+裏書庫+
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スクリュー(上) |
Date: 2003-09-26 (Fri) |
水音だけなら気にも止めなかったろう。
そのまま立ち去って、気が向けばまた来てみればいい。気が向かなければそのまま眠ってしまっても構わない、たかが風呂だ。
風呂場の明かりはいつものように、明かりと言うのにははばかられる程度で薄ぼんやりとついている。
流れる水音はしない。
ただ途切れ途切れに掻き回される水の音が聞こえてくる。
それだけだったら立ち去ったのに。
「・・・・・うっ・・・・・・く・・・」
酷く押し殺した女の声がルフィの歩みを止めた。
苦悶の、といった方が正しいかも知れないその声に、それでもルフィは心臓を鷲掴みにされたような衝撃を覚える。
切り取られた記憶の断片が不意に浮かび上がる。
炎のように揺れる赤い髪。
よく知った女の全く知らない顔。
意志とは無関係に心拍数が上がっていくのが分かる。
「あ・・・・・・・っ」
チャプチャプと揺れる水音に忍ばせた声は尚続く。
扉の向こうの女はどんな格好で己を慰めているのだろうか。
あの指は身体のどこをなぞっているのだろうか。
一体、どんな顔で―
「つっ!」
口元から僅かに空気が漏れた。
一瞬で硬く張りつめた己自身に苦笑しながら、ルフィは扉に背を向けたままその場にペタリと座り込む。
ジッパーを下ろせば飛び出さんばかりの勢いで自己主張を続ける己にまた苦笑する。
「さ〜て、どうすっかなぁ」
呟きは水音に消える。
あの時とは違う。答えを与えてくれる者はどこにもいなかった。
いやに赤く光る満月の夜だった。
突然夜中に目が覚めた。
幾度寝返りをうったろう。その度に眠気が遠ざかって、その内諦めて起き上がった。
窓から見上げた月は妙な色に輝いていて、それだけで何かが起こりそうな気がして胸がざわついた。
向かったのはマキノの店。あの陽気な海賊達はきっとまだ酒盛りをやっているだろう。
酔えば尚機嫌のよくなる連中だ。今頃シャンクスは馬鹿笑いをしているだろうか。
こっそり潜り込んで何か美味いもんでも食わしてもらおう。
そんなことを考えて走った。肌にあたる風はなま温かった。
期待をしていた分だけ、落胆の度合は大きくなる。
遠目にも分かる。息を切らして見つめたマキノの店は真暗だった。
今日は誰も来なかったんだろうか。
人っ子一人いない通り。明かりのついているところなどどこにもない。
ただ月だけが夜を奇妙な色で染めている。
「ちぇーっ」
足元の小石を蹴飛ばした時だった。ガラスの向こう、店内に人影がよぎったような気がした。
「誰かいる・・・・・?」
そっと窓に近づき背伸びをした瞬間、ほんの小さな明かりが床に灯った。
驚いて思わず身を縮めた。
声はマキノのものだと思うが、何を話しているのかまでは分からなかった。
そして低く笑う、いつもはもっと豪快に笑うこの声の持ち主も、勿論知っていた。
知っていた筈なのに。
何故か身動きができなかった。何もできず、ただそこにうずくまっていた。
どれくらいそうしていたのかは分からない。
気づくと声は消えていた。
この場に自分がいることすら夢かと思われたその時だった。
「・・・・・うっ・・・・・・ん・・・」
あまりに細く闇に溶けたそれを自分は泣き声だと思ったのだ。
マキノが泣いたところなど見たことがない。
シャンクスが・・・・・シャンクスが、どうして。
よろよろと立ち上がって、再び背伸びをした。
窓に映る月の赤が記憶に残っている。
そして、目にした窓の中の光景も。
二人の横顔が見えた。
