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  滴縛 Date: 2003-09-26 (Fri) 

空白の記憶。

―ここは―?―
朦朧とする意識の中、記憶の道を遡ろうとするが、道は脆くも崩れ何も思い出すことができない。
ただ一つ覚えているのは―

薄闇の船上、血と煙と怒号の坩堝にて、
「・・・・また、会いましたね」
低い男の声と振りかえった直後に感じた背への軽い衝撃。

僅かな浮遊感は海面があげる悲鳴で断ち切られた。
空しい足掻き。
そこで記憶は途絶えた。



それでも置かれている状況は理解できる。
目隠しと猿轡。
両手は後手に縛られ、両足も足首で縛られている。
動かせる範囲で身体に手を這わせる。
何も身にはつけていないようだ。シーツだろうか、布に包まれているらしいが。

どう考えても自船での扱われ方でははない。

さて、どうしようかと思案をはじめたところに近づいてくる足音。
コツ、と頭上で足音が止まる。
その主なら知っている。
抱き起こし、猿轡を外す手元から煙草の香りがした。

「随分手荒なもてなしね」
目隠しは外されなくても、相手の位置は見当がつく。
ヒナは真っ直ぐサンジの方へと顔を向ける。

「ここじゃ海賊ですからね・・・・・それにしても―」
そこで言葉は止まり、紫煙が香る。

「随分功を焦ったんじゃないですか? 海軍本部大佐ともあろうお方が。
艦隊戦ならともかく、タイマンの白兵戦じゃあウチに分がある」

「貴方には関係のないこと」
「もしかして一刻も早く俺に会いたかったとか?」
「何故?」

"否"と同義の問い返しにサンジは苦笑と共に肩を竦める。

「つれないねぇ。
・・・・・結構苦労したんですよ、あの乱戦の中で貴女を見つけて驚いたのなんの。
誰にも見つからないようにここまで運んでさ」

「・・・・で、私をどうしようと?」
「さて、どうしましょう。貴女は?」
「とりあえずシャワーでも浴びて服を着て、この船を出たいわね。
できるなら貴方と、貴方のお仲間の首を手土産に」

「恐ぇなぁ」
言葉とは裏腹にサンジはくくと楽しそうに喉を鳴らす。

「とは言っても今、この船には俺しかいないんで。
連中は街にくり出してますよ。闘いに勝って皆興奮してるから、まぁ少なくとも今夜は誰も戻ってこない」

「だったら、貴方の首だけでがまんしてあげる」
「ご指名はありがたいんですがねぇ、それは謹んでご辞退申し上げたい」

それより―サンジは苦笑を浮かべた唇をヒナの口元に近づける。

「さんざ暴れて興奮してるのは俺もなんで―
鎮めてくれる相手が欲しかったってのが本当のところだとしたら?」

瞳を伏せ、ヒナの唇を奪おうとした瞬間、サンジの目の前からヒナの顔が消え失せる。
狙ったのは喉笛。
ガチリと音がして鋭い犬歯は空を噛んだ。
上体を反らして攻撃をかわしたサンジを目隠しに覆われた瞳は睨めつける。

「流石に一筋縄じゃいかない」
感嘆したようにサンジは言う。
ガランと金属の音が聞こえた。

「では、もう一度大人しくなってもらいますか―」
暫しの沈黙の後、ザァと水音が部屋中に響いた。

途端、ヒナの身体から力が抜ける。
濡れたシーツはまるで網のように絡み、身体中を縛りつける。
ドサリと床に崩れ落ちたヒナは、苦しげに一つ息を吐く。
僅かに動いた唇から口中に零れ落ちた滴は苦い海の味がした。



サンジはヒナの濡れた身体の傍に身を屈める。
目隠しの下、濡れた頬にかかる髪を優しく払う。高価な人形を扱うように優しく。

実際にそれは生身の人間というよりは人形に近かった。
濡れた髪は淡い灯火に艶やかに映え、滴の伝うその肌は白磁の如く滑らかだ。
なによりもそれを人形たらしめているのは、自分の力では指先一つ動かすことが叶わないところ、であった。

咥え煙草のまま、サンジはヒナの身体に巻かれたシーツを開く。
濡れた布の中から濡れた裸体が生まれる。
床に投げ捨てられたシーツよりも尚白い肌。
目を覆う布だけが辺りの闇を吸い込んだように黒い。

