを起こすでしょうが!」
ナミは大きく息を吐くと、三人に子電伝虫を渡す。
「昼間借りてきたの。私は電伝虫のついてる宿にいるから、何かあったら連絡頂戴」
早速腕にはめ、面白そうにあちこち弄っているルフィにナミは釘をさす。
「無駄な連絡は一切禁止。どこで聞かれるか分かったもんじゃないし、通信費だって馬鹿にならないんだから」
それからナミは気合の入った眼差しで三人を見回す。
「言っておきますけど、今回は元手がかかってるんだから。上手くやんなかったら承知しないわよ!!」
宿の電伝虫が震えたのは日も落ちて暫く経った頃だった。
「そうね。アンタを一番近くにやったんだもの迷ってもらっちゃ困るわ。・・・・で? 用は?」
できるだけ余計な経費はかけたくない。どうやらナミの口調はそっけないものだったらしく、受話器の向こうから苦笑したらしいゾロの息遣いが聞こえた。
「別に用はねぇんだけどよ、暇でな」
狭い路地に拾ってきた樽を置いて、そこにゾロは腰を下ろしている。
見張るべき先も人通りは少ない。
「何もしてねぇと眠っちまいそうだ」
「そういや、今日は珍しく昼間起きてたもんね」
昼寝をさせる暇を与えなかった張本人が笑う。その声に耳をくすぐられ、ゾロは苦笑した。
「・・・どうにも慣れねぇな」
電伝虫を使った事など何度もない。
身体はここに居ないくせに、声だけは生々しく伝わる。
そのギャップに、ゾロはほんの少し顔を顰めた。
「・・・ゾロ?」
訝しむナミの声が聞こえてくる。
「あぁ・・・何でもない」
「何よ! そっちからかけてきたくせに、失礼ね・・・っ、キャ!」
短い悲鳴の後、カタン、と何かが倒れた音が微かに聞こえた。
「どうした?」
「ちょっと待ってて」
「受話器引っ張ったら、コップに引っ掛けちゃって零しちゃった。勿体無い」
「・・・人、働かせといて酒飲んでたな、テメェ」
ただの水を勿体無いとは言うまい。
ゾロの指摘にナミは、うっ、と言葉を詰まらせる。
「だったら多少の無駄口は大目にみるよな?」
笑い含みにそう言われ、ナミもまた、仕方ないわね、と笑った。
「あぁ、結構濡れちゃったな」
そう言ってナミは黙る。何か身動きをしているような気配がした。
「その辺に干しとくしかないわね。アンタ等が帰ってくるまで乾くかしら?」
独り言のように呟くナミに、ゾロはからかいの言葉を送る。
「パンツ一丁かよ?」
「それ以上よ」
思わず黙り込んだゾロの元に、ナミの微かな笑い声が届く。
灯りをおとした安宿の一室に、一糸纏わぬ姿で佇んでいる。ゾロの脳裏に、そんなナミの姿が妙にリアルに浮かんだ。
黙り込んだ合間に、知らず溜まった唾液をゾロは飲み下す。
その僅かな音を拾ったのだろう、ナミは小さく笑った。
「何考えてんのよ、スケベ」
潜められたその声は、閨での睦み声にも似て。
暗がりの中、ゾロは通りを見続けている。
「何考えてたのか、教えてやろうか?」
鋭い視線は固定したままでゾロは口元を歪めた。
受話器の向こうは沈黙したまま。ゾロは構わず囁く。
「テメェを押し倒して」
息を飲む音が聞こえた。
「そこいらじゅう撫でて、舐め回して」
震えるような息が吐き出される。
「ぐしゃぐしゃにして突っ込むことだ」
急に密度を増した空気までが伝わってくる気がした。
ゾロは腰を下ろした樽に、ゆっくりと片足を乗せる。そうして立てた膝に腕を乗せ、子電伝虫に顔を一層近づける。
そこからは、ただ浅い呼吸音だけが繰り返し流れては消える。
「どうした?」
からかうように低く笑いながら、今度はゾロがナミに問う。
「・・・べ、別にどうも―」
僅かに口ごもりながら答えたナミに、追い討ちをかけるようにゾロは更に問う。
「感じてんのか?」
「・・・こ、んな時に馬鹿なこと言わないで!」
「感じてねぇってか?」
ナミがこんな時に見せる勝気な瞳の美しさをゾロは知っている。
そして、その瞳を情欲で押し流す時に感じる、えも言われぬ甘美な思いも。
「だったら、ちゃんと確かめて教えろよ」
続
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