+裏書庫+


  血ノ杯 Date: 2005-11-02 
港に船を寄せて二日。まだログは溜まっていない。
誰もいない船のキッチンに夕暮れの光が射し込んでいる。海面に近づく太陽はまるで血のように赤い。

ぼんやりとその光を眺めていると、キッチンの扉が開いた。
扉に手をかけたまま、ゾロは足を止める。眩しいのだろう。こちらを見て目を眇めた。
「・・・・てめェか」
ゾロは一瞬見せた緊張を解いて、一つ息を吐いた。


ああ。

「誰かを、斬った?」
感じたままにそう問えば、ゾロは眉根を顰めた。
外見はいつもと変わらない。怪我を負った様子もなければ返り血もない。
違うのは目に見えない何か。纏っている雰囲気が違う。闘気、とでも言うのだろうか。治まりきらないそれを感じる。例えば瞳の奥に宿す光に。息遣い一つに。

「どっかに血ィでもついてるか?」
眉を顰めたまま、ゾロは腕やシャツを検分する。
「別にどこも何ともないわよ。ただそんな気がしただけ」
ゾロは何も言わずに、横を通り過ぎていった。その時、ふわりと甘い香りがしたのは気の所為だったろうか。

蛇口を捻る音がした。ゾロは流れに直接口をつけて水を飲んでいる。渇きを潤すと、ゾロは短く息を吐き、シンクに両手をついてほんの少し頭を垂れた。
それは、闘気を治めようとしているようにも、見透かされたことを恥じているようにも見えた。
けれど、私にはそんなことはどちらでもよかった。
さっきの甘い香りは何だったのだろう。
ゾロの、ほんのすぐ後ろに立ってみる。それでもゾロは身動き一つしない。そのままゾロの背に身を寄せてみて、ようやく分かった。
ゾロの項のあたりに一筋、赤い跡が残されていた。
まるで情事の名残のようなそれは、乾いた血の跡だった。

それを見た瞬間、妙に確信めいたもので胸が騒いだ。
「女の人、だったのね」
驚いたのか、振り向こうとするゾロの頭を両手で押さえた。
「何で分かる?」
「私が女だから」
そう言うと、ゾロは吐く息で笑った。
「女は怖ェな」
私も笑う。
「どんな人だった?」
「いい腕だった。・・・・・斬らなかったら斬られてた」
それはゾロからすれば最大の賛辞だ。

目を閉じれば、見たはずのない光景がありありと浮かぶ。
ゾロと対峙する女の姿。交差する二人の姿。倒れゆく一瞬、ゾロの首筋に女が手を伸ばす。微かに触れる指先で印を残した女の口元にはきっと笑みが―――

嬉しかったろう。自分の最期がこの男で。

嫉妬で気が狂いそうだった。
爪先立ちになり、ゾロのシャツの襟首を下に引いた。
そのまま、ゆっくりと血の跡を舐め取る。ゾロの肩がビクリと震えた。
とうに舌に馴染んだ肌の味に、見知らぬ女の血の味が混ざり溶けていく。早く消えてしまえばいい。他の女の残した跡など。

項を丹念に舐めながら、ゾロの胸元に手を伸ばす。胸の先端を爪弾くとゾロは小さく息を零した。
私の中に入り込んだ見知らぬ女の血。それが私を狂わせる。
項から舌を離し、踵を床に戻す。
「私が今、何考えてるのか、分かる?」
左手を腿の内側に滑らせる。ズボンの上から幾度か擦れば、そこはやがてはっきりとした輪郭を現すようになった。
「さぁな」
ゾロは振り返る。
「分からねェよ、俺には。女の考えることなんてな」
そう言いながら、ゾロはその手をスカートの中に乱暴に突っ込んできた。
「要らない」
その手を私は止め、自らの手で下着を下ろした。
前戯なんて必要ない。
「挿れて。今すぐ――」
ゾロは探るように目を細め、けれど何も言わず私の望みを叶えた。


私の考えてることなど分からなくて、いい。


片方の膝を高く抱えられる。見せつけるように開いたそこでゾロを飲み込めば、突き上げられるたびに腰がシンクにぶつかりガタガタと音をたてる。背中に回された腕は痛いほどの強さでこの身を引き寄せる。そして身の内で何度もゾロの熱を確かめる。

汗ばんだゾロの首から右の手を外し、目の前にかざしてみた。夕日を浴びたその手は血に濡れたように赤い。
私は真赤に染まった指先をゾロの口元に近づける。
ゾロは一際強く突き上げると、私の指を口に含み、噛み跡をつける。

痛みと快楽。それらは全て生きているからこそのもの。
けれど、その生の行為の中で私は死を思っていた。

私の最期はアンタに飾って欲しい。
他の誰の手にかかったとしても、最後の最後はアンタに。

熱いものに貫かれながら、まだ訪れぬ未来を夢見ていた。

ゾロの突き立てた刃がこの胸に吸い込まれていく。世界は音もなく色もない。ただ、溢れる赤だけを除いて。

私は温かな血を両手ですくって、アンタの唇へと運ぶ。
私の血はアンタの中に混じり、きっといつまでもその身体を切なく疼かせるだろう。
考えただけでイってしまいそうなほど、その妄想は甘い。



血に満たされた杯。
そんなものが相応しいほどに私の欲は、どこまでも深い。

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