「相変わらず綺麗な身体で―」
長い両脚が力なく床に伸びている。
その脇で胡座をかき、サンジは黙ったまま煙草をふかしている。

思い出す。
ただ一夜の夢を。
ただ一夜と思っていた夢。

シーツに流れた長い髪。
しなかやに動き、乱れる四肢。
そして、熱く自身を飲み込んだ花弁を。

思い出す度に、身体は熱くなる。
身の内に巣食うどす黒い熱があちこちから吹き出していく。
目の前に現実のものとして存在する身体。
それも自分の意のままとなる美しい人形となって。

今、感じているのは戦闘の最中のような昂揚感と―


サンジは持て余す熱を追いやるように長く息を吐き、ジャケットを脱ぎその場に捨てる。
立ち上がりながらシャツのボタンを一つ外し、ネクタイを弛める。

咥えていた煙草を吐き出す。
濡れた足元に落ちた吸殻は僅かな呻き声で夜の始まりを告げた。


ぐったりと横たわる身体の傍にサンジは屈む。
肩にかかる濡れ髪をそっと弾き、抱きしめるように腕をまわす。
不自然に持ち上がった腰、その下に敷かれた格好になって縛られた両手首。
その戒めを解く。

手を離せば、力の入らぬ両手はだらりと床へ流れる。
縛られていた所為か、ただでさえ白いその肌の指先は輪をかけて色を失っている。
方膝を立て、サンジは恭しくヒナの片手をとるとその甲へ口づける。

「手荒な真似してすみませんね。
・・・・・・・・でも、貴女前にして俺ももう我慢の限界なんで」

顎に手をかけ、上向かせる。
その唇は潮の香りがする。
金の髪は音もなく落ち、ヒナの頬をくすぐる。
サンジは唇を重ねたまま自らの舌をヒナの唇の中へと潜り込ませる。

口の中もやはり潮の味がする。
その中をサンジの舌が探るように動く。
柔かい舌の表面を、滑らかな凹凸を感じさせる裏側を、全てを舐めとるように。

と、ヒナの喉が震え、唇が僅かに動く。

「・・・・・・・・う・・・・・・ん」
その声に、サンジはゆっくりと唇を離す。
まず唇が離れ、次にずるりと舌が抜け出てくる。

「・・・・・・感じた?」
嬉しそうに問いかけるサンジ。

途切れ途切れの呼吸の後、絞り出すような声が聞こえてくる。
「・・・・・・・・・だ、れが・・・・・何、に?」

「いいねぇ・・・・・それ位突っ張ってくれれば俺も責め甲斐があるってもんだ」
あくまで強気な答えに、サンジは楽しげに笑う。

「満足させてくれよ、大佐さん―」


じゅう、という音と共に、ヒナの動かぬ身体に痺れが走る。
サンジがヒナの胸に顔を埋めている。
豊かな膨らみの先を口に含み、吸い上げている。
唇を開き、閉じる。その度に柔かな肉は形を変え、いびつに歪む。
そして形を変えていくのはそこだけではなく。
サンジの口の中で揉まれていくうちに肥大し、硬度を増すその先端。