床に座った、というのは正しくはない。床に胡座をかいたシャンクスの腿の上に白い脚が乗っていた。
薄明かりに浮かぶ二つの身体は何もかもが正反対だった。
日に焼けた逞しい男の身体。それにしがみつくように絡んだ女の身体は丸みを帯びてどこまでも柔かそうだった。
細い腰を掴んだ腕が動く度に、滑らかな尻とが、そして乳房が揺れる。
その夜の月のように赤いその髪をマキノの細い腕が掻き抱く。
大きく反らせた首のその上の顔は、いつも微笑を絶やさない女の顔ではなかった。
それでも目が離せなかった。
気づけば息が苦しい。呼吸をすることも忘れていたようだった。
目の前で苦しそうな顔で喘ぎ続けるその顔に確かに自分は興奮した。
身体中が一気に熱を帯びた。
そんなどうにもならない熱を持て余し始めた頃だった。
不意にシャンクスがこちらを見たのだ。
驚きのあまり身体が硬直した。隠れることもできなかった。
鋭い目線はすぐにゆるんだ。
口の端がニヤリと持ち上がり、シャンクスはマキノの顔をその肩に抱き寄せると親指でクイクイと一方を指してみせた。
向こうで待ってろ、ということらしい。
伸ばしていた足を地面につける。
無理な体勢でいたからだろう。足はビリビリと痺れた。
そして、それ以上の痺れが身体中に渦巻いていた。
「・・・・・・ん、あっ・・・・あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
去り際に聞こえた声は一際高く艶やかで、耳の奥で何度も同じ音を奏でた。
店の裏手、シャンクスの指した方向には海に面した小高い丘がある。
置かれた風車は、ただその羽に夜風をまとわらせておくだけで動こうとしなかった。
軽い斜面に寝転ぶ。
見上げた月は血のように赤い。
ザッと土を踏みしめる音が聞こえた。
マントの裾が目の端に映った。
「今日の風はあんまりよくねぇなぁ」
そう言ってシャンクスはマントを外す。何も身につけていない上半身が顕わになる。
ドキリとした。
一緒に風呂だって入ったこともある。裸を見たってそんな風に感じたりはしなかったのに。
今にして思えば、きっと匂いが違ったんだろう。
汗の匂いと、マキノの匂いとそして男の匂い。
「わっぷ!!」
その時はそんなことに思い至る間もなく、投げかけられたマントにもがいていた。
被せられたマントを引きずり下ろすと、シャンクスは目の前に腰を下ろしていた。
「お子様が、こんな遅くにふらついてんじゃねぇぞ」
ガシっと頭を掴まれる。
「おまけに刺激の強過ぎるもん見ちまいやがって」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き回しながらシャンクスは苦笑する。
「・・・・・・で、どうだった?」
からかうような口調と表情はいつものシャンクスと同じだった。
「泣いてるんだと思ったんだ、最初」
「あぁ、泣いてたっちゃあ、泣いてたなぁ」
シャンクスは低い笑いを零す。
「・・・・・でも、綺麗だった。マキノ・・・・あんなの、俺、見たことない」
そう言うとシャンクスは嬉しそうな顔でまた頭を撫ぜた。
「そりゃ俺の腕がいいからだな」
「何で嬉しそうなんだ?」
「そりゃあ、惚れた女が褒められたら嬉しいだろうよ」
「惚れてるのか? マキノに?」
「ここだけの、男同士の秘密だけどな」
シャンクスは唇に人差指をあてて笑った。
「なぁ、さっきマキノを見てたらチンコが固くなったけど何でだ?」
一瞬きょとんとしたシャンクスは、その後ぶははははと盛大に笑い出した。
「ガキだガキだと思ってたが、何だ、お前も一丁前の男じゃねぇか!!」
笑いをおさめると、静かにシャンクスは言う。
「そいつを突っ込みたいと思う女がそのうち出てくるさ」