乳房を咥えられたまま、乳首をいじられる。
硬くしこった先端を掠めるようにサンジの舌が動く。
それからぬるぬるとした感触が乳輪をなぞっていく。

遊んでいるのだ。
一撃では殺さない。じわじわと嬲り殺すように。
甘美な昂揚感に包まれながら。


サンジの口から零れる唾液がヒナの胸に温かく伝う。
唇が、舌が動く度にくちゅくちゅと奏でられる水音は徐々に大きくなっていく。

ぞくぞくと背を這い上がる快感と理性のせめぎあい。
綻びは突然だった。

ゆるゆるとした刺激を与え続けながら、サンジは空いている乳房の、既にもう尖りきった乳首を摘み上げる。

「・・・・・・・・ん、あぅっ」
目隠しの所為でサンジの動きは何も見えない。
それだけに突然の刺激は強く深く身体の奥を刺し貫いた。


ふ、と胸元からサンジの気配が消える。
熱くなった乳房が急に冷える。

「・・・・・・どう? 思い出してきました? ・・・・・・あの夜のこと」
唇を拭いながらサンジは笑う。

「・・・・・・・・・・さ、ぁ・・・・・・どう、かしら」
本来なら動かすことすら困難な筈の唇は、気丈にも笑みの形を作る。

「・・・・なら、貴女がどこまで頑張れるか、楽しみにしてますよ」



コツと足音が遠ざかる。
足音が止まると足首の縛り目が一瞬更にきつくなる。
それは一瞬のことだったが。

繊維の千切れる音と共に足の先にどっと血が流れ込む。
痺れるような感覚と、足首にぬるぬるとした感触。

「気づかれないうちに解こうとしてた?・・・・・擦れて傷になってる」
足首を持ち上げ、サンジは僅かに陥没した皮膚の赤みを丹念に舐める。
肌に纏わりつく海水と血の味がサンジの口の中で混ざり合う。

傷の部分を舐め終わると、サンジは両足を掴んだままゆっくりと身を進ませる。
ヒナの元へ身体が近づく度、形のよい腿が開かれていく。

暴かれていくのは赤の花唇。


「・・・・・・さて、じっくりと思い出してもらいましょうか・・・」
独白にも似た呟きは、周囲の闇をも愉悦で満たしていく。

「・・・・時間ならいくらでもある」




まだ瞳の上に乗せられたままの布を取ろうとはせず、サンジはヒナの唇に手を伸ばす。
人差指で唇をなぞれば、ねっとりと濡れた感触が伝わってくる。

だった今までこの口を犯していたのだと思えば、それだけでイってしまいそうだ。
ゾクゾクと腰の辺をせり上がる快感を振り払う為、サンジは二度、三度、軽く頭を振る。

―ただ出すんじゃ勿体ねぇもんな―
メインディッシュ前に満腹なんて食い方、料理人にあるまじきことだ。

サンジは己に手を添え、その先端をヒナの入口にあてがう。
ずぶり、と僅かな抵抗感と共に頭が飲み込まれていく。
後は一息だった。
無数の手に引きずり込まれるような感覚で、穴の奥深くへ誘われる。

「っ、あ! ・・・くっ!!」
「・・・・・・・・あぁぁぁっ!!」

同時にあげた嬌声は果たして互いの耳に入っただろうか。
深く繋がったまま、サンジはヒナの瞳の上から布を取り払う。


「・・・・・・・・・・サン、ジ?」
それが誰か、などとうに知っていた筈なのに。

男は微笑んでいた。
これまでの残酷とも言える仕打ちなど嘘のように穏かな顔で。
男の名を呼んだのはこの夜これが始めてだったと、そしてその顔を見て自分が安堵したことをヒナは意外に思った。

「お久しぶり、ヒナさん」
「・・・そ、ういう・・・言葉は・・・・・・もっと・・・早、くに・・・・・言う、ものよ」
知らず苦笑している自分に気づく。

「確かに、この体勢じゃあね」
人懐こい笑顔は以前に見たものと変わりない。

「・・・仇の女に・・・そんなに・・・可愛い、顔・・・・見せるものじゃ、なくてよ」

可愛い、かぁとサンジは残念そうに呟く。
「少しは恐がってもらおう、っていう趣向だったんですけどね」

「・・・・・恐い・・もの・・・・なんて・・・ないわね・・・」
見上げる瞳はサンジを素通りし、遠くを見つめる。
それは彼女にしか見えないものなのだろうとサンジは思った。

「俺は恐いものだらけですけどね、今は―」
苦笑を浮かべながらサンジは続ける。

「貴女に溺れちまいそうで、恐い」
冗談めかした台詞の後、サンジは俯く。
ばさりと流れる金髪。
顔を覆う金髪に一瞬見せた表情には、もう笑みはなかった。

顔を伏せたまま、サンジは抉るような動きで深く腰を突き入れる。
柔らかく、しなやかな襞を捲り上げるように。

「―! あぁうっ!!」
一際高い声の後、止むことなく腰を送れば声にならぬ息遣いさえ悩ましい。

手放すことなどできるのだろうか。
一度だけと思い抱いた女を、再び手にした今。

自分の為にだけ鳴くこの美しい鳥を、
自分の為にだけ踊る操り人形を。


―我ながら歪んでやがる―

どこまでも堕としめて―
誰の目にも触れぬ、例えば光すら届かぬ海の底で。
この身で縛りつけ、犯す。
ただ欲望の赴くままに。

女性を尊いものと思う。
それは変わることなく碑銘のように深く自分自身に刻み込まれている。
けれど、けれども―

胸の奥から湧きだし、徐々に侵食を始めるこのどす黒い思い。
その思いは、この行為は果たして演技なのか本心なのか。
自分にももはや分からない。
否、そんなことを思い悩むのすら今は厭わしい。

箍が外れたかのようにサンジは、ただ闇雲にヒナを貫く。
荒々しく吐き出される息を共として金の髪が薄闇に舞い、流れ落ちる汗はヒナの身体をまた濡らした。

「・・・・・・・っ・・・だった、ら―」
乱暴とも言えるサンジの動きを全て受け止め、ヒナはゆっくりと瞳を開く。

「・・・・今度は一緒に、来る?」
弾かれたように顔をあげるサンジの瞳を真っ直ぐに見つめ、囚われの女は悠然と笑う。
先程までの昏い表情は驚きの表情に取って代わられた。

「・・・私の艦には・・・・多い、わよ。・・・・・元はおたずねもの・・・なんて男達は。
・・・・出自は、気にしないの、私」

まだ多くを喋るのは困難なのだろう。そこでヒナは一つ息を吐く。
「要は、使えるか・・・・・否か、だけ」
「ヒナさん―!?」
動くことも忘れ呆然と呟くサンジにヒナは微笑かける。


―だから可愛いと言うのよ―
悪ぶってみせても、感情は酷く不安定で非情に徹しきれない。
例え瞳の縁にその片鱗を感じさせたとしても。

手に入れたいと思ったのは本心だ。
この青年を手元で育ててみたい、と。

黒の軍服にあの金の髪はさぞや映えるだろう。
先程かいまみせた残酷な瞳の色を常のものとさせて。

それはなんて甘く蠱惑的な夢。


ヒナは尚も微笑む。

「・・・・私から・・・誘ったのは、これが初めて・・・・だけれど―」
「・・・・それは貴女の魅力故でしょう・・・けど―」
毒気を完全に抜かれたサンジは、苦笑とも困惑ともとれる複雑な顔を見せる。

「・・・・・・っ、く、くくくくく―」
均整のとれた両肩が細かく震えだす。

「参った! こんなに強烈なナンパはちょっとねぇな」
ばさりと髪をかきあげ、片の瞳をくるりと巡らす。

「行ったら貴女を抱き放題?」
「・・・・働きに・・・・よっては、考えなくも・・・ない、わね」
「そりゃ、張りきらざるを得ませんねぇ」

真面目くさって頷くサンジに、馬鹿ねとヒナは目を細める。

「どう?」
「どう・・・・しましょうか?」

静かな表情でサンジは目を閉じる。
それは迷いを隠す為か、或いは決意を気取られぬ為だったか。

そうしてサンジは、ゆっくりとヒナの身体を覆うように身を低くする。
濡れた首筋に口づけながら、腰を合わせる。

サンジの舌はヒナの喉元から頤へじりじりと這い上がっていく。
その度に力強さを増していく腰の動き。

掻き回された愛液は、もはや液体というよりも白い糸のようにサンジ自身に絡みつく。
挿し込む度、引き抜く度ににちゃにちゃと粘りつくその音が互いの耳を犯す。

水音が一つ増した。
二つの唇が重なる。


「―っ、ん!!」
僅かな隙間も許さないような口づけの途中で、びくりとヒナの唇が閉じる。

サンジは一旦腰を引き、ヒナとの浅い結合部に手を伸ばす。
溢れ広がる糸状の液体は容易く指先にも絡みついてくる。

自身を深く埋め込みながら、ぬめる指先で蕾を撫ぜる。
快感に大きく膨れた蕾はサンジの指先から逃れるように右へ左へと振れる。
ぬるぬると動く蕾を追いかけ、サンジは指先で円を描くようにそこを刺激する。