「!! 女の中に? どこに入れるんだ? そしらどうなるんだ?」
「馬〜鹿! 大サービスであそこまで見せてやったんだ。後はてめぇで考えるんだな」
そう言いながらシャンクスは俺を立たせた。
ひたと目を見つめながらこう言った。
「ただし、惚れた女以外にはんなことするんじゃねぇぞ」
「惚れてたら誰とでもしていいのか?」
問えば、ウッとシャンクスは言葉を詰まらせる。
「お前、ガキのくせに厳しいとこ突いてくんな」
まぁ、あれだ、とシャンクスは肩を竦める。
「そいつ以外に興味がなくなるような、それくらいイイ女を見つけてみせろ」
「分かった」
赤い夜に男同士の約束が一つ増えた。
「さて」
小さく呟いてルフィは立ち上がる。
「・・・・・あ・・・・あぁん、っ・・・・・」
扉に手をかける。漏れ聞こえる声音に手が、全身が震える。
「欲しいのか?」
どこからか懐かしい声が聞こえた気がした。
「・・・・・・あぁ、欲しいな」
心中でそう答える。
頭の片隅に赤い髪が翻った。
ルフィは静かな笑みを浮かべ、扉を押す手に力を込めた。
バスタブから覗く華奢な肩。
半ば開いたままの唇は奥に淫靡な闇を垣間見せる。
頬に張りつく濡れ髪。
その毛先から生まれる滴はまるで涙のように肌を伝って落ちる。
目は夢うつつのまま宙をさすらい、
そんな女の姿はこれまで見たどの女よりもいやらしく美しかった。
思わず見惚れたルフィと何が起こったのか分からないナミの視線はぶつかったままで、しばらく動かなかった。
沈黙を破ったのは大きな水音だった。
ナミが湯の中でその身体を縮める。
「な、な、な、何しに来たのよ、あんたっ!!」
「風呂に入りに」
どもりながら喚くナミとは対照的に、ルフィはあっさりとしたものである。
「私が今入ってるでしょうが! もう少し待ちなさいよっ」
ナミの抗議を聞く気も見せず、ルフィは上着を脱ぎ、放り投げる。
「もう、待てねぇよ」
躊躇うことなく近づいて来るルフィに、ナミはバスタブのお湯を投げかける。
それが何の意味もないことは分かっているが、何かせずにはいられなかった。
水飛沫が、ルフィの胸で弾け飛ぶ。
「お前がいるから来たんだ」
僅かばかりの湯を投げようとした、その手首をルフィは掴む。
そのまま湯船の外にしゃがみ込んでナミと目線を合わせる。
ナミはやや怯えた目で困惑の表情を浮かべた。
ルフィは軽く笑う。
見たいのはこの顔ではない。
聞きたいのはこの声ではない。
「さっきみたいな声、聞かせろよ」
みるみるうちに、ナミの全身は強張り、その目は大きく見開かれていく。
「あ・・・・んた、一体いつから――」
それには答えず、ルフィはナミの手を引き寄せる。
「お前が欲しくてしょうがねぇの、分かるだろ?」
手のひらにあてがわれたそこは堅く、熱く。
ただそれだけの筈なのに、その存在を直接に体内に刻み込まれたような錯覚をナミは覚えた。
ズキン、と自分の持つ孔が震えるのを確かに感じた。
「お前も・・・・欲しいからああやってたんだろう?」
恥ずかしさのナミは目を伏せようとする。しかし、ルフィの視線はそれを許さない。
瞳に打ち込まれた楔に引き上げられるようにナミはルフィを見つめる。
静かな顔をしていた。
ルフィは子供の悪戯でも見つけたかのように笑んで、そうして口を開いた。
「・・・・・・・・・俺じゃ不服か?」
ナミは軽く目を剥く。
視界に広がる瞳の黒に。
誰のものにもならない、自然とそう思っていた輝きに。
眩暈がする。
捕われる。
こんな風に求められて、否、といえる女がこの世にいるのだろうか。
続
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