捉えた蕾を潰さんばかりに指を押しつけると、ヒナはその唇を閉ざす。
それを許さないサンジの舌が、ヒナの唇をこじ開け侵入する。

それが合図だった。
腰を送る速度と共に、互いの息もあがっていく。
その呼吸をも奪うように唇を貪る。

封じられているのは問う唇か、答える唇か。

それでも限界はやってくる。
先に唇を離したのはサンジだった。

眉間に皺を寄せ、苦しげに声を吐き出す。
「スゲ・・・っ、ヒナさん・・・・・・締め過ぎ」

そう言いながらも身体はより深い快感を求めて、ヒナを刺し貫く。

「あぁぁっ! そ、こよ・・・・・・ん、っ」
「っ・・・こ、ここ?」

ヒナの反応した、最も深い位置でサンジは腰を震わせる。

「んぁっ、あぁっ、そうっ、そこっ・・・・あぁぁっ、深いっ!!」
身体中に充満していた快感が大きなうねりとなって間もなく押し寄せてくる。

「あぁっ、もう・・・来るっ!!」
白い喉がサンジの目に映る。
それから濡れた二つの眼差しが。

「サンジっ・・・・、貴方は、どう―?」
それはサンジが答えなかった問い。
眩暈がしそうな快楽に浮かされそうになりながらサンジは口を開く。

「くっ・・・・・お、俺は――」



流れる湯が、肌に残る海水と情事の余韻を洗い落としていく。
バスタオルを腰に巻いたサンジは、バスタブに腰掛けヒナの髪を丁寧に漱いでいる。

「至れり尽せりね」
海水の呪縛から解き放たれたヒナは、それでも大人しくされるがままになっている。

「貴女の為ならいくらでもサービスを」
「・・・・でも、一緒には行かないのね―」

濡れた髪をかき上げながら、ヒナは湯から身体を起こす。
肌を隠すこともなく立ち上がると、サンジをじっと見つめる。

「では、仕方ないわね」
呟きと共にヒナは自分の片腕をサンジの手首に乗せる。
尋常でない重みをサンジが感じ取った時には、既に両手首には黒い錠が架せられていた。

一瞬、驚きの表情を浮かべたサンジは自分の手首を一瞥し、すぐにヒナを見上げる。
「これが貴女の能力ですか」

ヒナはただ優雅に微笑んでみせる。
「で、どうするんです? 首だけにして持ってくとか?」

全く危機感を感じさせない、むしろのんびりとしたサンジの口調にヒナは苦笑する。
呑気な口調とは裏腹に、まだ勝負に負けるつもりはないらしいことは感じ取れる。
湯に浸かっている両脚には隙がない。
下手に動けば払われるか。

「残念だけど、そんな元気はないわね、今は。どこかの海賊の所為でくたくたなの、ヒナ疲労」

だから―とヒナはバスタブから出、傍らにあったタオルを取るとバスルームを後にする。


「今日の手土産はこれで勘弁してあげる」
間もなく現れたヒナは、青いシャツと黒のパンツを身につけていた。

「あと、これと―」
シャツの胸ポケットから煙草を取り出し、咥える。
「両手が不自由でなければ火をつけて差し上げるんですが」

ヒナの指先でカチリと石が鳴り、煙草に火が灯る。
うっとりとした表情で大きく息を吸い、吐き出す。

「では、それはこの次にでも」
その言葉を聞いてサンジは、ニヤリとする。

「"この次"があると思っていい訳ですね?」
その不敵な台詞にヒナは思わず目を丸くする。

「・・・・・・呆れた子―」
そうして、一歩サンジに近づくと身を屈め口づけを一つ与える。
僅かに触れ、離れた唇には吸いかけの煙草を身代わりに。

「今度は貴方が残る番ね」
「流石にこの格好で貴女を追い回す訳にはいかないでしょう?」

ふふ、とヒナは鮮やかな笑みを残し、身を翻す。
振りかえることなく真っ直ぐ堂々と敵船を後にする、そんな姿がサンジの脳裏にありありと浮かぶ。

―やっぱ、惜しいことしたかな―
口の端に煙草を咥え、悪戯に煙を吹かしながらサンジはふと思う。

貴女が去ろうとした瞬間、思わず腕を掴もうとしたのかも知れない。
それを止めさせたのは、他でもないこの拘束。

貴女の温もりを宿す冷たい錠。
きっともうすぐこれも消えてしまうのだろう。

それを残念に思うくらいには、自分は貴女に捕われているんだ、と。


そんなことを思いながら、サンジは黒の手錠に口づける。

その瞬間、
まるで魔法のようだった。
サンジの口づけをきっかけに、ヒナの残した欠片は跡形もなく消え失せていった。






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